第17話・黄昏時に涙零し
「センパイ今回はまたえげつない成績でしたねー…」
「えげつないって……他に言い方無いの?」
前学期の中間テストの結果が張り出された掲示板前で、秋埜に褒められたのだかけなされたのだよく分からない感想を述べられていた。
「いやだって…うちからしたら学年三位とかわけわかんねーすよ。オリンピックで言ったら銅メダルすよ?」
「あのね、秋埜あなた知らないだろうから言っておくけど、三年になると国立と私立の文系理系に貼り出しが分けられるの。わたしはあくまでも、国立文系の中での三位。他のクラスと一緒にしたらかろうじて一桁よ」
「その一桁を三年になってもキープしてられるセンパイがはんぱないんですけど」
そんなものだろうか。
といって、わたしにはそれなりの目標というものが出来たのだから、がんばるのは当たり前だと思うんだけど。
「それより秋埜だってスゴいじゃない。今まで百番辺りをいったりきたりだったんでしょ?突然五十番以内とか何やったの?」
わたしの経験上、五十番のすぐ後ろ辺りまでは普段のやり方をしっかりやってくだけでもなんとかなる。
でも五十番を切るのは…かなり意識や勉強の仕方変えないと難しいはず。秋埜は今まで学年一位常連の今村さんと一緒に勉強してるだけあって、特に気負わず勉強してるだけでも、貼り出しに名前載るトコ(二年生までは百番以内が貼り出し圏内だ)までは普通に出来ているのだけれど、そこから一気に五十番以内っていうのは、何かよっぽどの変化が無いと難しいと思うんだけどな。
秋埜は地毛の色は薄色の茶色で、少しクセもある髪をわりと雑にまとめてるだけで、見かけはギャルっぽいと思われなくもなく、わたしも最初はそういう外見で意外に成績も悪くないことに驚いてたりもしたけれど、今度のは本来の秋埜を知っていてもちょっと驚きなのだ。
「まー、うちもいろいろと思うところはあるわけで。それよりセンパイ、ひと増えてきたんでそろそろ帰りません?」
「そうだね」
そんなことを考えていたら、だんだん人が増えてきた。やっぱり今年度初めての定期テストの結果張り出しということで、注目は多いのかなあ。
「秋埜、いこ?」
「ういす」
手を繋ぎこそしないものの、それでも腕や肩がくっつくくらいの距離でわたしたちは掲示板を離れる。一年生みたいな男子生徒が、わたしと秋埜の距離が近いことを訝しむようにしてすれ違っていったけど、まあそんなもんかな。二年生、三年生には割と当たり前みたいになってきてる、らしい。星野さんの談によれば。
まあそれでおかしな噂を立てられたり、ヘンに絡んでくるコがいるわけでもないからどうでもいいんだけど。
張り出しが出される時間というのは、テストの採点と集計が終わるとすぐ、ということのようで、そのためか毎回決まっているわけじゃない。
張り出しがされた、って学校からお知らせがあるわけでもないから、今日みたいに放課後になってから張り出され、生徒同士で知らせあって掲示板のところに三々五々、って感じになることもよくある。
わたしと秋埜は、帰る時にたまたま通りがかったらついさっき張り出されたところみたいだったから、話を聞きつけてやってくる生徒の人並みに逆らって玄関に向かう中、並んで歩くのもちょっと…って感じになっていた。
「センパイセンパイ、らいしゅーあたり、どすか?」
「うーん……そーねー」
そして、わたしが前に立って歩いて秋埜がその後ろからついてくる、という体勢になると、多分秋埜は頭の後ろで手を組んだ格好で、前を歩くわたしに話しかけてきた。
「…予備校終わった後ならいいけど」
「まーたそれっすかー。もー、最近センパイつき合いわるいっすよー。愛しの恋人ほっぽといて何やってんすか」
「勉強以外に何があるってのよ」
「…そりゃそーですけどー。うーん…」
まあ、秋埜がごねるのも無理は無い。実際、テスト前の週末の夜にはこんなやりとりもあったのだし。
『えー……センパイのいけずー…』
「…そりゃあわたしだって遊びには行きたいわよ。でもね、秋埜。流石に受験生としては毎週遊びにいってるってのも体裁が悪いでしょ」
『でも先週まではそんなこと言ってなかったじゃないすかー。心変わりするにしてもとーとつ過ぎません?』
