第16話・頼れるひとがいるってことは

 これで何度目になるのか分からないのだけれど、ほんとーに自分は受験生の自覚があるのか、自信がなくなる。

 だって、また今週の日曜日も…デートに興じてしまってるんだもの。


 「仲の良い友人と遊びに来てる、と言い換えれば良いんじゃないかしら?」

 「そうは言いましてもね、緒妻さん。わたしが秋埜と、緒妻さんが大智と来てるんじゃ、誰がどー見たってダブルデート、ってやつじゃないですか」


 それの何が悪いのだろう、みたいな顔で小首を傾げる緒妻さん。相変わらず良い意味で年甲斐のないひとだと思う。まるでわたしがおばーちゃんみたいだ。


 先週の秋埜とお母さんの顔合わせは…失敗とか成功をうんぬんする問題じゃないのだろうけれど、それでもどちらだったかを論ずれば、まあ失敗だったと思う。それも頭に「大」がつくクラスの。

 失敗といってもわたしにとっては「秋埜のケアをする」という意味においての失敗だったから、ひとによっては評価も変わることだろう。

 秋埜にとっては、その後は何の接点も無くてお母さんとのことなんか何もなかった、みたいな顔をしてられるのだから、失敗だったとは言えないのかもしれない。

 お母さんはどうなのだろう。相原先生にその後どうなったか聞いたのだけれど、やっぱり娘に「死んでしまえ」とまで言われたことにショックは確かにあって、けどそう言われても仕方無い、って気丈に笑っていたそうだから、わたしとしては内心ホッとした部分もあるのだ。相原先生、いちおーは医者の端くれみたいな人だからそーいう部分はちゃんと見てくれるだろうし。


 …でもまあ、わたしにとっても、だな。

 女の子同士で付き合っている、という事実に対して「それはおかしいことだから医者に診てもらおう」とまで言われたことは、やっぱり……うーん、モヤっと、っていうかザワザワというか…………取り繕っても仕方ない。

 わたしはこれまで、秋埜との関係を自分の家族、秋埜のお父さん、相原先生、友だちにも知られて否定的な反応は無かった…ううん、違う。教えても自分たちを傷つけることのないひとたちにしか、教えてはこなかったんだ。

 でも、秋埜のお母さんの反応はきっと、これからわたしたちが一緒に世の中に出ていこうとした時に自分たちに叩き付けられるだろう反応の、その一部なのだと思う。

 秋埜は、わたしとこうなることの壁を乗り越える力に、お母さんとの関係がなってしまった。

 それならわたしは、自分たちの関係を誇れるようにするため、お母さんと向き合わないといけない。

 それは秋埜のお母さんだから、という理由だけじゃない。もちろんそれだって理由の一部ではあるけれど、手を繋いで歩いていこうと決めた彼女の抱えるものなら、わたしだって一緒に分け合いたいものだと思うから。


 「せんぱーい、こっちのクレープいまいちだったのでセンパイのと交換してくれません?」

 「…あなたそれ二つ目じゃない。わたしのはちゃんと狙ってた一つ目なんだからイヤにきまってるでしょ」


 その愛しの恋人はとても食い意地がはっていた。

 集まって最初に来たのが、秋埜が興味あったという創作クレープのお店で、食べ物で冒険する気のないわたしは比較的オーソドックスなものを選び、「んー、期待してたほどじゃないすねー」とさっさと二つ目に挑んだ「お好み焼き風」とかいうのがどうもハズレだったらしく、わたしのチョコバナナシナモン風味をよこせと意地汚いことを言うのだ。


 「アキー、リン姉を太らすんじゃなかったっけ。甘いものの方が脂肪つくだろうからそそのかして二つ目食べさせた方がいんじゃね?」


 などと乙女の敵みたいなことを言う大智も、緒妻さんのステディとして当然ここにいる。部活はどうしたんだろう、って聞いたら今日は一年生の新人戦で二年以上は活動なし、だって。そういえば大智も二年生なんだなあ、って秋埜と同い年なんだから当然なんだけど。


 「それはいいなっ。じゃあセンパイ、うちはこっちのハチミツ入りティラミス風ってのにしますから、センパイはこのキウイカスタードチョコレート掛けってのをですね…」

 「名前からして胸焼けしそーだからやめて。もう、美味しくなかったなら半分食べてあげるから、代わりにわたしのも半分お願い」

 「わーい、センパイやっぱりやさしー。はい、あーん」

 「あーん、じゃない。ほら交換するから半分食べて」

 「…お麟ちゃんと秋埜ちゃんのやりとりの方がよっぽど甘々じゃない」


 それはどうだろう。緒妻さんと大智には負けると思うんだけど…って、そういえば並んだ時の距離こそいつも通りだけど、なんだか二人の間の空気になんだか熟年夫婦のよゆーのようなものが……もしかして?


