第15話・わたしたちの間違い

 これは本当に意外だったことに、秋埜のお母さんは車でやって来ていた。

 こっちは割と納得のいくことに、高級車でもなく相原先生のよーな趣味丸出しの車でも無く、後部座席の狭い、古い軽自動車だったのだけれど。


 「…センパイ、せまいのでもっとこっち寄ってください」

 「狭いっていってもそこまで言うほどじゃないでしょ。っていうか、狭いんだったら寄らないほーがいいんじゃない?」

 「そこはそれー、くっついた方がいろいろいーじゃないすか」


 …ソレ、親の見てる前でしていいことじゃないと思うんだけどなあ。

 車内のバックミラーの中のお母さんと、一瞬目が合う。あんまり安心するような顔じゃなかった。

 わたしの視線に気がつくとサッと逸らして、運転に集中するように前を向いていた。


 「……あの、それで二人とも何を食べたいのかしら?」


 そして持ち出した話題は、本来の目的には違いないのだけれどなんだか上滑りしてるよーな感があって、わたしは空気が次第に居心地が悪くなっていくように思えるのだった。


 「べつになんでもいーすよ。センパイが言い出したんだから、センパイが決めてください」


 ついでに言うと、お母さんと秋埜の会話はまた頗る温度が下がり、わたし的にはなんだか針のむしろ状態、ってやつ?なのだけれど。こまった。


 「わたしだってお腹減ってるわけ……なので、なんかこう、いい感じのやつでひとつ」


 いー感じてなんなんすか…と、考え無しの秋埜が呆れた顔になっていた。誰のために道化になってると思ってんの、このコ。


 「…そうね、だったらちょっと遠出してみないかしら?昔行ったホテルのレストランがね、とても良い感じのところにあって。きっと秋埜も気に入ると思うの」


 秋埜、そんなことを言われてもぷいとそっぽを向いたまま。

 仕方なくわたしが白々しくはしゃいだ風を装って同意すると、お母さんはそれでも少しは楽しそうになり、心なしか車の速度も上がったみたいだった。


 それからは時折渋滞に巻き込まれたりもあったけれど、郊外の…ぶっちゃけ山の方に向かう車内は、まあお母さんが一方的にお話をし、秋埜は曖昧に相鎚くらいはうつけど基本的にはわたしがお愛想する、という時間を過ごす。

 ていうか、なんでわたしがこーも気をつかわなければならないのか。さすがに腹も立ったので、秋埜の脇腹に一回キツめのをお見舞いしたら、何故か喜ばれた。マゾか…じゃなくて、かまってもらえたのが嬉しかったみたいだ。

 まあ秋埜が嬉しいならわたしも悪い気分じゃなくて、ちょっとの間お母さんをほったらかしにしてじゃれあってたのだけれど……それが、まずかったのだろうか。


 「……あの、ちょっとききたいのだけど」

 「…はい、なんです?」


 お母さんが、運転席から何か困惑でもしているかのように話しかけてきた。

 例によって、ついでにわたしとのじゃれ合いを邪魔されて秋埜は「ふんっ」…って感じに横を向いてしまったので、やっぱりわたしが応じる。

 車はちょうど赤信号にさしかかって止まっていたから、鏡の中のお母さんとはばっちり目が合う。そして、困惑というよりは不安に移行した感じのものがその中に見てとれ、そろそろ信号が青に変わろうかというタイミングになったせいで……わたしは妙に緊張してその先を待つ。


 「……その、ふたりは…どんな関係、なのかしら?」


 どんな関係。わたしと、秋埜は。

 …思わずとーちほーで考えこむ。いえ、そりゃまあ胸張って「恋人関係ですっ!」……だなんて言えるわけないのだけれど、相手は秋埜のお母さんだし。あーでも相原先生にも止められてたしなあ。どーしよ……って、隣の秋埜を横目で見ると、やっぱり窓の外を見たまま、言った。秋埜が。


 「恋人同士。うちと、センパイは。それが?」

 「………えっ?」


 お母さん、思わず聞き直していた。そりゃそうだろう…っていうかなんかマズくない?…と焦り始めたわたしの肩を秋埜は急に抱いて。


 「ん。……はい、これで分かったっしょ」

 「………」


 …なんだか嘲るような、見てるのが辛い笑顔のまま、わたしに自分の唇を押しつけてすぐ離れ、そしてまたわたしに後ろ頭を見せる格好に戻っていったのだった。


 「…………」


 わたしはその…ミラーの中のお母さんの顔を見るのが怖くなり、秋埜と反対側の車窓の外に顔を向けて。


 「あ、ああ……そう、なの」


 信号はとっくに青に変わっていて、後ろの車からクラクションを鳴らされて、お母さんは動揺をどこかノンビリとも思えてしまう動作に隠して、けれどやっぱり車は急発進したものだからすぐ次の信号で前の車に追突しそうになって。

