第19話・わたしが作る道
改まって「話を聞いてもらいたい」などと言われると身構えてしまうのは誰しも同じこと、だと思う。
けれど、ろくでもない話なら聞く耳持たない、って選択肢があってもいいんじゃないだろうか。
「秋埜と別れて、くださいませんか?」
耳を塞がないだけ、わたしとしてはまだマシな対応だったと思うんだ。
「センパイて将来の目標とかあります?」
「唐突になに?」
「いや、なんかこう、話題として。ほらー、やっぱ大学受験生ってそーゆーの考えるもんでないかとー」
いつだったかな。秋埜とつき合い始めて割とすぐのころ、そんな話題になった。確か、デートの最中にそんな話をしたんだと思う。
わたしはその頃は深いことあんまり考えてなかったから、ただ漠然と、秋埜と一緒に暮らしていければいーなー、って思ってただけで、その時もそんな感じのことを言っただけだったんだ。
「……そりゃーうちとしては嬉しいですけど、もーちょっとこお、明確な目標っていうか、その日暮らしのコーハイの目を覚まさせるよーなすんばらしい答えを期待してたんすけど」
でも、秋埜が喜ぶかなー、って思って言った答えに、わたしの彼女はいたく納得のいかない表情になっていた。
「…あのね。わたしだってあなたと一つしか違わないただの小娘だもの。それくらいの差しかないのに、そんな悟ったみたいなこと言えるわけないでしょーが。大体秋埜はわたしの後輩より前にわたしの彼女でしょ」
彼女、を強調したらそこでまたふにゃっと蕩けるよーな顔になってた秋埜だった。
その時はそれで話は終わり。でも、今思うと秋埜はもうすでにわたしたちの将来、ってことに漠然とした不安みたいなものを覚えていたのかもしれない。お母さんのことと関係があるのかないかは別として。
そして今、わたしの目の前に、もしかしたら秋埜がわたしに投げかけた問いの答えを求めるかのように不安な顔を隠さないひとがいる。それは秋埜の母親であり、わたしにとっては答えなくてはならない課題でもあり、あるいはわたしに秋埜を与えてくれたひとでもある。
わたしと秋埜がこれからも一緒に歩いていくために必要なこと。わたしのやりたいこと。それを示して、お母さんがすぐにわたしたちの関係を認めてくれるとは思えないけれど……でも、わたしは自分たちのためにそれを答えなくてはいけない。
だから。
「……この間わたし、自分の進路をこうしたい、って決めたんです。そう思ってからまだ時間はそれほど経ってはいませんけど、そのために努力も始めました」
小さく深呼吸をしてから話し出す。
またこの間の相模湖での秋埜のように、手酷く詰られるとでも思っていたのか、お母さんは重く苦しい顔でいたのだけれど、わたしの言葉を聞いてキョトンとしていた。
「わたし、法律の道に進みたいと考えています。どうしてか分かります?もちろん、秋埜と一緒にやっていくために必要なことだって、思ってのことです」
「………」
「…わたしと秋埜は、女の子同士で好き合ってます。これからも一緒に生きていきたいと思ってます。そしてそれが今の世の中で簡単なことじゃないことは分かっています。でも、だからといって」
考えをまとめるためにつむっていた目を開く。
お母さんは、まだ動揺しているように覚束無い視線をわたしに向けていて、それが一瞬交錯。すぐに逸らされたのだけれど、わたしは構わず言葉を重ねる。
「それに背を向けて、世界の中でわたしたちは二人きり、なんて自己憐憫に浸って生きてくつもりはありません。秋埜は、お父さんにも、従姉妹の相原先生にもわたしとの関係を明かした。わたしだって、ちゃんと両親と祖母に話して、歓迎こそされませんでしたけれど家族であることを止めなくてもいい、って言ってもらえました」
…そうなんだよなあ。わたしの家族に話したとき、お父さんもお母さんも面食らってはいたけれど、わたしがこれまで家族と暮らして育んできたものを担保にして正面から向き合ったら、まずおばあちゃんが「いいよ」って言ってくれた。
わたしは一人娘だ。だから、お父さんもお母さんも、本音のところではちゃんと男のひとと結婚とかして孫の顔を見せて欲しい、って思っているのかもしれない。
だけど、それでも、わたしの意志が固いって知ったら否定はされなかった。
そういうことなんだと思う。わたしも、秋埜も。
「わたしと秋埜の共通の友だちがいます。そのひとたちにもわたしと秋埜の関係は教えてあります。みんな、歓迎したり祝福したりこそないですけど、変わらず友だちとして接してくれてます。これが学校全員に、とかになったらきっと奇異の目で見られたりからかわれたり、あるいは……気持ち悪いとか言われるかもしれませんけれど、それでもわたしたちが世を拗ねて戻れないところに行ってしまうことはありませんでした」
「それは……幸運なことなのでしょうけれど、中務さんの進路とどのような関係が…?」
