第八話 グレちゃんが看病

 思えば、ぷーの亡くなった年、二〇一二年・平成二十四年は、わたし個人としても、多くのことがあった年だった。


 十月の誕生日で父は喜寿になり、十一月には両親は金婚式だ。

 サプライズのお祝いをしようと言い出したのは、当時ブライダル関係の仕事をしていた弟だった。

 若い時から昔のハリウッド映画のファンである母親は、やたらとウエディングドレス憧れていた。イメージとしては、オードリー・ペップバーンというところだろう。弟曰く、結婚式は無理でも、コネがあるから貸衣装で写真だけでも撮ろう云うのだ。伝手があるから、本来より安くやれる筈だということだった。

 両親が結婚した当時は、父の実家が呉服屋だった為、戦中世代である我が母の年代では珍しく、白無垢と色打掛まで着ることが出来ている。それなのにそれ以上を望むのだから、貪欲だなぁとは思うが、憧れはどんな人にでもあるものだ。それにアイディアは悪くない。わたしも、実家に戻る決意をした時から、良い娘を演じ切る(そこにアイがなくとも)と決めていたので、反対はしなかった。


 それでも、実行に当たって幾つかの問題はある。

 まず軍資金の問題。本来より安いとはいえ、それなりの軍資金は必要だ。わたしと弟はなんとかするにしても、家庭を持っていて、お祝いごとに疎い兄は承諾するだろうか?

 そして、衣装の問題。父は大丈夫だろう。元々花婿になる男性陣は、体格の個人差が大きい為サイズが豊富だ。ついでに父はスーツが似合う人なので、こちらで選んでおけば素直に着てくれる筈である。自分が着る物に頓着するたちの人ではないので、特に心配はない。

 難しいのは母の方で、彼女の希望はウエディングドレス───レースと裾をズルズル引き摺るドレープとそれに見劣りしないヴェール───つまりお姫さま仕様だ。シニア用のスリーピースごときで満足するわけがない。

 発案は弟だったが、結局男にウエディングドレスのロマンが判るわけもなく、衣装の選択から兄への交渉まで、細かい所の実行部隊はわたしがやるしかなかった。


 兄嫁を通じて兄から出資の承諾を得て、作戦が稼働したのは五月───決して暇になることはない仕事の合間に、ずいぶん頑張ったと思う。

 弟の勤めるブライダル会社で、貸衣装のウエディングドレスを選ぶのが、一番大変だった。とにかく量が膨大で、母が自分で選びたいだろうとは思うものの、彼女にやらせると何日かかるか判らない量なのだ。

 それ故に一計を案じ、先にわたしが、ドレスのタイプ別に五着まで絞ったのである。そしてスタッフさんと口裏を合わせ、レンタルの経費問題で、この五着から選ぶということにする。勿論、彼女好みの本命を混ぜていたので、当日の母はまんまとそれを選んだというわけだ。


 その頃は、わたしも弟も父も働いていたので、予定を合わせる都合上、全面サプライズにはならなかったが、計画は概ね上手くいったと思う。

 弟は、撮影会をする場所まで父の送迎。

 わたしは、母の花嫁気分を盛り上げる為に、一日ブライダルエステに連れて行き、乙女気分を盛り上げる為に美容に良いオーガニックランチに誘い、早めにドレスアップに連れて行った(ちなみに、この辺りの経費はわたしの個人持ちである)。

 驚いたのは、乙女心を失わない母の化けっぷりだ。

 元々太っている人ではないが、若い人向けの衣装だと、背中のお肉辺りが余る。それは、プロの方々が背中をリボン状のコルセット・モドキで誤魔化してくれたのだが、それにしても───七十四歳でウエディングドレスが似合うのって、どうよ?

