第十三話 グレちゃんにありがとうとごめんなさいを

 十二月の半ばを過ぎた頃、動物病院の先生に、「静脈点滴を二十四時間態勢で行えば、少しは違ってくるかもしれないから、入院しますか?」と訊かれた。

 わたしは、「この病院は夜間は無人ですよね。皆さんが朝に出勤された時に亡くなっている可能性はありますよね?」と訊き、判り切ったYESの返事に、「では、連れて帰ります。一緒に居ます」と答えた。

 その時でさえ、判っていた。『二十四時間点滴で違う』のは、延命出来る時間が違うのだということが。それをして幾分か延命出来たとしても、ほぼ間違いなく、わたしが居ない所でグレちゃんが生涯を終えてしまうのだということも。

 そんなことは出来ない。わたしが耐えられないのは勿論、弱って来てからずっと、わたしが触れていることを求めてくれるグレちゃんに、そんな仕打ちは出来ない。

 だから、わたし達は一緒に帰ることにした。わたし達だけのパラダイスへ。


 十二月二十一日。点滴通院に行く。グレちゃんの体重は、猫インフルエンザで弱りきっていた当初の二.八kgになっていた。そして、わたしは仕事に行くことが出来なくなった。


 実家におけるこれまでの経験からいうと、わたしがグレちゃんに付きっ切りになれば、「たかが猫にどれだけお金を使うんだ」とか「そんな事より会社に行くべきだ」とか「少しは家族と一緒に食事をしろ」などと言う筈の両親が、この時ばかりは何一つ言わず、ずっと放っておいてくれた。勿論、手伝いなどはないが、構わないでくれるのが一番ありがたい。

 おそらく、それ程にわたしは、「今、余計な口出しをしたら許さない」という空気をまとっていたのだろう。


 自分達の部屋でわたしとグレちゃんは、ただ一緒にいた。時折、水を飲ませたり、液状のご飯を口の中に塗り付けて舐めさせたりしながら、わたしが母屋のトイレに行く時などを除いて、ずっと左手を抱き込むグレちゃんと一緒にいた。

 ほとんどをうつらうつらとしているグレちゃんは、ふと気付くと、じっと身動みじろぎもせずにわたしを見ている。「どうしたの?」と訊けば、喉を鳴らして、抱き込んだ腕に擦り寄った。だからわたしは、猫ベッドごと抱えて横になり、囁く低い声で、思いつくままお噺をした。声が聞こえた方が、何となくグレちゃんが嬉しそうにするからだ。


『少し西の方にある大きな街の中のとある小さな町のひとすみで、

 ちいさなちいさなにゃんこは産まれました。

 とある大きな家の、狭い物置の床下で、

 ちいさなちいさなにゃんこは兄弟姉妹たちと産まれました』


 ただの想像でしかないお伽噺だ。仔猫のグレちゃんを、わたしは知らない。知りたいと思ったこともない。わたしは、わたしが出会ったままのグレちゃんがいいのだから。

 ふと、グレちゃんが動き、トイレに向かう。そして、半透明のフード付きのトイレの中で、用を足すわけでもなく座り込んだ。

 急がせることはするまいと、しばらく様子を見ていたが、一向に動く素振りが無いので声を掛けた。

「グレちゃん、どうしたの?」

 すると、何かに気付いたようにぴくりと動いて顔を出し、わたしを見て「うにゃん」と鳴く。まるで、わたしを探しに、トイレに入って行ったかのようだった。『うにゃうにゃ』と話しながら頼りない足取りで近付いて来るグレちゃんを抱き寄せて、いつもの言葉を顔の横で囁いた。

「大丈夫だよ。ここに居るからね。一緒に居るよ」

 体力が落ちて足取りは不確か、目も耳も弱っていて、意識も時折混濁しているようだったけれど、まだわたしの声も手も判ってくれていた。


 十二月二十二日と二十三日は、動物病院は休診日だ。だから、点滴に行くこともなく、二人で部屋に籠り切り。


 またしても、グレちゃんがふと動き始め、横に座るわたしの方を見もせずに、猫は入れても人間は入れない、父の使わなくなったロッキングチェアや両親の旅行用のスーツケースがある一角に、姿を消す。

 死に際を悟った犬や猫は、自ら姿を消す───という話が、飼い犬や飼い猫が自由に外と家を行き来していた少し以前まで、当たり前のようにあった。不思議な話として語られることが多かったが、わたしは無理もないとしか考えていなかった。

 病や老いで、外敵から自分を守れない状態の生き物が、安全に休める場所を求めに行っているだけだ。彼らは、死ぬこと等考えてはいない。生きる為に、身の安全を計っているだけなのだ。結果として、身を隠した場所で亡くなるのだとしても、彼らの本能が安堵できる場所で終わりを迎えるのであれば、それは良いことかもしれないとすら思う。だから、グレちゃんが同じ部屋の中で、わたしから見えない場所を選んでも、グレちゃんが安心出来るのならそれでいいと……。

 けれどグレちゃんは、しばらくして、よろめきながらも慌てたように出て来た。ふらふら・きょろきょろしながら。

 声を掛けると、ようやくわたしを見つけたようにはっと顔を上げ、歓喜ともクレームともつかない声を上げながら傍に来る。脳内超翻訳によると、『どこに行ってたの? 探してたのに』というニュアンスだろうか。そして、再びわたしの左手を抱き込んで、深く優しい溜め息を吐きながらベッドに丸くなる。

 わたしは、喉の奥に感情が詰まって、声を出すことが出来なかった。


 先程も述べたように、生き物が危機に瀕して身を隠すのは本能だ。そこには、野性か飼育動物かなどという区別はない。生きようとするただの本能である。グレちゃんが身を隠したのも同じことだと、その邪魔はするまいと、そう思っていたのに……。

 朦朧とした意識がはっきりした時、グレちゃんはわたしを探しに来てくれた。

 探しに来て、見つけて、喜んでくれたのだ。


 こんな、本当に目前に最後が迫ったこんな時にまで、グレちゃんはわたしに贈り物をくれる。

 絶対に得ることが出来ないと思っていた答えを、こんなにも判り易く、優しい形で示してくれる。

 どんなにへそ曲がりであっても誤解が入る余地など無い、純粋な信頼と愛情を───一緒に居たいと思ってくれているのだと、そう教えてくれるのだ。


 どうして、君はここに居てくれるんだろう?───愚問だと判っていても、考えずにはいられない。

 どうしてここに、わたしの手が届く所に、君のような大切で愛しい子が居てくれるんだろう?

 この奇跡のような幸運と幸福を、わたしが受け取っても良かったのだろうか?

 その答えを、もう知っていた。

 とっくに思い知らされていた。


 十二月二十三日、深夜───グレちゃんが、幾度も激しい痙攣を起こし始める。痙攣の中で意識が混濁し、本気の威嚇と攻撃を受け、雷に撃たれたような気さえした。

『一日でも長く、せめてお誕生日まで』と願ったわたしの想いが、どれほど我が儘なものだったか───人間ですら水も飲まずに絶食した場合、三日で死に至る。水があっても一週間が限界。

 それなのにグレちゃんは、十月の半ばから今まで、二ヶ月以上も頑張ってわたしの傍に居てくれたのだ。一日でも長くと、わたしが望んだから……。

 ありがとう、グレちゃん、頑張ってくれたんだね。

 ごめんなさい、グレちゃん、こんなにも頑張らせてしまって。


 そして未明、グレちゃんはわたしの傍らから旅立った。


 二〇一四年・平成二十六年、十二月二十四日───享年十八歳と九日。

 わたし達の記念日から、十六年と九日後のことである。

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