 …そんな感じに混乱したわたしたちは、それ以後一言も喋らずにどこか遠くへと運ばれていくような、具合だった。




 どこに連れていかれるのか、実は内心ヒヤヒヤしていたのだけれど到着してしまえば何のことはない、相模湖のホテルだった。

 ただ、ここに来るまでの間はやっぱり会話が一切成立せず、それだったら取り繕ったようなものであっても話くらいはしてた方が良かったなあ、って後悔しきりのわたしだったりする。

 だって、ね……さっぱり顔も合わせようとしない娘に、同性の恋人がいます、なんて特大の爆弾投げ込まれて、その後しーんとしてるとか……わたしにとっては気まずいなんてものじゃないもの。


 「……着きましたよ」


 車が駐車場に止まり、ようやく聞こえた人の声は、どうにかこうにか絞り出したという風に聞こえた。振り返ったお母さんの顔は……あー、うん、ひとの親にそんな顔させてるのがもーしわけないなー、と思えるような感じだった。


 「…………あの」


 それで、わたしも動き始める気になれず、秋埜は相変わらずだんまり。お母さんの方も車から出ようともせず何か考え事の最中…と思ったら、身体ごとこちらに向け、運転席と助手席の間から身を乗り出すような格好で、お母さんが申し出てきた。それはもう、おずおずと、といった感じで。

 そして、何を言い出すのか、とわたしだけが意味も無く緊張して待っていると。


 「秋埜……病院に行きましょう…?」


 ……………はい?

 いま、病院、って言ったのこの人?

 秋埜が?なんで?どっか体悪かったっけ…よく食べるし動きは素早いし、とてもお医者にかかる必要があるとは思えないんだけど…?


 「……いいお医者さんを知っているのよ。おかあさん、いろいろ悩んで体悪くしてしまって。それで、そのお医者さんに行ったらとても具合がよくなってね。だから、秋埜も……」


 …なんだろう。

 とても、途轍もなく、わたしに悪いことが起こる気がした。


 「……女の子を好きになるなんて、絶対おかしいことだから。お医者さんへ行って、治してもらいましょう?秋埜」


 オンナノコヲスキニナルナンテ、オカシイ、イシャデナオソウ


 …………ああ、なんだか、な。

 わたしと秋埜のやったことって、さ。

 そんなに、許されないこと、だったのかな。


 「…もう一度言ってみろ」


 押し殺した、それでも殺意とすら呼べそうな激しいものを滾らせる声がした。


 あきの、だめ。


 止めようとしたのだけれど、わたしの体は、頭のてっぺんから足の先まで、しびれたようにぴくりとも動かせず、わたしは秋埜がお母さんの胸ぐらを掴んで、今にも泣きそうな顔のまま、震え声で続けるのを、見守るしか出来なかった。


 「……もう一度言ってみろ、って言ってんだこの人でなしッ!!」

 「あ、あ………」


 ようやく微動した瞳だけで、青ざめたお母さんの顔を見る。秋埜の顔が見える角度にまでは動かせなかったから。


 「お前がどの口でそんなことを言うんだ!うちの大好きなひとを泣かせて!誰に言われても仕方無いことだけど!お前がうちたちに言うことだけは許さない!謝れっ、麟子センパイに謝れっ!!」

 「あ、………」


 泣いてる。秋埜が。ううん、わたしも。

 いつの間にか、じんわりと目からこぼれ落ちたものが頬をたどり落ちて行くのを感じて、それでわたしは呪縛が解けたようにようやく動かせるようになった両手で。


 「……あきの、やめよ?お母さん、困ってる」


 お母さんを掴んでいた秋埜の両腕をとり、弱々しくだけれど止めに入った。


 「センパイっ!!こいつ、コイツはっ、うちとセンパイのしてきたこと…いっぱい、いっぱい悩んで考えて、やっとひとつになれたのにっ!………ふざけるなこのバカ!死んじまえ!うちと、センパイと…父さんの前に二度と顔を見せるなぁっ!!」


 秋埜は、自分がどんな顔をしているのか分からないだろうけれど、その悲しみだけはきっとわたしに分かって欲しいだろうって、そう思えるように泣き叫んで、それからようやく掴んでいた手を乱暴におしやり、お母さんの体を手荒に離した。その反動でお母さんはハンドルに体を打ち付けてしまう。

