第9話・稚き咆吼、あるいは子供のワガママ

 結局、デートは散々だった。

 秋埜のお母さんからかかってきた電話の件で口論になるようなことはなかったけれど、無理して気にしてない風を装う秋埜と、それを放っておけないわたしがかみ合うはずもなく、ぎくしゃくした空気に苛まれた時間を過ごしたのだ。


 「…センパイ、すません。うちのことでなんか雰囲気悪くしちゃって」


 別れ際にそんなことを泣きそうな顔で言われてしまい、わたしはかける言葉も見つからず、昼間の好天がうそのようにどんよりした空の下、しょんぼりと家に帰っていく秋埜の背中を見送るしか出来なかった。我ながら、不甲斐ない。


 『そう』

 「そう、って……他に言うこと無いんですか?」


 そしてわたしは家に帰るとすぐに、斯く在ることをにおわせていた困ったひとに、こうして電話をかけている。


 『秋埜には由津里ゆづりさんから電話がいくかもって言っておいたし、電話番号も知らせてあった。それ以上私にやれることなんかないわよ』

 「それでわたしに丸投げってのも大人げなさ過ぎると思いますけど」

 『あんたに投げたつもりはないんだけどね』

 「よくそんなこと言えますね。そんな話を聞かされた秋埜がどーなるかなんて想像つく上で、わたしにその話の存在をにおわせておいて」

 『………』


 大智の指摘はまったく正しかった。先生の反応が如実にあらわしている。

 この先生、悪ぶってる割には秋埜にはめちゃくちゃ甘い。その分わたしにからくなるのは、秋埜のことを思えば全然構わないけど、今回に限れば秋埜に甘いんじゃなくって、自分から責任放り投げただけだ。それでわたしに投げたつもりはない、なんて言い訳を許してたまるか。

 わたしは、秋埜のためなら鬼でも悪魔にでもなってやる。そんな覚悟を決めて、先生を糾弾にかかった。


 「何があったんです」

 『………』

 「だんまりですか。言っておきますけどね、秋埜にあんな顔させたひと、わたしは絶対に許しませんから。それが秋埜のお母さんでも、相原先生でも。それを理解してもらった上で、もう一度尋ねます。何が、あったんです?」

 『………自分だけが秋埜の味方みたいな顔してんじゃないわよ、ガキ』

 「ガキですか。わたしがガキだってんならあなたはなんなんです。秋埜が傷つくこと分かってる話をして、後のことは知らないみたいな態度とって。それで保護者面ですか。そーですかいーですよそれならそれで。だったら秋埜の味方はわたししかいないってことになりますから、わたしはわたしたちの周りを全部敵に回してでも自分たちを守りますからね。具体的には秋埜と手に手をとってどっか逃げ出して誰も知らない場所で大人になってやる」

 『そういうひとの気も知らないことを平気で言うところがガキだっつってんのよ!』

 「うるさい!!そのガキが知りたいってことを教えようともしないオトナがわたしのことをガキだなんて言ったって納得できるか!!」


 麟子ー?なにごとー?……ってお母さんの声が下から聞こえた。

 わたしはスマホのマイクに手を当て、なんでもなーい、ちょっと寝ぼけただけー…って白々しく誤魔化しておいて、話を続ける。


 「…これで聞くのは最後です。何があったんですか。秋埜の周りで」


 ここまで言われてそれでも黙秘を貫くよーだったら、家出はともかく秋埜と立てこもって登校拒否くらいはしてやろう、って本気で決意を固める。

 そしてそれが伝わったのか、先生の方はなんとも疲れた風な声で、ようやく声を絞り出して言った。


 『…分かったわ。けど電話じゃあちょっとね。秋埜と一緒に…ああ、うん、あんた一人で出てこられない?場所と時間は教えるから、明日こっちに来なさい』

 「逃げたりしないでしょーね」

 『あんたこそ。……ま、でも』


 この先生にはあんまり似合わない、皮肉めいて疲れた口調で言う。


 『正直助かったわ。ひとりで抱え込むにはちょっとね、って思ってたから』


 それから抱えたものをあんたに押しつけるような真似してごめん、とも言われた。

 わたしはそんな先生の様子に胸が痛むものを覚えないでもなかったのだけれど、立場上は確かに先生の言う通りガキでしかない。だから、物わかりの悪い子供のように、最後にもう一度憎まれ口を叩いて通話を切った。その後、流石に後悔くらいはしたけれど。


