第14話・駆け抜けるおせっかい

 次の日曜日。

 わたしは秋埜にどうしても、とせがまれて一緒にお母さんに会うために秋埜の家に迎えに来ていた。

 というかだな。わたしだって一応は受験生なわけで。この春の連休はさっっっぱり勉強に身が入らなかったから、この週末くらいは遅れを取り戻そうとしてたのだけれど、秋埜はそーいうわたしの事情に気が回らないくらい余裕が無いんだろうね。仕方ないけど。


 「さて、お父さんはそろそろ出かけた頃かな……あれ?」


 マンションの秋埜の家の前で呼び鈴を押そうとすると、中からどーも揉め事でも起こってる雰囲気。

 というか、秋埜の声が主で、お父さんの方は相変わらず穏やかに、言い返しもしないか反応してるにしても秋埜のような激しい反応じゃない。

 とはいっても、ほっといていい感じでもなかったからわたしは呼び鈴を押して、わたし来たよー、っていつも通りに呼ばわる。

 待つことしばし。その後ドタドタといまいち感情の読み取れない響きとともに足音が接近。扉の鍵が開くと同時に、「センパイ、はやくいきましょう!」……って、愚図ってた割にはなんか行く気満々な様子の秋埜が既に準備万端で、出てきた。


 「……おはよ、秋埜。お父さんは?あいさつしておきたいんだけど」

 「いーですからっ!じゃあ父さん、行ってくる!」


 あいさつもそこそこに、完璧なお出かけスタイルの秋埜は振り向きやけくそみたいなおっきな声で告げると、「センパイきましょ!」と、声くらいかけていこうとしたわたしを引っ張って、例えでもなんでもない勢いで家を飛び出していった。




 聞いてしまえば秋埜の言うことも分からないでもなく、けれどあのお父さんが秋埜にガンガン言われてしょんぼりしてるんじゃないか、って秋埜をちょっとたしなめてみたところ。


 「……センパイ、どっちの味方なんすか」


 などと、不満を隠さない顔で言われてしまった。


 「どっちの味方も何もないと思うんだけど。そりゃあさ、相原先生が先走ってお父さんに知らせたのは確かだろうけど、お父さんだって秋埜にだけお母さんと会うようなことさせたくはないんだと思うよ」

 「わかってます。でも、父さんだってあのヒトに酷い目に遭わされたんすから、自分が会うのは辛いはずなんす。だからうちが代わりに、って思ってひとりで行くって言ったのに、もう…」


 それはわたしが秋埜を差し置いてお母さんと会おうって思った時の気持ちに通じるところがあったから、わたしとしては「そうだね」って言う他はない。


 「大体、待ち合わせの場所からしていやらしーんすよ。あのひと昔っからこういう狡っ辛い演出ってゆーか、いやらしく先回りするってゆーか…」


 大きくため息の秋埜。わたしとしては別にいーんじゃないかと思うんだけどな。秋埜の家からそう遠くない場所だし。家から近い場所、ってことはきっと子供の頃の秋埜と、お父さんお母さんが一緒に訪れた思い出みたいなのもあって、それに縋ろうっていうつもりもあるのかもしれない。

 あざとい、と言えばあざといのだろうけど、そんな手を使ってでも秋埜と話をしたい、っていう意図が見え隠れするように思えるのは、秋埜に対するわたしの裏切りなのだろうか。

 直接会った時、「あ、このひとダメだ」とも思ったわたしの言えた義理じゃないのかもしれないけれど、あのお母さんは自分なりになんとかしたいとは思って、行動するつもりなのかもしれないな……なんて、秋埜にはとても言えない。自分から会ってもいい、って言いだした割に今日の秋埜はもー、なんていうかー…うん、もう流れにまかせよ。それがいいや。


 「……ってことがありまして、ってセンパイどしました?」

 「うん、お母さんの悪口言ってる秋埜が、すごく楽しそうで」

 「……マジすか」


 うん、マジ。

 …っていうよりか、待ち合わせに指定されたこの公園に来てから、ほとんど秋埜はおしゃべりを止めない。

 自分なりに緊張してる、ってのもあるかもしれないけど、見方によれば待ち遠してわくわくしてる風に見えなくも……さすがにそれはないか。

 ともあれ、秋埜の家からそう遠くないこの公園、日曜の午前中にもかかわらず、近所の子供姿やその親のひとの姿もちらほらで、びみょーな関係の親子が再会を果たすには……今思ったんだけど、秋埜のお母さん、こーいう親子連れの多そうな背景を狙って場所指定したんじゃないだろうか。秋埜が絆されて態度を軟化するとかなんとか。