「反省したその瞬間に人間は生まれ変わるものよ」
『…なーんかおかしーなー。うちに隠し事してません?』
「………」
実はしてないこともない。っていうか、秋埜にも関わることなんだけれど、まだその時期じゃないと思う。
『……麟子センパイ?』
「聞いてる。大体ね、わたし浪人なんかするつもりないからね。落第させて再来年一緒に大学一年生になろう、なんて話ならお断りです」
『ちぇー…』
…これは考えてたなー。
まあわたしだって一緒に大学入って仲良く授業受けましょう、なんて場面を想像するのも楽しくはあるけど、わたしは少しでも早く一人前になりたいのだから、最短ルートを突っ走る他ないのだ。
だけど、電話口からでも意気消沈してるのが分かる秋埜がかわいそうではあるから、言ってはおく。
「秋埜。夏はどっか遊びに…海にでも行こ?わたしたちまだ水着とか見せっこしてないじゃない。秋埜のためにいろいろ準備しておくから……楽しみにしててよ。ね?」
『…………(ごくり)』
…なんだか息を呑む音がする。
あの子、わたしに何を期待してるんだろーか。ちょっと人参が大きすぎただろうか。
『…わかりました。じゃあそれはそれとして来週はー…』
「あ、ごめん。来週から土日は予備校行くから」
『センパイのうわきものーっっっ!!』
「なんでよ……」
…うん、後で考えるとなんてホノボノした会話なんだろー、って思うけれど、その時はなんていうか…うーん、難しい時期だなー、って。何が難しいか、と言われても、いろいろ、としか言い様が無い。
「センパイ、予備校終わるのって何時頃すか?」
「日曜なら四時には終わるけど。何かおやつでも食べに行く?」
「甘いものですか。悪くないすねー。でもセンパイ、甘い物あまりとらないようにしていたのでは?」
そうなんだけどね。
けど、秋埜に乞われて、じゃないけどもう少し脂肪つけてもいいかもな、って思ったのと…実のところ、勉強疲れで体と頭が甘い物を欲している。ような気がする。
まあとにかく、ここしばらく休みの日も秋埜とはいろいろ込み入った話も出来ていなかったのだし、予備校が終わった後にちょっと遠回りしてみよっか、みたいな話になったのだ。
・・・・・
で、日曜日。
わたしが予備校から出てくると、ガードレールにお尻を預けた格好の秋埜がすぐ目の前にいた。
「おまたせ。待った?ヘンな男の子に声かけられたりしなかった?」
「だいじょーぶっすよ。うちナンパあしらうのは慣れてるんで」
「それ全然大丈夫じゃないでしょ」
わたしと外で会う時は、基本的にパンツルックの男装の麗人、という趣きの格好が多い秋埜だったから、今日も並んで歩くと男の子より女の子の目を惹きそうな装いだ。それでもナンパされるという辺りり、そもそもの外見の良さを証明しているというもの。ふふふ、このコわたしの彼女なんだぞ、って威張りたくなる。
でもまー、お陰で一緒にいるわたしには女子からのやっかみ含みの視線が浴びせられて、それはそれで新鮮な体験だなあ、って思ったのが秋埜とつきあい始めてからの新感覚だったりするのだけれど、それはともかく。
「で、どーします?」
わたしが出てくるまで眺めていたスマホを上着のポケットに仕舞うと、待ちぼうけだったことなどおくびにも出さない男前っっぷりを発揮しながら聞いてくる。
「うーん、頭いっぱい使ったから、歯が浮くくらい甘いもの食べたい」
「またセンパイにしてはめずらしーリクエストすねー。いーすよ、調べておきましたから」
じゃあいきましょ、とさり気なく且つ当たり前のように手を繋いでくる。いやもう、この見事なエスコートっぷり、どこに出しても恥ずかしくないでしょ。このコわたしの彼女…もうそれはいいか。
そして秋埜に手を引かれながらやってきたのは、これから暑くなるという時期にしては珍しい、鯛焼き屋。
いやまあ、紅茶コーヒーより日本茶がお好みのわたしとしては、これにあつーい渋茶の一杯でも頂ければ完璧なんだけど、秋埜にしては比較的珍しいチョイス。
「中身のバリエーションが多いらしーんです。カスタードから生クリームは当然として、たこわさなんてものもあるとか」
……それお酒のおつまみじゃないの?