「わたしは自分たちのために自分たちの居場所を作りたいんです。だけど、自分たちだけじゃなくて、他にも同じように、世の中に正面切って胸は張れなくても、世の中と向き合って生きていこうと思っているひとたちはいる。そんな人たちと、自分たちがやっていくための力になりたい。願った通りに生きていく助けになりたい。そのために、法律の知識を役立てたいんです。だから、裁判官とか検察官とかじゃなくて、弁護士でなくてもよくって、そういった人たちが相談出来る仕事をしたい。そう思って、進路を決めました」
「………立派なことだと、思います」
そうじゃない。立派なんかじゃない。わたしは、わたしたちが胸張って生きていこうと足掻くために、そうしたいだけだ。だから、これはわたしのわがままでしかない。本当のことを言うと、他のひとのことなんかついでに過ぎないんだ。
だけど、無意味でもないと、思う。そうして、今まで世の中に背を向けて生きてきたひとたちに、そんな必要はないんだよ、って教えてあげるだけでも、やる甲斐はあると思うんだ。
「そんな簡単に言わないでください。立派も何も、わたしはまだ何もやっていないんですから。仮にでも、立派だ、なんて言われるのは、わたしたちがちゃんと独り立ちして、自分たちの力で身を立てて、それから自分たち以外の誰かの力になるっていう結果を出してからのことです。だから、お母さん……いえ、藤原さん」
「は、はい……」
旧姓で呼ばれることに少しは戸惑いでもあったのだろうか。身を固くした様子のお母さんに、もしかしたら残酷なことをわたしは言う。
「今は、今のままで構いません。秋埜にすぐ受け入れられることはないだろう、って思います。ですけど、ひとつだけお願いです。決して、わたしたちから目を逸らさないでください。批判も否定もされても仕方ないです。きっと、今はそういう時間なんですから。でもいつかは認めさせてみせます。秋埜がわたしとこうなったことも、あなたのしたことが一つの理由です。わたしがこれから目指すことも、あなたのとってきた行動の結果なんです。わたしがこれから作る道は、秋埜と一緒に歩いていく道は、間違い無くあなたがこれまでに作ってきた道の先にあるんです。それを忘れないで、どうか秋埜の母親であることから逃げないでください」
これが、あなたが秋埜と別れることを乞うたわたしの、返事です。
最後にそう言った。お母さんの目を見ながら。
相変わらずうろたえ気味のお母さんで、どこか疲れた感じもそのままだったのだけれど、わたしに気圧されていることに気がつきでもしたのか、まなじり上げてわたしの視線を正面から視返し、でも全然動じないわたしだったからしばらくガンの付け合い……じゃなくて睨み合いみたいになった。
「………」
「………」
「…気が済みましたか、由津里さん」
けどそれは長く続くこともなく、わたしが言いたいことを全部言い切った気配を察してか、先生が口を挟んだことで張り詰めてた空気は緩んだ。わたしもだけど、お母さんもきっとホッとしたんじゃないだろうか。別に破滅に向かって一直線、って雰囲気でもなかったのだけど。
「由津里さん。言った通りでしょう?あなたが秋埜ためと言って交際を止めさせようとしたって、言うことを聞くような子じゃないって」
「せんせえ、それどういう意味です?」
「どういうもこーいうも、そのまんまでしょうが。進路のことにまで考えが及んでいたとは流石に思わなかったけれど、ヘタレたとこのあるクセにどこか頑固なあんたがそこまで言うんなら、もうテコで押しても考えを変えたりしないでしょ」
「ヘタレって…そこまで言わなくてもいーじゃないですか」
「秋埜が言ってたのよ。センパイはヘタレと頑固が同居してる、って」
あ、あの子はもー……わたしの居ないトコで何を言ってんの…。
「それで時々弱気になるところがまたかわいー、とも言ってたわね」
「……あー、そうですか。どーも」
わたしは我ながら顔が赤くなってるのを誤魔化そうと素気なく言うのだけれど、顔を逸らし際に見た先生の表情は、端的に言って「ニヤニヤ」だったから誤魔化しきれてないのだろう。きっと。というかお母さんの前でする話じゃないと思うんだけどなあ。
「……ですけれど、子供のやることだからといって、もう二人ともその、ちゃんとしたお付き合いをすることも考える歳でしょうに…」
で、そのお母さんはまだなんかグチグチと言っている。
まあわたしとしては、今さら一般論に擬してわたしと秋埜の関係に水を差されたって動揺することは無いのだけど。
ただね、やっぱりこれだけは言っておかないと、とは思う。秋埜のため、ってこともあるけどわたしが納得出来ないからだ。
「言いたくはないですけど、やってはいけないことをやった大人が何言ったって説得力ないですよ」
「………」
まあ、ね。ちゃんとしたお付き合いじゃない、って言われるのは仕方無いとは思うんだ。今のままじゃ。
それを見返すっていうか、それがどうした、って最後に言いたいがためにわたしはこれからやっていこーって思うから、今は甘んじて受け入れる。
「どんな理由があるにしても、お父さんと秋埜を裏切ったことは間違い無いんです。でも、わたしはそれでも、一つだけは感謝してもいいかな、って思います。いまのところは、ですけど」