 もしかしてすごく痛かったのかもしれない。自分のぶつかったハンドルにそのまま伏せて肩を震わせていたから。


 「…センパイ、帰りましょう」


 わたしの返事も待たずに秋埜は車を降りる。

 お母さんの様子が気にはなったけれど、きっと今一番傷ついているのは秋埜だ。放っておいたりは出来ないから。


 「……すみません、秋埜を追いかけます」

 「………ごめんなさい、お願いします」


 一応声をかけておいて、わたしも秋埜に続いた。お母さんがどんな気持ちだったのかは、分からない。


 「秋埜!」

 「…………」


 外に出た勢いからすれば、まだ大分近くに秋埜はいた。

 他に止まっている車の間を縫ってその背中に追いつく。かける言葉は見つからなかったから、スカートのポケットからハンカチを出して秋埜の前にまわり、こぼれ落ちるままに任されていた涙を拭ってあげた。


 「…せんぱい、うちよりセンパイの方が…」

 「わたしはいいって。こんなの…」


 袖で自分の顔をぐしっと拭く。

 化粧水だけしかつけてないからメイクがどうのなんて心配する必要無いのが、若さの特権ってやつだ。


 「なんすかそれ…」


 …って、言ってやったらようやく、困ったようにではあったけれど笑ってくれた。よかったと思う。


 「………はぁ」

 「………つかれたっすねー…」


 ……のだけれど、それにしても、これからどうしよう…。


 「ほっときゃいーすよ、あんなの。でも折角遠くまで来たんすから、デートでもして帰りましょ?」

 「ナイスアイディア、と言いたいとこだけど、帰るってどーするのよ」

 「さあ?あ、オバさんに迎えにきてもらいましょーか」

 「従姉妹が女の子とデートして帰れないから迎えに来い、ってのも先生にしたら業腹だろーなあ…」


 まあ調べればバスなり電車なりあるだろーし、あまり細かいことは気にしないことにする。秋埜のことが心配だしね。お母さんのことは……。


 「…秋埜。ちょっと電話してくるから待ってて」

 「もう帰るんすか?ちょっとそれはつれなすぎると思うんですケドー…」

 「違うわよ。あ、いや違わないけど、とにかく…えーと、あっちになんか建物あるし、そっちで待ってて」

 「うい。はやく来てくださいねー」


 お母さんのことなどすっかり頭から消し去ったみたいな顔で、秋埜は駐車場の外に向かって歩いていった。その背中を見送り、わたしは小さくため息をつくと、スマホを取りだしてとある人に、電話。


 「……もしもし?」

 『…その様子だと首尾はよくはなかったみたいね』


 まあ「とある人」も何もないんだけど。


 「上手くいくわけないでしょーが。問題は次に繋げられるかどうか、ってとこと……あと、先生。ひとつお願いしたいことが」

 『……なに?なんでも言ってちょうだい。こちらも負い目があるのだしね』

 「秋埜のお母さん、迎えに来て連れて帰って…は無理ですけど、ちょっと様子が心配なので、連絡してもらえませんか?」

 『……何があったわけ?』


 言葉にするのは難しかったと思う。

 特に、秋埜がわたしと恋仲だ、なんて話をした後にお医者さんの話をしだしたところなんか。

 でもまあ、わたしの掻い摘まんだ話を一通り聞いた後の先生の話は割と納得のいくものだった。


 『…そう。由津里さん、ちょっと精神的に病んでしまった時期があって、医者にかかっていたみたいでね。それで短絡的にそういう発言してしまったんだと思うわ。あんたや秋埜にはショックだったかもしれないけど…』


 どうなんだろう。秋埜があれだけ怒ったところ初めて見たし、ショックには違いないんだろうけれど…でも、ううん、だからこそ。


 「…秋埜、お母さんのことがなければいつも通りなんです。だから余計に心配で。わたしは大丈夫ですけど」

 『分かった。秋埜のことはあんたに任せる。こっちはとりあえず由津里さんに電話してみるから。…相模湖だっけ?っていうか、あんたたちどうやって帰るつもり?』

 「まあバスなり電車なりはあるでしょうし、なんとかします。じゃあ…」

 『ちょっと待った、中務』

 「はい?」


 そこそこ話し込んでしまって、秋埜が待ってるだろうからそそくさと電話を切ろうとしたわたしを、先生は少し慌て気味に止める。


 『あんたも。そんなこと言われて平気な顔してられるものでもないでしょうし、相談ならいつでも来なさい。いいわね?』

 「………」


 ……まあ、なんていうか。

 こんな状況だけど、というよりこんな状況だからこそ、魔が差したんだろーか。


 「……どーも。わたし、先生に初めて素直に感謝する気になりました」

 『大分参ってるみたいね』


 どーいう意味だ。


 まあ、こんなつまらないことで言い争いしてる場合でもないのだし。

 わたしは最後にもう一回、お母さんのことをお願いしてから電話を切った。

 そして秋埜が待ってるだろう場所へ、心急くままに足をはしらせる。

 わたしがいない場所で、ようやく悔し泣きでもしているだろうあの子のことを、何よりもいとしく想いながら。

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