第10話・ろくでもない大人のろくでもない話

 「さて、冗談はこれくらいにしておきましょうか」


 わたしの進路を冗談扱いとは失礼な、って文句こそ冗談そのものだったので、そうですね、と湯飲みをテーブルに置いて本題に入る。


 「由津里さんから連絡が来たのは一昨日のことよ。秋埜に会わせて欲しいから、連絡をとってくれないか、って」

 「それで早速秋埜に知らせたんですか?もう少し深慮遠謀とかそーいうの発動してもいいんじゃないかと思うんですが」

 「私だってそこそこ動転したもの。もう何年も没交渉だったし、生きてるか死んでるかすら分からなかった微妙な関係の間柄のひとからいきなり連絡来て、どうしろっての」

 「…あの、秋埜のお父さんには?」

 「知らせるな、って話だったし、連絡してくれって言われたってお断りするわ。決まってる。当時、あつしさんのあんな憔悴しきった姿見せられて、私がどれだけ心配してたと思ってるの」

 「そうですか」


 わたしはホッとする。

 篤さん、というのは秋埜のお父さんで、先生のお母さんの弟さんになる。だから先生からみれば叔父さん、てことになる。

 秋埜とわたしのことについても、お父さんと先生はいろいろ話し合ったこともある、ってことだから、親しい間柄でもあるんだろう。先生が秋埜のお母さんよりお父さんの方に気をつかうのも、自然なことなんだろうね。


 「ま、それで困ってた時にあんたから煽るような電話来たもんだから。カチンと来てあんたに意趣返しするような真似してしまったわ。結果的にね。その点については謝るけれど……どうしたの?ヘンな顔して」

 「…いえ、まさか素直に謝られるとは。あーうそうそ、先生だいじょうぶでしたか?きっと心労でシワも一ダースくらい増えたんじゃ……わぁ待って待って!」


 ヘンな顔と言われてむかついたので仕返しをしたら、マジに鬼の形相で迫られてしまった。ほんと、微妙な年頃の女性の心理など現役じょしこーせーには理解不能だ。


 「まだ失礼なことを考えてる顔だけど。まあいいわ。それで、他に聞きたいことは?」

 「秋埜のお母さんは、またなんでまた急に秋埜に会わせろとかそんなことを?不倫相手とよろしくやってるんじゃなかったんですか?」

 「…あんたねえ、不倫同士でそんな上手くいくわけないでしょうが。それに上手くいかれても残された方はたまったもんじゃないってのよ」

 「……どーいうことです?」


 割とよくある話よ、と嫌悪感丸出しで先生が語ったところによると、秋埜のお母さんの相手、というのも妻子持ちの男性だったらしいのだ。

 どちらも互いの相手とは離婚して、それで結婚にまで至ってめでたしめでたし、といかなかったのは確かに先生のような立ち位置からすれば、ざまぁみろ、って気分にもなるのだろう…そんな自分の昏さを自覚しながら。


 「慰謝料、子供の親権、職場での立場。由津里さんの方は実家がそこそこ大きいところで、あのヒトも根っからのお嬢さんだったしね。悪い意味で。世の中舐めてたんでしょうよ。そういう難しいことに直面して、乗り越えられるだけの強さがなくて、挫けた。その結果、自分が産んだ子供にすがってみたくなった……ってとこなんじゃないの」


 勝手な話だと思う。

 自分の気持ちだけで周囲のことを顧みずに突っ走り、そして躓いてからようやく振り返る。いい歳した大人が何を考えているんだろう。それで、傷ついたひとがどれだけいて、今もそれを癒やせないでいることになんか、思いも至らないんだろうか。

 ふざけるな。


 ……って、思うところなんだろうけれど。


 「…あの、わたしそれほど、秋埜のお母さんが悪いとも思えない…ううん、悪いことは悪いんですけど、わたし個人としてそこまでダメ出しする気になれないっていうか……ああ、うん、うまいこと言えないので曖昧な言い方になってしまうかもですけど、なんか、そのー、我が身につまされるとゆーか、ココんとこがちくちくするといいますかー……」

 「中務」

 「…はい」


 考えをまとめきれずに言い淀んだわたしに、先生の顔になった先生が諭すように言う。


 「やっちゃいけないことをやった大人と自分を一緒にするな。あんたは、あんたなりに仁義を切って、自分の想いを貫いた。親も分かってくれたんでしょう?」

 「……はい」

 「あのひとは、切らなきゃいけない仁義を切らなかった。本当にかなえたい願いがあるんだったら、どんなに時間をかけても認めさせなければいけなかった。それをしないで逃げた人間とあんたは違うのよ。そんなあんただったから、秋埜は子供の頃からの想いを、今もそのままあんたにぶつけて、あんたも周りを巻き込んで、秋埜と一緒になることを貫き通した。だから、そんなに自分を卑下しないこと」