 「……な、なんかお麟ちゃんの目付きが不穏なんだけど」

 「なんでもないです。それより食べるもの食べましたし、行きましょうか?……って、秋埜わたしの全部食べてどーすんのよっ?!」

 「もぐもぐ…あ、センパイごちそーさまでした」


 わたしの分だけでなく、結局自分のお好み焼き風クレープも全部平らげていた秋埜だった。




 集まってどこへ遊びに行こう、って話になって、結局また上野になっているわたしたちだ。

 もっとも、前に緒妻さんの受験壮行会とかいう名目で集まった時と違って、今回は博物館とか美術館とかのアカデミックな方向だけど。何せ大智がオトコノコっぽさを発揮して国立科学博物館がいい!と強烈に主張したものだから。


 「オズ姉、疲れた?」

 「…そうね。けっこう歩いたものね。秋埜ちゃんはまだ元気そうね」

 「当然っす。あ、チー坊?恐竜のとこもっかい行こうか」

 「アキは動物好きだなー。俺は宇宙のとこ行きたい」

 「両方行くか。麟子センパイ?」

 「あ、わたしも疲れたから緒妻さんと休んでる。二人して行ってきて」

 「……せんぱぁい。うちとチー坊二人きりにして心配になりません?」

 「今更大智にやきもち妬いてどーするのよ。ほら、気にしないで行ってきて?」


 客でごったがえす…ってほどじゃないけど、子供に連れ回されて疲れたお父さんやお母さんたちと一緒に、わたしと緒妻さんは館内の休憩スペースで休むことにして、秋埜と大智を送り出した。けんかでもしてそーな勢いで話ながら行きたいところに行く二人の姿は…まあ、多少妬けなくはないけれど。


 「…ふぅ。静かになったわね」

 「ですね」


 でも、わたしはちょうどいい頃合いだと思って、ペットボトルのお茶をあおって口を湿らせた。

 今日のお出かけのお誘いは大智からだったけれど、わたしとしては緒妻さんに相談するいい機会だと思ったから、渡りに船というものだ。


 「で、お麟ちゃんの方も何かお話あるみたいだけれど?」


 早速緒妻さんの方から水を向けてくる。察しがいいというか、何度か二人に気付かれないように話しかけてたからなあ。当たり前か。


 「ですね。緒妻さんにも聞いて欲しかったっていうか、わたしひとりだとちょっと荷が重くて」

 「お麟ちゃんがそこまで言うのは珍しいわね。いいわよ、お姉さんに相談してみて」

 「あはは…緒妻さんがわたしのお姉さんっていうのは願ったり叶ったりですけど、そーですね、どこから話したらいいものか…」


 多分秋埜と大智のあの様子じゃあ、しばらく帰ってはこないだろう。

 わたしは、考えた末に秋埜のお母さんが電話をかけてきた時から起こったことを、なるべく省略するところのないように詳しく説明したのだった。


 「……そう」


 先週の相模湖での出来事を話し、相原先生から聞いたお母さんの様子まで一通り話し終えると、緒妻さんは聞き疲れた様子も見せず、でもどこか辛そうな切なそうな、そんな顔つきで目を伏せていた。

 わたしの敬愛する先輩であるところの緒妻さんだから、きっとわたしと秋埜の関係について心ないことを言われたことについて心を痛めてるのだろう。

 それに甘えるわけにはいかないけれど、気遣いは本当にありがたいと思うから、そのまま緒妻さんが言葉をかけてくれるのを待つ。


 「……秋埜ちゃん、お麟ちゃんには辛い出来事だったとは思うの。でも、あなたたちが今までの関係を続けている限り、その秋埜ちゃんのお母さんが言ったようなことを、他のひとからも言われることはこれから先もあるわ」


 …本当に、緒妻さんはわたしとひとつ違いとは思えないくらいに物事を深く考えるひとだ。普段はわりとおーぼけなお姉さんなんだけど。


 「私は二人の友だちのつもりだから、そんな関係を祝福してあげたいの。だから相談してくれたことは嬉しく思う。そこのところを分かってもらった上で、少し厳しいことを言っちゃうけど…」

 「はい」

 「秋埜ちゃんは、どうするつもりなのかしら」

 「秋埜は…秋埜はきっと、お母さんのことなんか無かったことにしたいのだと思います」

 「そうね。いろんなことが突然起こって、深く考える余裕も与えられないまま、次から次へと自分たちが自分たちでいられなくなりそうなことになってる。それは逃げたくもなるわよ。でも、逃げてばかりはいられない。いつかは…お母さんのことを無かったことにしておけなくなる時が来る。その時はどうするのかしらね。お麟ちゃんも、よ」


 お母さんのことを無かったことにして。

 それで、お父さんと一緒に暮らし、わたしと一緒に歩き、そして幸せになりたいんだろう。

 わたしとしては最後はそうありたい、ってもちろん考えている。

 けれどそのためにしなければならないこと、っていうのはいくつもあって、秋埜が考えないようにしているお母さんのこと…に象徴される、わたしたちを取り巻く様々な物事から逃げるわけにはいかない。

