第十四話 グレちゃんがくれたもの

 グレちゃんの見送りは、十二月二十四日の夜、ぷーを見送ったのと同じ葬儀社で行った。

 ハナちゃんも同席してくれて、火葬を待っている間、二人で思い出話を肴に、泣きながら笑い、笑いながら涙を流し続けた。ぷーの時と同じように、心尽くしの鼻セレブを遠慮なく使いながら。

 ぷーが旅立ってから、わずかに二年。グレちゃんにとってもぷーにとっても、変則疑似家族で暮らした日々が一番長く、思い出も多い。

 ───単に思い出と呼ぶには、まだあまりにも生々しい記憶だったが。


 お骨拾いをする時、二人してまた泣いた。

 急激に痩せ細ったグレちゃんの骨は、骨粗しょう症になっていて、拾おうとして触れると崩れてしまう程になっていたのだ。そこまで力を尽くして、生きていてくれたのである。わたしの我が儘な願いに応えて。

「ねーさん、グレちゃんに『早く戻っておいで』っていってあげなきゃ」

 と、笑みを含んだ鼻声でハナちゃんが云う。

「それは駄目だよ。グレちゃん、頑張ってくれたんだから、少しは休まなきゃ。そんなこといったら、本当に全速力で戻って来ちゃうから」

「グレちゃんだからねぇ」

「グレちゃんだからさぁ」

 わたし達のそんなやり取りに、少し笑みを浮かべながら、葬儀社の社長さんが「戻って来てくれますよ」と小さく云ってくれた。


 グレちゃんの見送りが終って一日置き、わたしは仕事に復帰した。一応わたしは風邪ということになっていたが、グレちゃんの看病と見送りとで消耗していた為、それを疑われることはなかった。

 そして、淡々と日常の業務に戻って行きながら、不思議な───これまでに覚えのない不思議な感覚が、わたしを戸惑わせていた。

 グレちゃんを失えば、きっとペットロスになるだろうと、これまでにない程長く、深く、親密に過ごした日々を考えれば、とてつもない喪失感に襲われるだろうと、そう考えていた。

 けれども、そんな感情は全く押し寄せて来ない。チコの時も、たろうさんの時も、それなりの喪失感があったのに、自分の中にはそれに似た手触りさえない。

 仕事終わりの夕暮れを見ながら、「寒い思いをしないよう、早く帰らなくちゃ」とふと考えた時、もうそんな心配をする必要はないのだと思うことが、一番淋しかった。

 勿論、グレちゃんを想えば止めようもなく涙が出る。グレちゃんの事を語れば尚更に……。

 それでもその涙は、哀しくて泣いているのではなかったのだ。


 わたしは、グレちゃんの微細な変化を見逃さず、「どうして連れてきたの?」と獣医師さんに言われるような段階から、細かく病院と連携を取り、出来る限りの事をした。一方でグレちゃんは、そんなわたしの気持ちに応えて、力の限りを生きて、最後の最後までわたしに寄り添ってくれた。

 どんな人間でも、どんな生き物でも、死だけは平等で、必然で、いつかの日に必ず訪れるものである。

 その死に対面した時、わたしとグレちゃんは、自分の出来るだけの事を、出来るだけやり尽くしたのである。どんなに考えても、後悔や未練など残す余地もない程に。


 それ故に、わたしがグレちゃんを想って涙を流すのは、哀しくて泣いているのではないと、そう感じられた。

 グレちゃんと最後に過ごした濃密な三日間───それは、死という絶対の別れを目前にしながら、お互いに積み上げて来た信頼と愛情を確かめ合う、蜜月ハネムーンのような三日間だった。

 だから、わたしが涙を流す時に去来するのは、持て余す程の愛しさばかりなのだ。大事で大切で、わたしには勿体ない程愛しくて、ただただ涙が出る。

 グレちゃんがわたしに最後に遺してくれたのは、打算や怒りや、自分を憐れむのではない、愛しさが溢れて流れる純粋な涙───それは、身の内に溜まった毒を洗い流す、甘露の雨だった。


