第九話 グレちゃんと我が母

 人間を上手に利用───もとい、人間と上手に付き合っていた野良猫時代、美貌と愛嬌でご飯をせしめてした西の横綱・グレちゃんは、飼い猫になって十数年が経っても、やはり要領が良かった。

 猫と遊んでみたい弟(四十代)とは適度に付き合って遊び、虐めたりはしないが、五感すべてから猫の存在を遮断したい父とはニアミスすら上手に避け、親族の来客が希望すればちゃんと挨拶もこなせた。幾つになっても、『実は猫じゃない説』と『実はすでに猫又説』が付きまとう出来た子である。


 では、実家の中央にドンと鎮座する祟り神系屋敷神・我が母とは、どんな付き合いをしていたのかというと……まあ、グレちゃん的普通で、それなりの愛嬌を振りまいていたようだ。

 なぜ、『ようだ』なのかといえば、母とわたしとグレちゃんが同席している場合、いうまでもなくグレちゃんはわたしの所に来る。当然である。

「それじゃあ、つまんない。触りたい」

 と、概ね母が主張するので、「グレちゃん、ママはお茶碗洗っているから、かあちゃんの所に行ってあげて」と依頼する。するとグレちゃんは、いつものように「うにゃ」と返事をして、テレビ前でゴロゴロしている母の所へお愛想に行ってくれるのだ。

 しかし、末っ子的我が儘&構ってちゃん気質&家族の物は自分の物である我が母としては、『わたしの依頼で』という事が、また不満の元になる始末だ。

 なので、彼女なりに考える。何とかして、わたしとグレちゃんを分離出来ないものかと。そして云い出すのだ。「ついでにお風呂に入ってきたら? その間、グレちゃんはわたしが見ているから」───見え見え過ぎて突っ込む気にもなれない。それに、グレちゃんであれば、母をいなすのは他愛もないだろう。

「じゃあグレちゃん、ママ、お風呂して来るからね。ちょっと待っててね」


 ───それでも、やはり事は起こる。


 風呂から上がってみると、母がグレちゃんと遊ぼうとして床で何かをカチャカチャいわせている。グレちゃんは、目を見開いて遠巻きにそれを見ている。一体何をしているのだろうと、母の手元を覗き込んで驚愕した。母は、フローリングに置いたハサミの持ち手の片方の穴に指を入れ、床を滑らせて刃を開閉させることによって音を出していたのだ。

 グレちゃんにじゃれてもらおうとしてっ!

「あなたは、何やってんですかっ?!」

 一気に沸点を越えた───当たり前だっ!!


 一体どこの世界に、小動物と遊ぶのに刃物を持ち出して来るヤツがいるんだ? あんたの脳味噌はどういう構造になってるんだ?


 もう少しはオブラートに包んだ物云いだったと思うが、そういうふうに怒った。だが、母はへらへらと笑って、「音に反応するって、あんたがいったじゃない。遊びなんだから怒らなくてもぉ」と甘えた口調で言う。

 言葉が全く通じていない───いや、怒らせようとしているのだから、ある意味では通じている。だから、余計に気味が悪い。

「グレちゃん、おいで。お部屋に帰ろう」

 わたしはさっさとグレちゃんを回収して、今度は怒鳴っている母を置き去りに我々のパラダイスに戻った。


 後日、母は弟に事の次第を話し、「わたしには悪気はなかったのに、あおが酷いの」と訴えたのだそうだ。そして逆に、「姉貴が怒るのは当然だ」とみっちり叱られたらしい。

 当の弟から、そう一連の報告を受けた。

「あの歳になったら知っていて当然の筈なんだけど、あのヒト、昔から刃物の刃の方を向けて人に渡すんだよね」

「あのヒトに刃物を渡されることがないから、わたしは知らなかった。だって、大抵の場合、わたしはmy道具を使っているから───でも、平気で手に持っている刃物の刃先をこっちに向けるねぇ、台所でも」

 とは、しみじみと切ない姉弟の会話。

「何にしても、相手の嫌がることや困ることや怒ることをして、関心を引きたがるから、嫌だし・迷惑なんだよねぇ」

「弟よ、嫌で迷惑なうちはまだいいよ。わたしは今まで何度、自分の命を賭け金にさせられたことか……」


 比較的近年、何かで『毒親』というものについて書かれた記事を読んだ。「おお、ナイス表現! しかも、ほとんどの項目に、うちの母親が当て嵌まるではないか」と、非常に感銘を受けたことがある。

 お察しいただきたい。つまりはまあ、そういう母親なのだ。付け加えておくならば、Better・Halfベター・ハーフである父親は口数が少ないからこそ目立たないが、紛うことなく似た者夫婦だ。

 そういう両親だから、実家に戻ると決めた時、悲壮なまでの決意が必要だったのである。けれども、何事にも誤算はあり、しかも今回は特別に良い誤算だった。

 以前、兄やわたしが中学生や高校生だった頃には、弟は幼稚園児や小学生で、年長者達の微妙なやり取りはよく判らなかったらしい。そして、二十年近くを空けて再同居に至った弟は、家庭の外から見ていては判らないわたしの微妙な立場と、両親がわたしだけに表す奇妙な態度を理解出来るようになっていたのだ。

 家庭内に理解者が存在するのは、初めての経験だ。それだけで、どれ程の力と勇気になるか……。

 グレちゃんが居てくれなければ、実家に戻る気になったとは思えない。故に、この弟との関係の変化もまた、グレちゃんがもたらしてくれたものに他ならなかった。


 そして、母に話を戻そう。

 前述の事があって、わたしがグレちゃんと母を出来るだけ二人きりにしなくなったので、母はわたしの留守中に口実を作っては、我々のパラダイスにグレちゃんを構いに来ていたようだ。わたしの部屋は物置の一部でもあるので、用事を作ろうと思えば作れる。

 けれどその度に、「今日は、呼んだら返事をしてくれた」とか、「ここにおいでっていったら、膝に乗ってくれた」と報告するものだから、秘密でも何でもない。「グレちゃん、わたしに懐いたよね」と単純に喜んでいるので、水を注すのも止めた。

 別の時に、同じ話を聞いた弟に、グレちゃんの行動の解説を求められた時には、きちんと説明をしたが……。


 つまりは、やはりグレちゃんは接客部長なのである。

 『自分とママのテリトリー内に客が来る → ママは居ない → 知らない人ではないし、お客さんは接待するものなので、自分がサービスしなければ』が、グレちゃん的思考回路だ。ついでに、テリトリー内であれば不埒な真似をされた場合、本格的に逃げ隠れするか、本格的に反撃するか、選択権はグレちゃんにある。

 反撃するような事態にならなかったのは、グレちゃんにとっても、母にとっても幸運だったとしかいえない。

「俺もだけど、かあちゃんも転がされているわけだ」

「そこは、グレちゃんだからねぇ」


 そんなわけで、母は現在でも、「グレちゃんはわたしに懐いてくれていたよねぇ」と、云うことがある。

 まあ、幸せな誤解は、解く必要もないだろう。

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