第十二話 グレちゃんのお誕生日まで
人間が水も飲まずに絶食した場合、三日で死に至る。水があっても、一週間が限界だ。
そんな事を知ったのは、もうどのくらい前になるだろうか? 災害の多い近年では、救助活動のリミットが、七十二時間以内ということさえ常識化している。そんな情報が、毎日ぐるぐると頭の中を回っていた。
劇的に食欲が落ちたとはいえ、十月下旬の段階では、多少は自分から食べようとしていた。水も自分で飲んでいる。
だから、少しでも食べやすいようにと、水で柔らかくしたドライフードとパウチ食を、別皿で半々にあげていた。あまりに食べた量が少ない時には、柔らかいドライフードを手に乗せ、「もうちょっと食べない?」とか「もう一粒だけ」とお願いすると、億劫そうに、それでも食べてくれる。
「おっ、一粒いけたね。じゃあ、もう一粒」というと、『え~……一粒っていうから頑張ったのに~』と、一を聞いて百を語る眼差しに責められることしばしば。それ以上無理押しすると、次は本当にお願いを聞いてくれなくなる可能性を感じて、素早く退く。
「ごめんごめん、今のはママが悪かった。グレちゃんは頑張ったもんね」
そんなやり取りを繰り返しても、以前のように食べられるわけではない。
十月半ばまで四kg台をキープしてきた体重は、十月三十一日には三.八kgにまで落ちていた。
出来ることは、脱水を緩和し、利尿作用を促す点滴治療しかない。病気ではない以上、与える薬さえない。
十月三十一日にまた皮下点滴を受けて、少し食欲が戻り、十一月二日にもう一度皮下点滴を受ける時には、三.八kgをキープしていた。
獣医の先生には、出来るだけ頻繁に点滴に来てほしいと言われたが、拘束時間の長い仕事をしている身では、それはとても難しかった。わたしの仕事は、病院が開く前に始まり、閉院したあとに終わるのだから。
それに、弱って少々警戒心が出ているグレちゃんに付き添えるのは、わたし以外にはおそらくハナちゃんだけだろう。そしてハナちゃんは、車輪の付いている足を何一つ持たないのである。
だから、休みの日を利用して、出来るだけ自分で通うしかない。
それでも、十一月十二日には、三.六kg───急激に落ちて行く体重。痩せ細っていく体。体の動きも緩慢になり、眠っている時間が長くなっていく日々。
なのに、この頃のグレちゃんは、不思議な程ご機嫌だった。
わたしと目が合うだけで喉を鳴らし、うにうにと嬉しそうに小さく話す。もうわたしの体に登って来ることは出来なかったけれど、足や腕に出来るだけくっついていようとする。点滴帰りの車中では、鼻を鳴らして何かを主張するので、キャリーバッグを開けて左手で撫でると、安心したように優しい溜息をつき、その手を抱き込んだまま眠るので、片手運転で帰って来るしかなかった。
わたしなんかの手で安心してくれるなら、幾らでも抱き着いていていい。もう新妻席に来て一緒に眠ることは出来なかったので、わたしも出来るだけ床に座ったり転がったりして、猫ベッドに丸くなるグレちゃんに可能な限り左手を提供した。仕事の書類を読んだり、飲み物を手繰り寄せたりするのには、右手があれば充分だ。
こうなると、もう毎日すべての時間で、グレちゃんのことばかりを考えてしまう。
十一月ともなると、徐々に寒さが押し寄せてくる。痩せてしまったグレちゃんには、寒いという事が過酷な筈だ。出勤前には、わたしが居ない間にグレちゃんが寒くないように、ホットカーペットの上に猫ベッドを設置し、低温火傷をしないように微調整をした。踏ん張りが利かなくなって頭を下げるのが辛そうなので、ご飯やお水の位置をやや高くして、少しでも食べやすいように。
ある日は、仕事で行った先で一~二時間の待機の時間があり、近くの有名な神社を訪ねた。これまで過去に参拝したことはなかったが、その神社は安産祈願で全国的に有名で、要は子供を守ってくれる神社だと知っていたからだ。
境内にある御神木はわたしが好きな楠で、神格を持つに相応しい風格の樹がぐるりと立ち並んでいる。それを順に回り、根元に設置されている『樹木保全の為の寄付をお願いします』と書かれた小さなお賽銭箱に、一枚ずつ硬貨を入れ、一本ずつに手を合わせた。勿論、本殿にも参拝したが、何だかわたしの想いは、人間の為の本殿より、神格を持つ樹木に託す方が合っているように思えたのだ。
すでに冬の匂いがする乾いた風と曇り空の下、時間の許す限り丁寧に参拝して歩いた。
どうか───。
『どうかグレちゃんを治して下さい』とは、どうしても云えない。
老いは病ではない。治る・治らないの問題ではないのだ。だから……。
どうか───一日でも長く、グレちゃんと一緒に居られますように。せめて、グレちゃんの十八歳のお誕生日である十二月十五日までは、一緒に居られますように。
どうか、グレちゃんが苦しみませんように。できるだけ辛い思いをしませんように。
どうかお願いします。あの子が、少しでも幸せでいてくれますように。
同じ願いばかりが、際限なく頭の中を回り続ける。
人間と飼い動物の幸せは、決してイコールではないだろう。人間らしい頭でっかちさで、飼い動物の幸せを一生懸命に考えたとしても、それはどこか動物側の望みとは違うだろう───動物好きを自称しながらも、ずっと何十年と考えてきたことである。
一緒に居てくれる子に、幸せでいてほしい。けれども、彼らは本当に幸せでいてくれているのか?
安全な寝床と充分なご飯さえあればいいのではないか?
人間側が望むほどに、飼い主のことを好きでいてくれるのだろうか?
人間同士であっても判らないことなのだ。きっと、本当のところが判る日も、是非の答えが返る日も来ないだろう。ぷーの本当の気持ちが判らないままだったのと同じに。
駆け足で夕暮れが早くなる晩秋に、残りの明かりに照らされた雲を見ながら、早く帰らなければと考える。
陽が落ちれば冷え込む。グレちゃんが暗い部屋で、寒い思いを出来るだけしないように、早く帰らなければ。
今日は、少しはご飯が食べられただろうか?
お水を飲んだり、トイレに自分で行けたりしただろうか?
まだ───わたしを待っていてくれているだろうか?
どんなに気持ちが逸っても、車の運転を伴う仕事だけに焦りは禁物。慎重さも必要。───何よりも、無事にグレちゃんの元に帰る為に。
そうして慎重に帰宅すると、ちゃんとグレちゃんは待っていてくれた。いつものように。
ご飯とトイレのチェックをして、あまり食べていないようならば、グレちゃんを抱いて、柔らかくしたご飯を一粒ずつゆっくり食べさせる。本当に食べられない時には、それなりの素振りをしたので無理はさせず、仔猫にミルクを飲ませる為の器具を使って、少しずつ水を含ませる。
最低限の自分の事を済ませる時間以外は、そんなふうに過ごした。
以前にも増して貴重な一分一秒を、少しでもグレちゃんと一緒に。
やがて、十二月一日。
グレちゃんの体重は三.四kgまで減り、皮下点滴では間に合わなくなったので、静脈点滴に変更する。そして、グレちゃんのお誕生日の十二月十五日には、体重は三kgにまで減っていた。
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