第8話・再び、やっかい事を運んでくる電話

 とはいうもの、食べ物に罪は無い。

 実際はお肉、野菜と取りそろえられ、味も栄養も量もバランスのとれた、心遣いを覚えるものだったから、広場のテーブルの上に広げたお弁当箱が空になる頃はわたしの機嫌もすっかり直っていたのだった。


 「はい、センパイ。お茶どーぞ」

 「豆乳じゃなかったっけ?」

 「ありますけど、要ります?」

 「…やめとく」


 ほんとーに紙パックを取り出そうとしたところを押し止めて、ポットからいれたお茶をもらった。豆乳はあまり好きじゃないし。

 お茶は温かいほうじ茶で、五月の初めにいただくにはちょっと…と思ったのだけれど、こうしてじっとしていると園内を過ぎてく風がけっこう冷たくて、ちょうどいいくらいだった。そこまで考えて熱いお茶を用意したのだとしたら…うん、秋埜はいいお嫁さんになりそう…いやむしろわたしが嫁に入りたい。


 「…おなかいっぱいになると眠くなりますねー……」


 そして、わたしにお茶を手渡した秋埜は、言葉通りもう眠そうにテーブルの上にのびていた。


 「秋埜、体冷えるよ?」

 「んー、センパイが側にいてくれると安心するんでー…しばらくこのままー……」


 声をかけても、薄目でこちらを見上げてやっぱり体を起こさず、本当に寝てしまいそう。

 わたしは立ち上がって腰に巻いていた秋埜のジャケットを外すと、早くも寝息を立て始めた秋埜の体にかけてあげた。

 そうだね、これだけのお弁当ひとりで作ったのならきっと朝早かっただろうし、昨晩遅くまでいろいろ考え事してたんだろうし。

 そういえば、今日の秋埜はいつもならしない化粧を、濃いめにしてた。もしかして目の下に隈でも出来てたのを誤魔化そうとしてたのだろうか。

 そう思うと、穏やかな顔で「くー、くー」と言ってるこの子を起こす気にもなれず、わたしはお茶を空にして自分で二杯目をいれると、賑やかな園内の空気に身を委ねるように体の力を抜いて、なんとなく今までのこと、これからのことを考えてみる。


 秋埜は、大切な後輩。とても仲のいい親友。そして、わたしの、恋人、彼女。

 この子のために…ではなかったけれど、自分のやったことで縁を繋ぎ、高校生の今になってもわたしを慕ってくれていた。

 わたしは…そんな秋埜にいろんなことを気付かされ、そして、好きになった。秋埜も、わたしを好きでいてくれた。

 だから付き合っている…って短絡的だなあ、って気にもなる。そもそも、わたしも秋埜もお互いのことを好きだとかなんとか当たり前に言っているけれど、どっちも女の子なのだ。

 今はそーいうのも珍しくはないと聞くけれど、それでも周りの誰にも胸を張って誇れる関係じゃないことは、間違い無い。


 でもそれで気後れするとか、そういうところはとっくにすっ飛ばしているんだ。威張れないのだとしても、わたしが秋埜を好きでいることに嘘偽りなんか無い。

 別にわたしは女の子が好き、ってわけじゃないのだと思う。考えてみたけれど、緒妻さんや星野さんにそんな気持ちになりようがなかったのだし。好きになる、ってことに同性だからってことがブレーキかけたりしないだけなんだろう。

 わたしは、ただ単純に、いろんなものを呑み込んでそれでもなお、秋埜が好きなだけ。家族にもそう言って理解はしてもらったのだしね。

 秋埜は……どうなんだろう?わたしのことを好きとかなんとか先に言い始めたのが秋埜の方なんだから、今さら何を言ってるのか、ってことになるんだろうけど。


 いつか、秋埜にお母さんのことを話してもらったことを思い出す。この子の母親は、お父さんの会社の同僚のひとと……その、不倫、ってヤツになって、秋埜とお父さんを捨てて家を出ていってしまった。お母さんはとても名のある家の出だったらしいから、お父さんはそのことについて文句とか言えることもなく、それで会社とかで難しい立場になってしまい、秋埜を連れて何年かこの街を離れていた。

