第十話 グレちゃんと刻の足音

 二〇一三年・平成二十五年の八月頃、グレちゃんの様子が少しおかしいことがあった。


 トイレを使う時に、微妙に変な鳴き声を出すことがある。通常であれば、用を足したあとの『トイレ終わったよ』の報告以外は特に鳴くことはないので、奇妙に思った。───が、用足しの報告はいつも通りで、その後はケロっとしている。

「どうしたの?」

「うにゃ?」

 うむ、いつもの調子だ。たまたまか?

 取り敢えず、心に留めおいて様子をみることにした。

 だが、毎回ではないものの、時折トイレで聞き慣れない鳴き声を出す。しかも、あまり良い感じはしない。微妙な変化ながらも、食欲も落ちてきている。この時点で、グレちゃんは十六歳と七ヶ月(推定)。体に支障が出てもおかしくないほど、充分に高齢になった。そして、高齢猫が最も支障をきたし易いのが、腎臓関係である。

 これまで、慢性鼻炎以外の変調はなかっただけに、見逃せない一件───勿論、病院送りだ。


 わたしの転居と病院の移転で通院距離がかなり遠くなったが、最初の最初からお世話になっている病院に、電話を入れてから駆け込んだ。実家に移ってからは自家用車が使えるので、この辺は問題ない。

 行われたのは、血液検査とレントゲン、事前電話で求められた排泄物とその場で採取した尿検査。

 すべての検査の詳細は後日になると言われたが、今のところ特に病変はないと聞いてほっとした。毎年苛酷さを増す猛暑の影響もあって、軽い脱水と年齢相応の腎機能の衰えはあるが、それも心配するほどではなく、正常範囲だという。

 「おそらく、脱水の関係で排尿痛があり、食欲の低下が起こったのでしょうから、念の為、皮下点滴をしておきましょう」───とのことだった。

 人間の介護の現場でも、脱水がもたらす諸症状は常に問題になっている。取り敢えず、医療関係者ではないのに、妙に細かく詳しいと言われるわたしに、理解出来ない言葉が出て来なくてよかった。

 後日、本猫を連れて検査結果を聞きに行った時も、結論は同じ。前回、皮下点滴を受けたあとは楽そうだったので、もう一度同じ処置をお願いした。

 前回も今回も、可笑しかったのはグレちゃんの態度である。

 度胸満点のグレちゃんは、お世話になっている女性の先生が大好きなので、何かと顔を見たがるのだ。採血の時も背中にする点滴の時も。

 犬でも猫でも、処置をする時に暴れると本動物ほんにんも人間も危険なので、飼い主が正面に立ち、両前足を持って保定する。わたしもそうしているのだが、グレちゃんはまず暴れることがないので、かなり形だけに近い。そしてグレちゃんは、先生の手元や顔を、つぶらな瞳でじぃ~~~っと見詰めるのだ。

 「お願い、見ないで……やりにくいから」と、先生が云うほどに。

 話し掛けられれば、グレちゃんは「うにゃ」と答える。先生は、「いえ、そうじゃなくて、見ないでほしいなぁって」。そう云われて、『そうなの?』と小首を傾げるグレちゃん。そうなると、先生も苦笑いをするしかない。


 笑い話だ───何も病変がなかったからこその、笑い話だった。


 帰りの車の中で、点滴で楽になったグレちゃんは、キャリーバッグの中で幸せそうにうとうとしている。

 大切で大事なわたしのグレちゃん。病変も腫瘍も、何もなくて本当に良かった。けれど───。


 けれど、どうしても考えてしまうし、考えておかなければならない。

 年齢相応───猫年齢で十六歳を越えたグレちゃんは、人間年齢で八十歳になる。よく見ないと判らないが、軽い白内障を発症しているのは仕方がないだろう。耳も少し遠くなり、暗灰色だったしましまは薄いグレーになりつつある。MAX五.八kgあった体重も、四.九kgに減っていた。六〇kgの人間であれば、九~一〇kg減っている換算だ。

 病ではなく、老いだ。そして、老いは病ではない。

 可能な限りの自宅介護をした母方の祖母は、体が元気な認知症で、享年一〇七歳で亡くなった。

 介護タクシーで係わる利用者さんは、持病がある高齢の通院している方々だが、朝に会った方に夕方会えなかったことや、数日前に会った方の定期便予約が無くなったことも、幾度か経験した。

 老いは病ではなく、自然の摂理だ。

 病ではないので、治療するすべはない。


 複雑な心境で帰宅したわたしを、母が待っていた。

 「どうだった?」と訊くので、「大丈夫、脱水だった」と答えた。そして、「あんた、あんまり入れ込み過ぎたらいかんよ」と……。

 もう何度も、聞いた事がある台詞だ。お世話をしている利用者さんに、あまり入れ込み過ぎたらいけない。親しくしている友人を含む他人に、あまり入れ込み過ぎたらいけない。その子の一生をお預かりしている同居生き物に、あまり入れ込み過ぎたらいけない。

 いずれお付き合いの無くなる人だから。

 いつかは離れて行く人だから。

 そして、所詮しょせんは先に死んでしまう生き物だから。


 そうやって、この人=母は、自分を守ってきたのだろう。自分だけを。

 その結果、何が残っているのか……この人の口から出る言葉は、自分以外の人間に対する恨み辛みばかりだ。友人や親族は勿論、実の母である祖母に対しても、最愛の伴侶である筈の父に対しても。

 それ故に、この人の言葉からは、いつも孤独しか感じられない。


 わたしは違う───と、思いたい。

 人は独りでは生きては行けない。

 わたしを助けてくれたのは、いつも他人だった。生命も、心も。

 わたしの魂を救ってくれたのは、生命が短い子たちだった。チコとたろうさんとグレちゃんと。

 わたしは………母に何と返事をしたのだったか……。


「そんなのとっくに手遅れだよ。わたしの大切で大事なグレちゃんなんだから」

 心の中で当たり前に出て来た言葉を、わたしが彼女に伝えなかったことは確かだ。母には理解出来ない感情なのだと、もうとうに知っているから。

 手加減して誰かを好きになることなど、わたしには出来ない。誰かを好きになる時は、いつも全力でいたい。幼い頃に決意したことだ。

 家族も級友も、誰もわたしを好きでいてくれるわけではないのだと思った子供の頃、『だったらどうするのか?』と何度も自分に問うことがあった。好きでいてもらえないのなら、誰のことも好きにならないのかと。好きでいてくれないのなら、わたし自身も無関心でいるのかと。

 子供のわたしは、自分を誰も愛してくれない世界より、愛しいものが誰も居ない世界の方が嫌だと思ったのだ。誰一人、好きにならない道を選ぶぐらいなら、全力で好きでいたいと。


 グレちゃんの残されたときが、どれくらいかは判らない。

 でも、ずっと一緒にいようね。最後まで一緒にいようね。

 わたしの優しいパートナー。

 わたしの最強のガーディアン。

 緑の瞳と長いシマシマしっぽが素敵な、灰色猫の君。

 君を愛している。

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