 グレちゃんがわたしにくれたものを数えると、およそ切りがない。

 十六年の時間をかけて、グレちゃんとわたしが育んできた想い───それは、わたしがずっと抱えて来た自分の欠落部分を、人として欠陥品であった部分を埋めて、温かくて優しいもので満たしてくれた。

 両親が長い年月をかけて、わたしの中に注ぎ続けた毒は、まだ奥深い所に存在する。けれども、グレちゃんが残してくれた甘露が、それを緩和してくれている。だからようやく『毒持ちでもいいや』と、『怒りや恨みを持っていてもいいや。それもまた、当たり前のことだから』と、歪んでいる自分というものを許すことが出来た。

 曲がっている・歪んでいる・間違っている・自分を偽っている───そんな自分を受け入れることが、やっと出来たのである。

 少なくとも、君が愛情と信頼を、生涯を掛けて注いでくれるだけの人間で居られたのだから。

 君という存在を経て、わたしはようやく一人のただの人間になれたのだから。


 だからこそ、わたしはここで、グレちゃんを失ってからの六年間、ハナちゃんにも話していない自分の最後の行いについて告白しよう。


 十二月二十三日、グレちゃんが激しい痙攣に襲われていたあの夜、グレちゃんの息の根を止めたのは、わたしだ。

 病ではない為、治療の為の薬もなく、ただ延命の為の点滴を続けてきた。『どこも悪くないのに、食事をしない』という事が、が来た証拠だと理解していながら、いつまでも未練がましくグレちゃんにしがみついていた。

 だからこそ、グレちゃんの意識が混濁していたあの時、苦しんでいるグレちゃんから本気の威嚇と攻撃を受けて、グレちゃんに叱られたと感じたのである。

『お誕生日までって云ったじゃない。だから頑張ったのにっ!!』

 完治の見込みがないまま、ただただ延命措置を続けるのは、単にグレちゃんを苦しめることに過ぎないのだと、改めて思い知ったのだ。

 痙攣の苦しさで、わたしの指を強く噛み込むグレちゃんを抱いたまま、わたしは弟に助力を求めた。日付が変わるぐらいの時間であれば、弟はまだ起きているからだ。その時のわたしは、いくらプロの営業ドライバーとはいえ、運転が出来る精神状態ではなかったのだ。

 そして、市の獣医師会が運営している夜間救急動物病院に、電話をかけた。わたしが口にした『安楽死』という言葉に、先方は「考え直した方が」と言ってくれた。それでも、わたしが事の経緯とグレちゃんの年齢を伝え、家族と同居しているが、グレちゃんがわたしだけの子であることを伝えるうちに、「連れて来てください」と云って下さった。


 弟は、特に反対することもなく、黙って運転手を務めてくれた。

 動物たちを助ける為に頑張っていらっしゃる先生方には、本当に辛い仕事をお願いしてしまったと思う。けれど、グレちゃんは頑張り過ぎるほど頑張ってくれたのだ。

 「本当にいいんですね」との問いかけにわたしは頷き、「同席させてください」と云うと、「勿論、同席していただきます」との返答。頭の片隅で、同席したがらない飼い主もいるのだと、ちらりと思った。

 おそらく麻酔の一種だと思われる注射を始めてすぐに、「ほら、もう意識がない」と先生が云うと、わたしはもう自分を取り繕ってはいられなかった。

 弛緩したグレちゃんの傍に寄り、まだ温かい体を撫で、遠退く意識に届いて欲しいと、必死で話し掛けた。わたしの声も擦れて、もう大声にはならなかったけれど。

「グレちゃん、ごめんね。ありがとう、本当にありがとう。愛している。愛しているよ」

 ご臨終です───と、先生が告げるまでに云えたのは、それだけだった。


 わたしの最後の行為に、異論・多論があることは、充分に承知している。批判をされるのであれば、それを甘受する覚悟もしている。

 けれども、わたしもグレちゃんもお互いを想い続け、最後の時を寄り添い、賢明に生きた事だけは、どうか信じてほしいと願う。

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