 だとしたら、ちょっとわたしには賛同しかねる行動だ。秋埜はそこまで単純なコじゃないもの。


 「……センパイ」


 と思ううちに、秋埜の固い声がする。

 その視線の向かう先、公園の入り口には、先日会った秋埜のお母さんの姿。

 ややくたびれたスーツ姿だったこの間と違って、いくらかは着飾った様子。ちょうど、授業参観に来る母親のような……これ例えじゃ無くてそのままよね。


 「………」


 わたしの隣に立つ秋埜は、身を固くしてわたしの手を握ってくる。

 大丈夫、わたしがついてる、って気持ちでその手を握り返すと……。


 「こんなときになにするの、この子は」

 「…うー」


 自分の手の親指をつつつと滑らせてわたしの手を撫でてくれたのだった。いつもなら思わず愛しくなって肩をコツンとぶつけてあげるとこだけど、お母さんの前でそんなことするわけにはいかんでしょーが。まったく。

 まあそんな感じで、テンパっているのだか余裕たっぷりなのか分からない秋埜の待つ、この公園で一つしかないベンチの前までお母さんはやや躊躇いを見せつつ近寄ってきて、そうして秋埜の手の届きそうで届かない微妙な距離に立ち止まり、大きな深呼吸をする。


 「………あきの」


 それはもう、万感を込めた、といってもいいくらいの感慨深げな様子だった。

 どーいう理由からは分からないけど、会いたくてしかたなかった娘がようやく直接顔を見せてくれた、その喜びをどう表現していいのか分からない、ってところなんだろうか。


 「………」


 ただ一方、娘の方はこれまた一層に身を固くして、目を逸らすようなことこそ無いのだけれど……というか、もうぶっ殺してやるみたいな上目遣いを、血を分けた母親に向けていた。

 で、お母さんの反応。わたしのときとはえらい違う。わたしとはほとんど目を合わせようともしなかったのに、今は秋埜の殺気走った目付きで射られても平然としている。平然と、というか気にもとめていないように、見える。

 ……なんだろ、この妙にかみ合わない感。


 「………その、いろいろと、ごめんなさい。お母さん、秋埜にも篤さんにもたくさん心配かけて…」

 「………」

 「……ほんとう、反省しているの。だからお願いよ、秋埜、お話をしましょう?お母さんのお話を聞いてちょうだい。ね?」

 「………」


 わたしの手を握る力が増え…ることもなくて、むしろ逆に、秋埜の存在が手からこぼれ落ちるように思えるほど、その力は弱々しく思えた。お母さんを睨む顔の口元は歯ぎしりする音が聞こえてくるんじゃないか、ってくらいに噛みしめられているのに。


 「秋埜?」

 「………うい。わーってます」


 何か一言くらい言ったら?というつもりで繋がれた手の肘で秋埜のワキをつつくと、憎悪が酷くてみてられない横顔を少し緩めて、それで隣のわたしを安心させよーとかナマイキなことを考えつつだろー、ちょっとわざとらしい笑顔になって。


 「……話くらいは聞きますよ。産んでくれた恩くれーは感じてるんで。でもそれ以上のコトするつもりはねーです。顔見れたのは悪くない話すけど、もうこれっきりにしてください」

 「秋埜…っ、お母さんね?もう、あのひととは別れてね?それで、」

 「またうちに帰ってきたい、とか言ったらぶっ殺します」

 「あきっ……」


 娘のトンデモ一言に絶句したのか、お母さんは半口開けたまま、当初のへーぜんとした表情のままでいた。きっと、内心は平然どころじゃないのだろうけれど、正直言ってわたしは秋埜の方しか気にしていなかったのだ。

 ……だって、そりゃあ、ね。

 辛い顔している秋埜を見たくはないから、って動機でいろいろわたしも動いているのだけれど。

 だからといって、さ。

 にこやかな、満面の笑みで簡単に、「ぶっ殺す」なんて言ってるところだって、見たくないよなあ。わたし。


 実は、わたしは昨日のうちに相原先生からこのお母さん側の事情については諸々情報を仕入れていたのだ。

 相原先生の情報源は、お母さんの実家とのことだから、内容に間違いはないハズだ。


 一つ目には、お母さんは不倫相手とは再婚したはいいけど、再婚相手の別れた奥さんへの慰謝料だとか子どもの養育費だとかで、かなりの借金じみた支払いをこさえてしまい、生活はもう相当に苦しいらしかった、ということ。