 だから。


 「…このままにしておきたくないです。秋埜を。わたしも、お母さんを心の底から憎んでいるような秋埜は辛くて見てられません」

 「じゃあ、お母さんと一緒に暮らして、それで上手くいくのかしら?」

 「それは……難しいと思います。でも」


 わたしは残っていたお茶を空にして、しばし迷うように中空に視線を漂わせ、その先にあった仲のよさそうな三人の親子連れに目がとまると、微かに起こった胸の軋みを忘れてはならないもののように覚えて、言葉を続ける。


 「でも、そこまでいかなくたって、お母さんとお父さんが一緒にいて、自分が生まれたってことを、そしてわたしと出会ってくれたってことを、受け入れてくれるだけでも……わたしと秋埜が、世の中に胸を張って生きていける力にはなると思います。今のままの秋埜じゃあ、わたしを好きになってくれたことまで最後には否定しちゃいそうで、少し……怖いです」


 言葉にしてみると、自分のしたいことが整理出来る。

 わたしは秋埜が好き。わたしのことを慕ってくれて、見守ってくれて、そしてわたしの背中を押してくれて、振り返るといる子だと思ってた子が、隣で手を繋いでくれた。

 わたしの歩いて行く先を、秋埜の歩いていく先と重ね合わせて生きたい。

 そんな大げさなことでもないって思って、でも今はそれすらも危うい時なのだろう。

 秋埜が、その危うさに気がついて、そして自分の歩いてきた道を見直す力になりたい。辿ってきた道を失えば、行く先すら見えなくなることだってあるんだって、一緒に考えていきたい。


 …そういうことなんだ。わたしが秋埜と一緒にいるってことは。


 「時間は、かかりそうね」

 「でもわたしはやり遂げたいです。秋埜に、わたしを好きでいて欲しいです」

 「そう。がんばってね」


 それくらいしか言えない不甲斐ない先輩だけど、って緒妻さんは優しく笑っていたけれど。

 そんなことないです。わたしが迷っている時に、声をかけてくれてわたしに決めさせてくれました。

 わたしは、けっこう幸せなのだと思う。

 緒妻さんも、秋埜も、大智も、学校の友だちも。わたしの周りには、わたしが迷う姿を見て、自分で気付かせてくれるひとが、いっぱいいる。

 ……まー、そういう意味では相原先生もかあ。今度顔をみたら感謝しておこ。調子に乗りそうだから、心の中で、ね。


 「…さて、充分休んだことだし私たちも、もう少し回りましょうか?」

 「ですね。あ、動物とかいっぱいいたとこ見に行きません?」

 「ここだけで一日が終わっちゃいそうね。いいわよ」


 ふふ、って緒妻さんが優しく笑ったところで、ほぼ同時に二台のスマホが鳴動。

 揃って自分のスマホを眺めてみると。


 「秋埜からですね。えーと、『チー坊がはなしになんないのでセンパイ合流しましょ』ですって」

 「こっちは大智からね。『アキのわがままにつきあいきれないからこっち来て』……短い友情だったわねぇ…」


 あははは、って一緒に笑う。

 まーそういうことなら、ここからは別行動でもいっか。


 「帰りの時間だけ合わせて、あとは普通にデートにします?」

 「いいわよ。じゃあ…」


 と、帰りの時間と待ち合わせの場所を秋埜たちに相談もせず決める。けんかばかりしてる子供たちに決定権などないのだ。

 立ち上がって空になったペットボトルを片付けようとごみ箱に向かう。

 そうしたら、ふと思いついたことがあった。

 我ながら唐突だったのだけれど、こーいうことは早い方がいいかな、って振り返り緒妻さんに言う。


 「緒妻さん。わたし、志望進路決めました。そのうち相談にのってください」

 「あら、国立文系ってだけかと思ったら、やりたいこと見つかったの?」

 「ですね。まー、結構茨の道かもですけど」

 「ふふ、そういうことならいくらでも。お麟ちゃんのやりたいこと、私にも手伝わせてね?」

 「もちろんです」


 どこか吹っ切れた気分だ。こんな簡単なことで将来の道を決めるというのも…ああ、うん、そうじゃない。きっとどこかで燻ってはいたんだと思う。それが、切っ掛けを得て表に出てきた。そんなところだろう。

 スマホがもう一度振動した。そういえば既読だけして返信してなかったっけ。きっと催促なんだろうから、ほっとこ。多分緒妻さんの方も、と見ると、緒妻さんは既に電話中だった。きっと大智とだろう。とても愉快そうだったから。

 わたしは、そんな緒妻さんの腕をちょっと突いて、わたしは行きますから、ってだけ伝え、手を振る緒妻さんに見送られるようにして、秋埜のもとへ向かう。

 待っててね、秋埜。わたしの人生に、きっちりあなたも巻き込んであげるから。

 今の決意を、そんな風に言葉にしながら。

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