だけど、どうせこれからも顔を合わせる関係にはなるだろうから、生意気なことを言う子供だ、とばかり思われているのも上手くない。
ので、少し……ええと、こういう時なんて言うんだっけ?デレる、だっけ。星野さんが言ってたような気がする。
「それで秋埜は、わたしのことを性別とかそんなの関係なく好きになれた、って言ってくれました。今は本当に、それでよかったって思うんです。道はいろいろあっちこっち行っちゃってましたけど、わたしが秋埜と出会えたことだけは感謝します」
ありがとうございました、ってここは心の底から頭を下げたのだけれど、顔を上げてみたらばお母さんはなんともびみょーな顔になっていた。まあそれもそうか。捉えようによってはただの皮肉だものね、これじゃ。
「……ふふ、あんたもなかなか言うじゃない」
「別にやりこめよーってつもりは無いんですが。……お母さん、ごめんなさい。生意気に聞こえたかもしれませんけど、割と素直にそう思っているので、出来れば気を悪くしないでもらえると。はい」
「………はあ」
お母さん、すっかり毒気の抜かれた顔になって、わたしをぼーぜんと見ていた。
実のところ、その後の話というのもそこそこ長くなったから、帰る頃にはもう家に電話を入れておかないと怒られる時間にはなっていた。
長くなった理由というのは、お母さんが不倫という関係に至ったじじょうについて、あーだこーだと話していたからだ。といっても、わたしからすると温い自己弁護とゆーか、悪いとは思っているけれどなんかいろんなものが妨げになってゴメンナサイが言えません、としか聞こえなかったのだけど。
「…そういうガキっぽいところは昔から変わらないのよね、あの人」
「先生も似たよーなとこあるじゃないですか。昔は知りませんけど」
「ちょっと、どういう意味よ」
どういうも何も、そのまんまだと思うんだけどなあ、と校内放送でわたしを呼び出した時のことを、そっくりそのまま言ってやったらその後車の運転は大分大人しくなっていた。五分くらいしか保たなかったけど。
なにせ、だ。秋埜のことでわたしに腹を立てていたとはいえ、教師が生徒を呼び出すのに校内放送を私的に使い、よりにもよって「直ちに出頭しやがれ」とかやってたのだから。
まあ、その時は大人しく顔を出したら学校のえらい先生にペコペコ謝ってる場面に遭遇したから特に恨みとも思ってないけれどね。
「……あ、秋埜からだ」
「あら。どこ行ってたかもうバレたの?」
「来る時言いましたけど、秋埜なら多分気付いてますよ。もしもし?」
高速道路の途中で秋埜からかかってきた電話に、わたしはいつもの調子ででた。
『……センパイ、オバさんとのでぇとはたのしーすか?』
……なんかえらい拗ねた口調だった。もしかしてお母さんのトコに行ったのを気付いてないのだろうか。だとしたら秋埜への評価がちょっと変わる事態なんだけど。とてもかわいーなー、って思える方向に上方修正で。
「楽しいと思うんなら代わってあげようか?」
『やですよ。オバさんの運転だとうち車酔いするんすから』
「まあそりゃそーでしょーね」
「ちょいと中務。私の悪口で盛り上がってんじゃないわよ」
まるで秋埜が何を言ってるのかバレバレみたいなことを言う。ていうか自覚があるなら多少は改めてくださいってば。事故ったりしたら秋埜もお父さんも悲しむでしょーが。
「まあ、とにかく先生とデートよりはマシなことやってたわよ。帰ったら話してあげるから、今日のところは秋埜も早く寝てて。ね?」
『うい。まーセンパイが無事ならそれでいーです』
「ん。最後まで無事かどーかは先生次第だけどね」
隣に本人がいる状況で当人をネタに盛り上がるのもどーかとは思うのだけど、わたしも秋埜もほぼほぼ本心で言ってるのだから、冗談のつもりはない。
先生もそれが分かって苦々しい顔になっていた。まあ今日のところは早く帰りたいから、反省するなら明日からにして欲しい。
秋埜とはあと二言三言言葉を交わして、すぐに電話を切った。余人を交えた空気ではあっても、このまま話していると何を口走るか分からなかったからだ。
つまるところ、わたしは今すぐにでも秋埜に会って、わたしの決意とかお母さんとこれからどう接していくのかとか、話したいことが山ほどあるのだ。
本当に。問題が山積しているというのに。
「ご飯、どうする?」
「あ、わたしは別にいいので早く帰りません?」
「あんたがそれでいいならいいけどね……あー、やっぱダメだわ。こっちのお腹が空いてスピードアップしたくなる。途中のサービスエリアに入るわよ」
「……次はわたしが運転しましょうか?」
「イヤに決まってんでしょ。この車を他人に運転なんかさせてたまるか」
それ以前に運転免許持ってないのだけどね。
でも、そんなこともわたしの、これからやりたいことの一つに入るのかもしれないな、って思いつつ、わたしは明日秋埜にどう話そうかと考えて……。
「……なんだかんだ言って馴れてんじゃない。張り合いのない」
……いつの間にか助手席で、穏やかな眠りについてしまったのだった。
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