 …ここが過去形なのは、だ。秋埜のお母さんの実家、というのがそこいら辺のお金を肩代わりしてしまったもので、その代わりもう縁を切るとかで、家の敷居を以後一切跨ぐな、みたいな話になってしまったとのことだ。


 そういうことで、まー倫理にもとる真似をした二人の男女は、女性側が縁戚を捨てることで得た平穏によって穏やかに暮らしました…とはいかなかった。

 それが二つ目。

 相手の男の人は、結局秋埜のお母さんよりも自分の子供のことを忘れることが出来なかったらしい。お母さんに隠れて自分の子供に会いに行ってたりと、再婚した生活を大事にせず、生活は上手くいっていない。お母さんが秋埜に会いたい、と思ったのもきっとその影響なんだろう、ってのは先生の感想だったけど、それはわたしも同感だ。とても同情なんか出来やしないけど。

 ただね…これも先生と意見が一致して一緒に憤慨してたのだけれど、この相手の男の人っての、ほんとーにどーなの。もともとの生活を捨てて別の女の人と一緒になって、けどやっぱり最初の家族が忘れられなくて未練たらたらとか、もう最低の一言。

 秋埜にこれ言ったらまた思うところ変わってくるんだろうなあ、とは思いつつも、一緒に地獄に落ちればいいのに、とは先生の言だ。わたしはまあ、その場では頷いたりはしなかったものの、内心では「そのとーり」と感情的にはなっていた。

 なんていうかさ。秋埜が言ってて、わたしとしては少し心細くも思えた一言っていうのがあって。

 愛しあって結婚し、子供まで生まれたのに、それを捨ててしまう真似をさせる、男女の間にしかないものなんて全然信用出来なくなった、自分はひととひとの間にあるものだけを見て信用していきたい、だから同じ女の子であるわたしを好きになることに抵抗なんかない、って、こと。

 女の子が好き、ってことじゃないのはわたしも一緒なんだけれど、まだそーいうところが、わたしだけのことを見てくれているわけじゃない、って思えて時々不安にはなる。わたしは秋埜の逃げ場所になっているんじゃないか、って。

 大智との関係に悩んでいたときのわたしに、秋埜が言ったことがある。その悩みからの逃げ先を自分に求めるな、って。わたしはそれで、ちゃんと自分の想いに決着をつけて、秋埜への思いを自分のものとして認めることが出来たんだ。だから、秋埜にもそんな後ろ向きな想いでわたしを好きになって欲しくないなあ、って思うのだけれども。


 「もういいでしょ。あんたは自分の好き勝手やってうちと父さんを捨てた。捨てられた方はもうそんなこと忘れて、こうしてちゃんと自分の生活作ってるんです。だからもううちらにこれ以上関わらないでください。どっかで野垂れ死んでしまえ、とまでは言いませんけど、しあわせになるんならうちらの知らないところで好きに幸せになってください。それだけっす」


 ……やっぱ、やだな。こんな、言いたいこと言って満足そうな秋埜は。

 あなたはあなたの意志でわたしを好きでいて欲しいし、わたしはもう秋埜以外のひとと恋をするなんてこと、考えたくもないもの。だから。


 「センパイ、行きましょ」

 「待って、秋埜。わたしお腹空いたな」

 「…センパイ、まだお昼ごはんには時間ありますよ?もしかして朝食抜きだったんすか?」

 「そーじゃなくて」


 踵を返して立ち去ろうと…秋埜に酷な言い方をすれば、逃げだそうとする秋埜の腕を引っ張り、わたしは余計なおせっかいというものを、一つしてみようと思った。


 「どーせだったらさ、お母さんにお昼ごはんくらいごちそうしてもらお?お詫びも兼ねて」


 秋埜は、「このひとなにゆってんの…」みたいな顔になっていたけれど、わたしとしてはそれほど突飛なことを言ったつもりはない。多分、ここでもう生涯顔も合わせませんでした、なんてことになったらいつか後悔するんじゃないかな、って思ってのことだ。


 ……ただ、その余計なおせっかい、っていうのが、また秋埜とわたしの関係に、大きくは無いけれど、ひとつ波を起こす結果になったことについては…正直、反省すべき点はあるのだと思う。

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