 「……秋埜には…言えるわけないか。でもわたしが動いてることくらいはー、分かってるだろーなー」


 そういう子だ。そしてそういう子だと分かって勝手に動き回るわたしもどーなのかとは思う。甘えてるんだろうな、わたし。秋埜に。

 主がヒートアップしたのと呼応したように熱を持ったスマホをぽいとベッドの上に放る。その傍に自分も横になり、天井を見上げた。LEDの照明が無駄に眩しい。


 「秋埜、どーしてるかなー…電話してみよっかな…」


 顔を横に向けてスマホが目に入ると、指を少し動かせばすぐに繋がる恋人のことを思う。

 でも、やめた。今頃はまだ、ついさっき見た悄げた秋埜のままだろう。今電話をしても追い詰めるだけのような気がする。


 「…連休になってから勉強も進まないし。ちょっとは進めておくかあ」


 わたしたちには、たまにはこういう時間が必要かもしれない。

 今晩だけは秋埜と距離を置く決心をして、わたしは受験生っていう自分の立場を再確認する作業に入った。



   ・・・・・



 翌日の昼過ぎ。連休はあと二日で終わりという日に、わたしは通りがかったこともない場所の、とあるマンションにいた。先生に指定された、居宅たるマンションだ。

 市内最上位の私立の進学校に勤めるだけあって、割とお高そーなたたずまいだった。

 来る前は何か手土産でも、と思ったのだけれど、どーせ「学生のくせに生意気よ」とでも言われるのがオチだと思ったので、手ぶらのままエントランス前で部屋を呼び出す。


 『きたわね』

 「来ましたよ。逃げずにやってきたんだから、早く開けてください」

 『言うわね。ほら、どうぞ』


 ガラスの自動ドアが開き、中に入った。エレベーターの場所を探すのに少し迷い、十五階の先生の部屋まで来ると、また呼び鈴を押す。

 わたしが来たことが分かっているのか、今度は返事もなく電子ロックの解錠される音がした。なんだか地獄の釜でも開くところを見るよーな気分で、わたしはそろりと扉を開けて玄関に入る。いかにも高そうな、分厚い扉を後ろ手で閉めると、ガシャン、じゃなくてボスンとかいう感じの音と共に逃げ道を塞がれ…なんなの今日のわたし。やっぱり逃げ出したいと思ってるのか。


 「いらっしゃい」

 「随分いいとこに住んでるんですね」

 「住宅手当が悪くないものでね」


 それ授業料払ってる立場に言うことです?と、玄関で待ち構えていた先生が差し出した右手をじっと見る。


 「なんです?」

 「お土産はないの?あんたと秋埜がよく堪能してるっていうドーナツくらい買ってくるかな、って思ったんだけど」


 …生意気と言われるどころか要求されてしまった。


 「先生にあげられるお土産なんてわたしの愛想笑いくらいです。あとあれけっこー高いので、学生にたからないでください」


 自分で言った手前、にっこりくらいはしておいてさっさと靴を脱いで上がり込む。部屋の主の脇を通り抜ける時は、我ながら苛立ちを隠さないどすどすとした足音を立てていたように思う。




 「…意外と片付いてる」

 「ご挨拶ね。これでも客が来そうな場所くらい綺麗にしてるわ。仕事の書類なら書斎に散らかってるけど」

 「仕事の書類?」

 「書きかけの論文とか学術書とか…まあ、いろいろと、よ」


 そういえばこのセンセ、保険医なのに研究も何かやってたんだっけ。時々学会だかで出張してた気がする。


 「なにか飲む?コーヒーならあるけど」

 「コーヒー『しか』ない、の間違いじゃないですか?別に結構です」

 「…せっかく慣れさせたと思ったのに」


 なんだか残念な様子でキッチンに向かっていった。そりゃあ去年何度も保健室に訪れていくらかは慣れたけど、自分から進んで欲しがるほどコーヒー好きになったわけじゃない。秋埜の家でお父さんとお話する時くらいかな、コーヒー飲むのは。


 「で、わたし一応受験生でたぼーな身なんですから、さっさと話しましょう」

 「デートだのなんだので遊び回ってるくせに」


 キッチンの方から可笑しそうな声が聞こえてきた。まあ嫌味言われるよりは笑われる方がまだマシか、と思って黙っておいた。

 特に案内もされなかったので、手近なソファに腰掛けて先生を待つ。落ち着いて部屋の中を見ると…と初訪問したお宅の感想など考える間も無く、先生が戻ってきた。


 「お待たせ。あんたはお茶でよかったわよね」

 「…ありがとーございます」


 それほど時間もなかったのに、色の濃いいかにも渋そーなものが出された。用意していたのだろうか。それならそれでありがたく頂くけれど、とわたしは熱い湯飲みに口をつけた。


 それからしばらくは、互いに探りを入れるよーに学校のこととか進路のこととかを軽く話した。

 わたしがまだ志望進学先を決めていないことについては呆れられてしまったけど、わたしの将来は秋埜の将来とも深く関わるだろうから、自分ひとりで決めるつもりもない、って言ったら「ごちそうさま」と苦笑されてしまった。もしかして、わたしの勝ち?

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