なんていうか、時々大外れしてくれる秋埜の味覚は相変わらずみたいだった。普通にごはん作るとわたしなんかよりよっぽど上手なのに、なんでだろうか。あと生クリームが鯛焼きの中身?焼いたら溶けちゃうんじゃないだろうか。
「なんでも焼いてから注射器みたいなのでちゅーって入れるみたいすよ。さささ、そーいう能書きはいいから、センパイもチャレンジしてみましょ?」
「しないわよ。食べ物で遊ぶような教育はされてません。この…えーと」
「あ、おじさーん。こちらのお嬢さんに液体きな粉と黒蜜ムースのハーフ&ハーフひとつー」
「本人無視して不気味なオーダーをするんじゃないのっ!」
「……でも悪くはなかったでしょ?」
「……不味くはないけど、また食べたいとは絶対に思わない」
結局、液体きな粉というのを食べさせられしまった。自分で食べればいいのに、流石に四つは食べられない、とかでおしつけられてしまったのだ。
まあ正直、もにゅっとした食感ときな粉の味が絶妙にマッチしてないせいで口の中が不穏な雰囲気になっただけで、味そのものは普通のきな粉だったのでのみ込めないというほどのものではなかった。これは鯛焼きじゃないと必死に自分に言い聞かせて食べている限りは。
「はい。お口直しにどーぞ」
「……ありがと」
もう大分日の傾いたショッピングモールの休憩スペースで、ベンチに腰掛けたわたしたちは、ペットボトルのお茶で不思議な後味を洗い流す。不気味とまでは言わない辺りが、愛想のやたらよかった鯛焼き屋のおじさんへの礼儀というものだ。
「………」
「……にぎやかっすねー」
まあね。
日曜の、もうすぐ夕飯の時間になっても、市内でも有数のショッピングモールは買い物のお客さんの流れは引きも切らない。
わたしたちはそんな中、自分たちの周りだけ時間が止まったかのような空気を醸し出していたのだけれど、秋埜がぽつりと言った一言に。
「…いいなあ」
…わたしは、その目の向けられた先と、その言葉を口にした秋埜の横顔の間でわたしは視線を往復させてしまう。
秋埜がどこか懐かしそうに、悔しそうに見ていた先には、、まだ若い夫婦とその娘さんと思われる小さな女の子がいて。女の子は、帰りたくないとでも言うようにグズっていたところを、お父さんもお母さんも「しかたないなあ」って風に、叱るでもなく急かすでもなく、屈んで目線を合わせ、苦笑混じりに宥めているところで。
「……秋埜にもああいう覚え、あるの?」
隣に座っている秋埜の存在を確かめるように、わたしはその腿にのせられた秋埜の手に自分の右手を重ねる。
秋埜は目を落とさず、手のひらをひっくり返してわたしの手を受け止め、きゅって切なくなるような仕草で、握ってきた。
「……そりゃあ、ありますよ。父さんも…あの女も、うちの小さい頃はああして一緒にいてくれた時期だってあるんすから」
あんまり記憶には残ってないすけど、と呟くように言った時の秋埜の顔は見ていない。わたしも、秋埜が見ているものを一緒に見ていたから。
代わりに、わたしの手を握る力が抜けてしまったように思えて、それでとても心細くなったわたしは、手だけでなくもっとふれ合いが欲しくなって、肩をぶつけるとその勢いに乗じて頭を秋埜の肩に預けるように傾げた。秋埜にいいにおいが鼻孔をくすぐり、思わず「…んっ」って甘えた声がでる。
「センパイはあまえんぼさんですねー」
「…うるさいな。秋埜がなんだかさみしそーだからサービスしただけよ」
「……ほんとセンパイは、うちのよろこぶツボを心得てますねー」
前にも同じようなこと言われた覚えがある。わたしは、わたしのしたいようにやっているだけだよ、ってその時と同じことを思った。