 げに女性は妖怪の類いなり。


 そんなこんなで、作戦開始から大成功を収めた作戦の終了まで四ヶ月。

 これでやっと仕事に集中出来ると、仕事に頑張ったのが十月。

 そしてわたしは、十一月に体調を崩した。どう考えても過労による免疫の低下が原因で、そうなってもおかしくないハード・スケジュールだったのだ。人生初めてのウィルスへの敗北───嘔吐下痢症を発症したのである。


 介護福祉士という職業柄のせいか、普段が健康過ぎて体調の変化に敏感だったのか、完全に発症する前に異変に気付き、大きな病院で検査をしてもらったのだが、その時点では異常なし。事が起こったのは、その日の深夜になってからだった。

 両親が寝静まった時間に始まった下痢と嘔吐。下して・吐いて・諸々出しまくった挙句、出るのが水だけになってもまだ吐いた。

 異変に気付いた弟が、昼間に受診した病院の夜間外来に連れて行ってくれ、嘔吐下痢症と診断されたものの、出来る処置は脱水を緩和する点滴だけ。あとは、毒素を自力で出すしかないという。

 それから四十八時間ほど、間断なく吐くので横になることすらできなかった。一緒に居るグレちゃんは、おろおろと心配してくれているのだが、嘔吐する動作が激しくて傍には寄れない。

 水を飲んでもおかゆを食べても吐く状態がやや改善すると、次に襲って来たのは背筋の激痛だった。お医者さま曰く、背筋の痛みは嘔吐下痢症の症状ではないということだったけれど、痛いものは痛い。後日判明したのだが、元気良く吐きすぎて、女子にしては発達している背筋がとんでもない炎症を起こしていたらしい。ゲル状の鎮痛消炎剤を塗り込むと、焼けるように熱いというおまけまでついた。

 嘔吐下痢の果てに続いた症状としては、タッチパネルが反応しないほどの脱水、背筋の激痛が治まったあとには、脱水に伴う頭痛、それも治まれば荒れた胃の痛みと、ほとんど日替わりランチ状態だった。

 その間、弟は水や経口補水液の調達などしてくれたが、両親は相変わらず寄り付きもしない。吐しゃ物の処理なども、自分でした。

 まあ、今更寄り付かれても、逆に面倒なだけなのだが。


 そんなこんなで、ようやく幾らかでも嘔吐の症状が緩和されてきたのが、三日目か四日目ぐらいだったか?

 嘔吐に伴う激しい動きが無くなった為、遠巻きにうろうろしていたグレちゃんも、ようやく傍に来られるようになった。なので、グレちゃん自身が触れることの出来なかった数日分を埋め合わせるように、すりすり・舐め舐め・グルグルを延々と続け───まだまだ具合の悪いわたしが朦朧もうろうとしている隙に、落ちた。

 ふと気付けば、ガックリという感じで前のめりに寝落ちしていたのだ。

「グレちゃん?」

 擦れた声で呼びかけても、ピクリともしない。慌てて抱き上げても無抵抗で、かつて日向で爆睡していたぷーのようにぷらんぷらん。

 脳味噌に、水分も栄養も足りてない状態のわたしは、非常に慌てた。グレちゃんがこんな様子になったところを、一度も見たことがないのだから。

 まだ、自力で外出できる状態ではなかった為、取り敢えずかかりつけの動物病院に電話をかける。

「すみません、あおです。わたしが今、嘔吐下痢症をやっている状態なのですが、猫に人間の嘔吐下痢症はうつりますか?」

「うつりません」

「でも、今、コレコレこんな状態なんですけど?」

「多分、あおさんのことを心配し過ぎて、疲れちゃったんですよ」

 まあ───今になってみれば、当然の問答。阿保な質問をしてしまったと、我ながら思う。


 そうか、疲れちゃったのか……。

 確かにわたしが具合が悪いのは生理痛の時ぐらいで、風邪もろくにひかないのだから、今回の病状にはグレちゃんだってびっくりしただろう。一緒の部屋にいるわたしが眠れないのだから、グレちゃんだってゆっくり眠ることなど出来なかった筈だ。

 ほっとすると同時に、消耗している体が睡眠を求めて来た。

 わたしはまだよく動かない体をゆるゆると慎重に動かし、抱いていたグレちゃんをいつもの新妻席に寝かせ、自分もベッドに入る。お互いに、数日ぶりの定位置───鼻息をかけ合う場所に納まった。

 しばらく一緒に寝ようね。起きたら、ちゃんとありがとうと心配かけてごめんねを云うからね。

 今度訪れた眠りは、何日振りかの穏やかな眠りだった。

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