 「せんせい……」


 …なんだか視界がゆるゆるする。泣いているのだろうか。

 指で目元を拭おうとしたわたしの前に、先生がハンカチを差し出してくる。

 顔を上げて先生の顔を見ると、先生の顔から秋埜のやさしい親戚の顔になって、従姉妹の女の子に向けるような優しい眼差しでいた。

 ありがとうございます、とわたしは覚束無い手付きでハンカチを受け取り…。


 「…ほら。別に泣くほどいい話したわけでもないし……ってちょっとあんた!!」


 …思いっきり、鼻をかんでやった。


 「何してくれんのよ!それそこそこ良い奴なんだから……あー、あー…」


 品の無いことに、ぶぴーぶぴーときちゃない音を立てながら、最後まで出し切る。そして使い終わったハンカチは。


 「はい、返します。ありがとーございました」

 「要らないわよそんなもん!…ああもう、あんたがこの部屋で泣いた記念にあげるわ」

 「それはどーもです。お詫びしないといけないこともあるのに済みませんねー」

 「お詫び?いまさら?あんたが私に?」


 いまさら、ってそんなに昔にさかのぼるお詫びなんかあったっけ?と、汚れたハンカチをポケットにしまう。まあ、自分のアレだと思えば平気…かなあ。


 「お詫びっていうか、昨日先生に暴言吐いたことについて。先生もそれなりに苦しんでたのに、勝手なこと言って、許さないとか自分に酔ったようなこと言ってしまって。それで、あの時秋埜と一緒に逃げてやる、ってくらいに思ってたんです。やっぱりそれじゃあ、秋埜のお母さんと同じことになってしまうって。だから、ごめんなさい」

 「………」


 深々と頭を下げて、顔を上げると、そこにはまたなんというか、言葉に困ってほにゃほにゃと変顔になってる先生がいた。きっちり美人に入るのに、もったいない。


 「………別にいいわ。あんたが真面目なのは分かったし」


 それで、ようやく絞り出すように、それだけ言った。

 でも言ったはいいけど、それっきり妙な空気になって、先生もわたしもだんまりになる。

 静かな部屋の中で、時折先生のコーヒーカップがソーサーに置かれる音だとか、わたしが湯飲みをテーブルに置く音だとか、そんなものがやけに耳に心地よく響く。

 …うん、まあ、お互いに何を考えているのかを探るような雰囲気だ。そしてわたしは、この先生とそーいう探り合いみたいな真似をするのがそれほどイヤじゃない。

 たまに目が合い、表情を出さないようにしてるのが分かるとまた目を逸らす。そんなことを何度か繰り返している。


 「………」

 「……で、さ」


 そんな時間がどれくらい過ぎたのか、さすがにお茶のお代わりでも頼もーかと思った頃、先生の方から話を切り出してきた。


 「なんです?」

 「…これからどうするつもりなの、あんた」


 わたしに聞くことなのかなあ、それ。

 …とは思うのだけれど、先生にしても扱いに苦慮するのは分かるから、静かな間にまとめた考えを述べてみる。


 「やっぱり、秋埜には会わせた方がいいと思います。もちろん、お母さんのためじゃなくて秋埜のため、ですけど」

 「ま、そうなるわよねえ…」

 「ただ、問題となると…秋埜はずぇったいに会おうとはしないだろーな、ってことなんですけど…」

 「………やっぱ、そう思うわよねえ…」


 どうやら考えていることは同じみたいだった。当然と言えば当然か。

 それで話に進展があるのかというと、だな。


 「お代わりは?」

 「…いただきます」


 答えを待つ間も無くわたしの湯飲みを持ってキッチンに向かう辺り、先生も特段解決の妙手なんか持ち合わせていないみたいなのだ。

 仕方ない。秋埜のことなんだから、わたしが一番真剣に考えないと、と離れたところから聞こえてくるお茶の支度の音をBGMに物思いに耽る。


 秋埜がお母さんに会いたくないのは当たり前なんだろう。わたしだって同じ立場だったとしたらまず拒絶するだろうし。

 それでも秋埜がお母さんに会おうとする理由があるとしたら…あー、例えばわたしとケッケンしますって報告とか…あり得ないか。いや、結婚があり得ないということでなくて…いやいや法的に結婚は無くてもそれに近い生活になるならあり得ないことでもないしぃ、でもそもそもそれってお母さんに報告するよーなことなのか?お母さんがどういう考えの持ち主なのかは分かんないけど、顔を合わせて「うちはこのひとと一緒になります」とかいきなり話切り出すとかあり得ないだろーし……って、よく考えたらそのお母さんがどーいう人なのか全然分かんないなあ。

 秋埜や先生の態度見る限り、決して好感持てるひとではなさそうなのだけど。


 「二杯目くらいコーヒー、いけるでしょ?」

 「…自分の好みを押しつけないとこが先生の美点だと思ってるんですけどね、わたし。いいですけど」


 ミルクポットと一緒にソーサーに乗せられたコーヒーカップを置かれる。ポットが大振りなサイズでミルクもたっぷり使えそうなことに免じて、文句も言わずに受け入れておくことにする。


