第11話・責任重大、期待過大

 「麟子、あなたこんなハンカチ持っていたの?」

 「え?」


 朝、家を出る間際にお母さんにそう呼び止められた。

 今日は連休明けの、最初の学校。世の学生の大半は憂鬱極まり無いだろーけど、わたしはとある事情から緊張しながら靴のつま先をトントンして気合いを入れているところだった。


 「なにが?」

 「なにが、って。ほらこれ。結構高そうなものだけれど、買った覚えないのよねぇ」


 振り向いたわたしにお母さんが見せたのは、いつぞや先生が持っていたボストンバッグの表面にびっちりマークされてたロゴと同じものが、やっぱりびっちりプリントされたハンカチ。色は違ったけど。

 これはあれだ、一昨日相原先生の部屋で鼻をかんだ時ので、汚いからもうやる、って言われてそのままもらってきたやつだ。軽く洗って洗濯機に放りこんでおいたから、お母さんが知らないのも当たり前だ。


 「あー、これ。もらったの」

 「もらった?誰に?」

 「んー……わたしの天敵、かなあ」


 保健の先生、とも言えず、かといって秋埜の従姉妹さん、ってのもなんか違くて咄嗟にそんなことを言ったのだけれど、口にしてからピッタリだと思えて笑いが洩れる。


 「持ってってもいい?」

 「それはいいけれど、そんな高そうなもの頂いておいてお礼もしないだなんて失礼でしょうに。誰からもらったの?」

 「いいのいいの。これはどっちかっていうと、わたしがこれからやることへのお礼の前払いみたいなものだから」

 「何を言ってるんだか、この子は…」


 お母さん、苦笑。まー、今どきの親子としては信頼、信用ともにお互いある方だと思うから、こう言っておけばそれほど突っ込んだことは聞いてはこない。そこに甘えてもいられないんだけどね。

 そのためにも、今日は大事な日だ。アイロンがかけられキレイに折り畳まれたたハンカチをわたしは受け取ると、スカートのポケットに入れて、家を出る。


 「あ、昨日言った通り、今日は遅くなるかもだから」

 「はいはい。あまり遅れるようなら先に電話しなさいね」

 「はぁい。いってきまーす」

 「いってらっしゃい」


 日本中で繰り広げられているだろう、同時刻の同じよーなやりとりの平均よりは多分明るい声であいさつすると、わたしはこの時期としてはやや強い日差しの中に飛び込んでいった。




 秋埜を説き伏せるのには丸一日かかった。

 一昨日、先生のマンションを出てすぐに電話をかけ、「秋埜のお母さんに会ってみる」と話した時の反応たるや…もー、そんなことするなら別れてやる、とか言い出しかねない勢いだったもんなあ…。

 結局その日は説得を諦め、次の日、つまり昨日、直接会ってというか秋埜の方は会いたがらなかったけど無理矢理家に押しかけて、お父さんの前で出来る話でもなかったから外に連れ出して、とにかく話し合った。

 一緒に出かければ秋埜の機嫌だって良くはなる。それで落ち着いたところに話をして、やっぱり駄々はこねられたけれど最終的には「お母さんを嫌うのとわたしを好きなのと、比べることになっちゃうんだけど。それでもいいの?」と、かなーりずるい話法で、わたしがお母さんに会うことだけは承諾してくれた。もちろんその後に秋埜自身がお母さんに会うことはきっぱり拒絶して、更にその上ちょーっとハードルの高い交換条件出されたけど。

 まあ最後はわたしの方からキスしたら、にこにこというかふにゃふにゃになって家に帰っていったから、よしとしよう。交換条件のことは……なんとかなると思いたい。うん。


 学校に着けばいつも通りだ。

 お昼休みは秋埜と二人きり…はちょっと気まずかったので今村さんも誘って過ごした。そんな場でお母さんの話題なんか出せるはずもなかったから、でも今村さんもけっこー鋭いから何かあったのか?みたいな顔つきはしてたけど。


 そして放課後。

 わたしは最近ご無沙汰してる保健室に来ていた。


 「お待たせしました。いつでもいーですよ」

 「…悪いわね。ウチのごたごたに巻き込むようなことになって」

 「わたしのことでもありますから、気にしないでください。で、どこに行けばいいんですか?」


 昨日は夜になってようやく秋埜の承諾を得たことを先生に報告出来たから、どこで会わせてもらえるのかまでは分からなかったのだ。

 この件に関しては秋埜のお母さんの意向など完全無視で、先生はわたしを無理矢理にでもお母さんに会わせるつもりだったから、今日会いに行くから放課後場所を聞きに来なさい、と言われて保健室に来たというわけだ。

 なのに。


 「車で連れてってあげるわ。来なさい」


 あれ。先生も会うつもりなんだろうか。

 てっきり、場所だけ教えられて送り出されると思ってたのに。


 「いくらなんでもそんな無責任な真似出来ないわよ。ただ私は顔も見たくない相手だしね。遅くなっても送っていけるように、ってだけよ」


 そんなに遠いとこまで連れていかれるんだろうか。

 少し不安になりつつも、帰り支度を済ませてあった先生の後についていく。行き先は職員用の駐車場で、先生の車のところなのだろう。

 そういえば、興味も無かったので最初は分からなかったのだけれど、先生の車は…えーと、確か「あばると」とかいうイタリアの車らしい。

 ちっさいのにすんごく獰猛な雰囲気のある、なんだか先生によく似合った車で、乗せてもらってるとすれ違う歩行者がよくこっちを見ていた……あれ?