「じゃあ、うちも」
手を繋いだまま、秋埜も頭を傾げてわたしの頭とごっつんこ。傍から見たら「なにやってんだろ」って思われるんだろうなあ。そんなのわたしにも分かんないのに。
そのまま、バカバカしいことに何も話さず身動ぎもせず、時間は過ぎた。
気がついたらモールの通路にある時計が能天気なメロディを耳障りに響かせていた。いーとこなのに邪魔すんな、って睨んだらちょうど六時を指したところだった。そろそろ帰らないといけない時間だ。
「……あきの、そろそろ帰…」
「センパイ」
なんだかもったいなけれど、お腹も空いてきたことだし帰ろうか、と促した時だった。
首を巡らし秋埜の左頭の髪の房に鼻を突っ込んだわたしを呼ぶ声に、動きを止める。
なんだか思い詰めたような、絞り出すようなその響きに、わたしは予感めいたものを覚えて耳を澄ます。モールの、たくさんのひとのざわめきが頭の中から消えた。
「…うちだって、このままでいいと思ってるわけじゃないんです」
「………」
「オバさんも父さんも、あの女が戻ってきたことでいろいろ考えて、センパイもうちのために動いてくれてるんだって、分かってるんです」
「うん…」
「……でも、やっぱり許せない。あの女のしたことが、うちと父さんと、オバさんと…藤原の家のひとたちをどれだけ苦しめたのか、本当に分かって、うちの前に姿を現したのか、って、とてもそうは思えなくって」
「……そうだね」
「だけど、センパイのこと好きになるのを自分に赦したのは、あの女が無茶苦茶やって、それでうちは父親とか母親とか家族とか、もうそんなのどうでもよくなって、だからセンパイのこと好きになれて……このまんまじゃいけないってことくらい、頭では分かってるんです。でもうちがそれを赦したら、センパイのこと好きになった自分じゃなくなる。だから、うちは…」
「いいよ」
わたしも、正直怖い。秋埜が、わたしを好きになった理由のひとつがお母さんへの拒絶に根ざすのだとしたら、秋埜がお母さんを許してしまえば、ってどうしても考えてしまう。
でも、それが秋埜のためになるかどうか、は別の話だ。
わたしは、どうしたいのだろう。
秋埜がお母さんとちゃんと向き合って、そして過去にあったことが自分の辿ってきた道にも繋がっているって気がついて、違えていた道が正しく繋がったりしたら、わたしと秋埜の道はまた離れていってしまうのだろうか。
「秋埜がしたいこと、なりたいものを聞かせて」
でもね。
わたしは秋埜が好き。好きなひとが辛い目にあったり苦しんでいるのを見過ごして、自分だけが秋埜のことを好きなことに溺れていたら、それはもうわたしじゃなくなる。
一緒に歩いていこう、って誓った日のことを思う。
乗り越えてきたものの大きさと、二人で歩いてきた道のことを思う。
「……センパイのこと、好きな自分でいたいです…それだけなんです、うちは。本当に…だけど……」
そこから先は言葉にならなかった。
秋埜の手に重ねていた自分の手は、そっとその肩を抱くために彼女の体にまわした。
声を忍ばせて泣く秋埜。もう、通りがかるひとが怪訝な顔でこちらを見ていることなんか気にもとめなかった。
あるよ、まだ。
わたしと秋埜が、できること。
秋埜がわたしを好きでいて、わたしが秋埜を好きでいるためにできること。きっと、ある。
そう思って、嗚咽の洩れ始めた秋埜の顔を、わたしは自分の胸におさめて、その涙でデートのつもりで着込んできた一張羅が濡れるのも構わず、秋埜の気が済むまで頭を抱いていたのだった。
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