 そして、戻ってきた秋埜はわたしと再会して、わたしのことが好きになって…いた。


 今となっては馬鹿なことしたなあ、って思うのだけれど、秋埜に「女の子のことが好きになることに葛藤とか無かったか」って聞いたことがある。それは秋埜がどーのこーのってことじゃなくて、わたしの中にあった悩みというか止めるものを、秋埜に映し込んでしまった結果だ。

 秋埜は、夫婦関係の破綻してしまった両親を見て、男と女の間にしかないものなんか信じられなくなった、と言っていた。そんなものよりも、わたしと秋埜のように、ひととひとの間にあるものを信じていたくなった、だから同性とかそういうことは関係ない、って、言っていたんだ。


 ……その結果として、わたしへの思慕をためらいなく示してくれたのだとしたら、わたしにとって困ったことなんか一つも無いんだけれど…。


 「んふぅん…せんぱぁい……」

 「ん、なに?………って、寝言か」


 またなんともピンポイントな寝言を言うものだ。まさか起きててわたしの反応見てるんじゃないだろうか、って、ほにゃっとした秋埜の寝顔の頬を、指先で突っついてみる。少しくすぐったそうにしていた。それ以外に反応は無かったから寝たままだと思う…よね?

 顔を横にしてうつ伏せ、くーくー言ってる秋埜の呼吸は規則正しい。しばらくは起きそうもないかな、とわたしは考えを再開する。


 そう、秋埜のお母さんのことだ。

 秋埜はお母さんのことをわたしに話す時、秋埜にしては珍しく嫌悪の感情を隠さない様子だった。

 口汚く罵るようなことこそ無かったのだけれど、もう一度会いたいとか、そんな含みを一切持たせない拒絶を、わたしに見せていた。

 多分、探して会おうと思えば不可能じゃないんだと思う。お母さんの実家とはやりとりがあるみたいなことを言っていたし。

 でも、そうしようとはしない。秋埜は。

 それでいいのか、っていうと……わたしにはわからない。秋埜のことなのに、わたしにはそのことについて語るべき言葉も、考えも見つけられない。

 それはわたしが、比較的幸せな家族関係を持てているからなのだと思う。

 わたしがそのことで秋埜に引け目を感じる必要はないし、秋埜がわたしの家族に気後れする必要もない。それは確かだ。それでも、持っている者と持っていない者の間に亀裂を見せてしまう、決定的な差がそこにはあるようにも思える。


 だからどうしたいのだ、なんて答えは……今のところ、わたしには見出せていない。

 こうして秋埜と、気持ちの良い時間を過ごすことが今はとても大事。

 いつかは、わたしが何者になるのか、一緒に歩こうと誓った秋埜が何者になろうするのか、それを確かめ合わないといけない時が来るとは思うのだけれど、そこに踏み出すことを許さない何かが、わたしたちの前にはあるように、思える。

 そう思うと、わたしは隣に並び歩むと決めた彼女に、約束したくもなるのだ。


 「…秋埜。いっしょにおとなになれたらいいね」

 「それマジすかっ?!」

 「きゃあっ?!」


 それはもう、オノマトペを背負いそーな勢いで秋埜が跳ね起きた。「ガバッ!!」って感じで。

 そして、慌てて身を引いたわたしを逃すまいとでもするかのよーに、空になってるわたしの両手をガシリと挟んでつかみ、とんでもないことを言う。


 「…せんぱぁい?うち、初めてはセンパイの部屋がいーっす……」

 「初めてって何の初めてよっ!いや意味くらい分かるけど秋埜あなたずっと起きてたわけっ?!」

 「とーぜんじゃないすか。物憂げに考え事をするセンパイ…きっとうちのこと考えてて、ときどきため息をほぅっ、なんてつくとこ見てたらうち、うち……たまらなくなるじゃないすかっ!!」

 「変態止まれっ!」

 「あいたぁっ?!」


 掴まれた手を引っこ抜き、上気した顔の秋埜にチョップを食らわす。

 周りの家族連れとかデート中のカップルとか、そんなひとたちが何事かと注目してたけど、そんなもの知ったことかっ。

 わたしは痛みに悶絶する秋埜のどたまを挟んで持ってこちらを向かせると、きっと真っ赤になっているだろう顔で秋埜を睨んで言う。


 「わたしの言った『おとな』はそーいう意味じゃないっ!真面目なこと考えてるときにあんたはどーしてそーいうイヤらしいこと考えてるのよ!」

 「センパイひどいっす!うちだってマジメに考えてるのにっ!」

 「マジメにヘンなこと考えてるだけでしょーがっ!わたしは真面目に真面目なことを考えてるの!!」

 「だったらうちだってマジメにマジメなことを考えてますっ!!」

 「ニュアンスが違うんだってば秋埜とわたしの考える真面目はぁっ!」

 「なんすかもーセンパイのムッツリスケベっ!」


 言うに事欠いてなんてこと言うのだこの子はもー!