 「何か考えてたみたいだけど、いい考え浮かんだ?」

 「期待されるほどじゃないですけどね」


 提供されたポットのミルクを全部入れた熱々のコーヒー…少し味が濃い気がするんだけど、さっき煎れたのを温め直しただけなんじゃないだろーか?…を一口すすって、なるべく勿体ぶって言う。


 「まずわたしが秋埜のお母さんに会ってみよーかと思います。先生、段取りお願い出来ます?」


 正直言って、カップを口に当てたまま固まってる先生の姿には、「そこまで変なこと言ったかなあ」と思う。

 秋埜が会う気にならないならまずわたしが、ってのはわたしにとってみれば当たり前のことだと思うのだけれど。


 「…また思い切ったことするわね。会わせるのは別に出来るけど、どういうつもり?」

 「まー、秋埜がイヤならわたしが会うのはわたしにとって当然だってことと……あとは、先生は会う気あります?」

 「ないわね。会ったらどんな罵詈雑言が口をつくか知れたものじゃないし」

 「ですよね。だったら、一番関係者じゃないわたしから顔を合わせるのが一番穏便なんじゃないかと」

 「どんな立場で会うつもりなの」

 「秋埜の一番信頼している人間。なんでしたら彼女です、って名乗りましょうか?」

 「やめといた方がいいわ」


 それは会うのをやめた方がいいって意味なのか、それとも秋埜の恋人として会うのがよろしくないって意味なのか、どっちなんだろ。


 「由津里さん、自分は周囲の迷惑顧みない行動とるくせに、お嬢さま育ちのせいかそういうところ妙に保守的だからね。娘が女の子と恋仲だなんて知ったら絶対にいい顔しないわ」

 「娘の行状に口出し出来る立場じゃない、って自覚に期待するのは?」

 「それが出来るなら不倫の挙げ句に家族捨てて家を出る、なんて真似しないでしょうよ」


 ごもっとも。まあそれならそれで、秋埜の一番の親友だ、って顔してればいいだけだ。

 それで話くらいは出来るだろーし、お父さんじゃなくて秋埜に会いたいって言った本意くらいは探れると思う。

 関係者全員関わり合いになりたくない、ってのならわたしが一番適任だ。


 「…って感じです。どうです?」


 考えてみれば、別に先生が一番悩まなければいけない立場なんかじゃないのだろうけど。

 けど秋埜のお父さんのことを思えば会ったり会わせたりが出来るはずもない。

 お母さんの実家とかいうのがどれくらいこの話に関わっているのかは分かんないけど、秋埜の態度を思い起こせば積極的に話をしたい、ってこともなさそうだ。

 だからわたしが…ってのも我ながら安直だ。わたしは鵜方家の身内でも親戚でもないのだしね。

 なので、ここは先生の判断に任せることにする。わたしを前面に出すのが危なっかしいというのなら止めてくれてもいいし、会わせてくれる、というのであればわたしは自分に出来ることをやるだけだ。


 「………わかった。お願い出来るかしら」


 そして、先生の下した結論は、わたしをそこそこ信頼してくれていることを示すものだった。


 「他にいい手も思い浮かばないし、あんたに頼むことにする。ただ一つ条件…いえ、お願いがあるわ」

 「なんでしょう?」


 お願い、の中身が分かってても拝聴。先生の思いやりだろうしね。


 「秋埜にはそのことを話してから会ってちょうだい。納得はしないだろうけれど、知らせないでそんなことをしたら、秋埜とあんたの仲に良くないでしょうから」

 「わたしと秋埜が別れた方が先生にはいいのでは?」

 「冗談でもそんなこと言うもんじゃないわよ。あんたのことはどーでもいいけど、秋埜のことを思ったらそんなこと出来るわけがないじゃない」

 「そうでしょーね」


 学校の先生の立場としてはその発言はどーなのかと思うけど、秋埜の年上の従姉妹として言うのなら、まあ妥当だ。


 「わたしだって秋埜に黙ってこんなことするつもりありません。ちゃんと話してから会いますよ。ですけど…」

 「…そうねえ」


 合わせた顔は、どちらも苦笑。


 「あの子、相当に駄々をこねるでしょうねえ」

 「あはは。まあ、そこは恋人としての手腕を御覧じろ、ってことで」

 「ええ。頼んだわ」


 最後は、どこか気ざっぱりと先生は言ってくれた。

 わたしに任せっきりにするのではなく、多分わたしの知らないところで上手くいくように、先生なりにはやってくれることだろうと思う。




 やってきたときとは対照的に帰る時はそこそこ友好的な態度で部屋を出られた。


 さて、わたしが自分で解決しないといけない問題は、と。

 マンションを出て、スマホを取りだし、操作。


 「あ、あきのー?元気になった?ちょっと話があるんだけど、いい?」


 …しょーじき、こっちの方が難題だなあ、と弾む声とは裏腹に頭の痛い思いのするわたしだった。

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