 「先生?車買い換えたんですか?」

 「入院中」


 車が入院って。故障でもしたのかな。

 なんだか街中でもよく見かける、日本製の白い車の運転席ドアを開けながら先生は忌々しそうに言う。


 「年に半分くらいは修理に行ってるわ。これだからイタ車は…ったく」

 「その割には手放さないんですね」

 「他人と同じような車乗るのが性に合わなくてね。故障さえしなければ気に入ってるし」


 よく分からないけど、お金もかかるだろーにいろいろ大丈夫なのかな、この先生。持ってるものもいーめのものだし、貯金とかしてないんじゃ…もしかして先生、割と美人に入るのに結婚出来ないのってそれが原因なんじゃ…。


 「聞こえてるわよ」


 わたし、思わず自分の口に両手を当ててみる。あ、シートベルト締めないと。


 「ここの給料がいいってこともあるし、副業もしてるからね。あまりお金には困ってないわ」

 「そこまで突っ込んだこと聞いてはいないですけど。じゃあしゅっぱつしんこー!」

 「…なんでそんなノリノリなのよ。こっちは気が滅入ってしかたないってのに」

 「車が戻ってくれば気も晴れますよ。きっと」


 言うじゃない、と横目で助手席のわたしを睨む。思わず首をすくめたわたしだったけれど、他に人のいないこともあってか、先生は荒めの運転でわたしの上半身を振り回し始めたものだから、そのまま身を縮こませたまま、生きた心地のしない道中で強制的に黙らされてしまうわたしなのだった。




 「……別に駅なら一人でも来られたんですけど」


 連れて行かれた先は、ふつーに八王子駅だった。JRの方の。これならわざわざ送ってもらう必要も無かったんじゃないかなあ。


 「さっきも言ったけど、子供を一人で行かせて知らん顔してられるような状況じゃないからね。ほら、行くわよ」

 「あ、はい」


 駅の駐車場に車を止め、先生はわたしを従えて、北口の東急ビルのエレベーターに乗り込む。

 その間、わたしは何も話すことが出来なかったのだから、それなりに緊張はしているのだと思う。


 「こっちよ」


 つかつかと闊歩する先生の後についていく。ていうか、こんな上の階まで来たことないから、地元ではあっても物珍しくてきょろきょろしながらのわたしだった。


 「鵜方よ。待ち合わせをしてるの。藤原由津里が先に来ているわ。案内して」

 「承っております。こちらにどうぞ」

 「あ、ちょっと待って」


 着いた先は、きっと夜だときれいな夜景が楽しめそうなレストラン…ラウンジ、って言うんだっけ?…だった。

 出てきたウェイターのひとに先生はつっけんどんな調子で来意を告げ、先導してくれようとしたところを呼び止め、わたしの腕をとって突き出した。


 「会うのはこの子だけ。よろしく」

 「はい。かしこましました」


 いかにもプロ、って感じに、きっと不審に思っただろーけど一切そんな顔を見せず、制服姿のわたしにも愛想よく、「どうぞ」と告げてゆっくり歩き出している。


 「…終わったら連絡よこしなさい」

 「はい」

 「それと中務」

 「はい?」


 歩き出そうとしたわたしの背中に先生の声。

 振り向いて顔を見ると、なんだか辛そうだった。


 「…ごめん、宜しくお願いするわ。秋埜のこと………と、出来れば、由津里さんのこと」


 それはわたしなんかがよろしくされるには荷が重いんじゃないかなあ、って思ったのだけれど、先生の顔を見たら文句も言えなくなった。

 仕方ないので、ポケットからハンカチを取り出し、それを見せてから言った。


 「報酬前渡しじゃあ仕方ないですね。なるだけがんばります」

 「ナマ言ってんじゃないわよ」


 うん、やっぱり先生とわたしはこーいうやり取りの方が似合ってる。

 ニヤリと口の端を持ち上げる不敵な笑みを交わしあい、わたしは立ち止まって待っていてくれたウェイターさんの後に続いて、窓際の席の方に歩いていった。


 「こちらでございます」

 「ありがとうございました」


 案内された席には、当たり前だけど先に女のひとが座って待っていた。

 わたしが近付いてくるのに気がつくと、立ち上がってこちらを見て…はいなかった。

 自分だけ席に腰を下ろすわけにもいかず、そのひとの斜め前に立って、名乗る。


 「こんにちは。中務麟子といいます。秋埜の…秋埜さんの、友人です」

 「………初めまして。藤原、由津里です。……秋埜の、母…です」


 …でも、深く頭を下げてから面を上げたその女性は、やっぱり相変わらず、わたしと目を合わせようとはしていなかったのだ。

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