 互いに立ち上がってつかみ合わんばかりにムキーとかぐぬぬとかやってると、他人の目なんか気にもならなく…はないけれど、不思議とわたしは「秋埜とけんかをしている」という状況に、高揚感を覚えていた。

 そういえばつきあい始めてからは、絶対に仲直り出来るってわかってるけんかなんか一度もしたことがなかったなあ、わたしたち。

 自分のしでかした間違いから、あやうく生涯に渡って道も交わらなくなるだろー的な別れ方をしたことがあって、でもそれは幸運な再会に助けられ、わたしも秋埜も踏みとどまることが出来たんだ。

 そんな、恐怖とも呼べそうな心配…のないけんかっていうものは……なんて、楽しいのだろう。

 けんかしたあと、きっとわたしも秋埜も、くすくすって笑い合いながらまたくっついたりキスしたり…秋埜にくっつきすぎって注意をすると秋埜は口を尖らせて文句を言ってきて、でもわたしはそんなこの子のことがたまらなく愛しくなって、きっとそのまま……って、考えたらヤバい方向に行くところだった。これじゃムッツリ呼ばわりを否定出来なくなるじゃない。


 何にせよ、周囲の視線にビミョーなものが含まれつつある気がしたので、目線で促して、わたしは席に腰を下ろす。

 秋埜も同じよーにしていたのだけれど、テーブルの上に頬杖ついて、けんかの最中だってのにしやわせそーにニコニコするのはやめて欲しい。真面目に照れる。


 「とにかくっ!……寝たふりしてわたしの反応見てたのだけは悪趣味だから、やめて。それはその……ちょっと、こまる……」


 なので、指をびしっと突き付け、年上の態度を取り繕って宣言したのだけれど、後ろの方は照れを引きずって小声になってしまい、


 「センパイかわいー……」


 …などと、威厳もへったくれもなくなり、生温かい視線に見守られるとゆー、しまらない仲直りになってしまったのだった。




 まあそれで揃って機嫌が直り、温かいお茶ではなく冷たい飲み物も欲しくなったので、わたしのおごりで自販機から適当にペットボトルを買ってきてこれから何を見にいこーか、って相談してた時だった。


 「秋埜、スマホ鳴ってない?」


 秋埜の呼びだし音はピタゴラスイッチの例の曲だったりする。いつもならその必要もないのに聴き入ってしまう和み系のメロディーも、こうして楽しいデートの最中では不粋に思えた…のは、かかってきた内容に不穏な予感でも抱いてしまったせいなのだろうか。


 「え?…あ、ほんとだ。ちょっと失礼っす………」


 パンツのポケットの中からスマホを取りだし、秋埜はその画面を確認する。その途端、きれいな顔は今日のこの楽しい空気にそぐわない陰りに俄に満たされ、わたしはその急変っぷりに思わず息を呑んだ。


 「………」


 多分、誰からの通話なのかを確認して、その「誰」かが秋埜にそんな顔をさせているのだろう。

 声をかけるのもためらわれる空気に気圧され、わたしは苦い顔のまま乱暴な手付きでスマホをしまった秋埜をじっと見つめる。


 「なんかしょーもない間違い電話でした。さ、センパイそろそろ行きましょ?ペリカンはあとでもー一回来るとして、なんかおっきい動物みたくなりました」

 「……いいの?」

 「何がです?」


 何が、って。

 どう見ても無理してるって顔に、わたしは微かに震える声で、本当に尋ねてもいいのかと思いながらも、訊く。


 「誰からだったの?」

 「だから、しょーもない相手ですよ。センパイが気にすることないっす」

 「そんな顔でそんなこと言われたって見過ごせないわよ。誰から?秋埜にそんな辛そうな顔させる相手だったらわたしも…」


 言い募ったわたしを遮るように秋埜は右の手のひらを突き出し、それからこれまで見たこともないような憤りを込めた顔になって、言った。


 「……うちを産んだ、ってだけの関係の、女からっすよ」

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