第四話 グレちゃんと小太郎
あとで聞いた話だ。わたしが実家に戻る前、両親と弟は、六代目の犬・シェットランド・シープドッグの
秀は、弟が同じ県内の遠方で働いていた時に、一人で飼い始めた犬だ。その後、弟の仕事が多忙になった事と、一軒家の社宅から借り上げアパートに移る事になったので、秀だけを実家に連れて来て両親に面倒をみて貰っていたのだ。
実はわたしは、弟が秀と出会い、一目惚れをした瞬間に立ち会っている。けれども、ストレス障害が酷かった時の話で、すでにグレちゃんという相棒を得たあとの事。当時は互いに遠方で暮らしていた為、彼とは数度しか会っていない。実家で飼っていた犬たちの中で、わたしが最も関与していない子なのだ。
わたしが実家に戻る頃、秀はとうに亡くなっていた。享年は八歳で、中型犬としては一応シニアだが、歴代の犬たちの中でも格段に早世だった。加えて、母や弟に聞く晩年の秀の話にはまとまりがなく、何がどうしてそんなに早く亡くなったのか、未だによく判らない。
生き物の健康管理に疎い家族への批判は置いておくとして、初めての洋犬で、賢くて大人しかった秀を、みんなが愛しく思っていたのは本当のようだ。
その傷心もあり、家族の平均年齢が高くなったこともあって、『犬を飼うのはもうやめよう』という話になっていたのだそうだ。
だがその後、わたしがグレちゃんと一緒に戻ってきた。
うっとうしくも暑苦しく、べたべた・いちゃいちゃとして憚らないわたしとグレちゃんが。
いくら猫が好きではなくとも、モフはモフ───お互いを一番に据えたわたしとグレちゃんの激熱ラブ・ビームが、モフ欠乏症に陥っていた母と弟に火を点けてしまったのである。
そして、家族会議が開催された。
新しく犬を迎えることにいい顔をしなかったのは、父だった。
父は、犬だけは好きと言い切るのだが、とにかく生き物が怪我をしたり・病気をしたり・死んだりするのが嫌なのである。でもまあ、母と弟がタッグを組んだ以上、父が陥落するのは予定調和だ。
一方で、わたしの意見はあっさりしたものだった。
「犬が飼いたいのであれば、反対はしません。ただし、飼いたい人がちゃんと面倒をみて下さい」
かつて、五代目・花子を迎える前にも云った言葉である。なので、それを無視されることを、あらかじめちゃんと警戒していた。
父とわたしの承諾を得た母と弟は、それは大喜びで、飼うのであれば秀と同じシェットランド・シープドッグがいいとはしゃぎまくりだった。そして、上がったテンションのまま、素っ頓狂なことを言い出すのは、当たり前のように母である。
「じゃあ、お散歩は当番を決めて、ご飯代やワクチンとかの予防接種やフェラリアの予防にお金が掛かるから、みんな社会人だし、全員から毎月一万円ずつ出し合おう。余った分は、病気をした時とかの治療費に溜めておくから」
───と、明るく
オイオイオイ、ちょっと待て───と、異論を挟んだのは、父とわたしである。
「僕が飼いたいわけじゃない。僕は、今のまま犬が居なくても構わないんだぞ」
「さっきいいましたけど、犬は、飼いたい人が面倒をみて下さい。わたしの愛も手間暇も経費も、グレちゃんの為の物だから───わたしはグレちゃんのことで、みんなに迷惑かけてないでしょ?」
「え、でも、散歩があったら旅行に行けなくなるし」
……そりゃ、当たり前だろーよ。
あんた、今まで通り、十日以上の旅行に行く気なのかい? さすが、かつて五代目・花子を放置して、長い旅行に出た経験者は、言う事が違う。
心の声には賢く蓋をして、「全員留守の場合は、ちゃんと世話をします」───とは答えたものの、先が思いやられることこの上ない。
あれやこれやの混乱はあったが、ともあれシェットランド・シープドッグの仔犬を、新しく家族に迎えることになったのである。
程なく、弟と母は、望んだ仔犬を連れて帰ってきた。秀と同じセーブルという模様と色の、よく似た仔犬だった。二〇一一年・平成二十三年のことだ。
その当夜、初めての自分だけの犬だった秀に思い入れが深い弟が、両親に話すより先に、わたしに相談があると云って来た。つまり、資金提供者特権の命名についてだ。
「二代目ということで、秀って名前にしたいんだけど、どう思う?」
意識の外で、予想していた問い掛けだった。大人になって、新たな姉弟関係を結びつつある弟には、出来るだけ正直でいようと思っていたので、私的にど真ん中ストレートな返事をした。
「そうしたいのなら、止めないよ。ただ、わたしだったら絶対しないけどな。どんなに似た子でも別の子なんだから」
弟にしても、その返答は予想していたらしく、「だよねぇ…」としか答えなかった。
数日が経ち、発表された仔犬の名前は『こたろう』。漢字をどう充てるのかと訊いたら『虎太郎』というので、「虎は大型猫科動物だろーが」と突っ込んだところ、「嘘、冗談だって『小太郎』だよ」と弟は云い直した。だが、正直なところ信用出来ない。弟は幼少のみぎりから、生粋の阪神タイガース・ファンだからである。
でもまあ、本人がはっきり言わないのがいけないのだし、わたしは『小太郎』が気に入っているので、そう呼んでいる。ただ、随分とあとになって見た正式登録は『虎太郎』だった。
それならそれできちんと主張すればいいのに、出来ないところが、まあ、何というか……末っ子らしいところなのだろう。
さて、その小太郎が来てグレちゃんがどうしたかというと、別にどうもしない。
ハナちゃん達と暮らしていた時と、ルールは同じである。
わたしが帰宅した折、仔犬の小太郎が母屋の玄関先で出迎えようと、少し大きくなって庭先で出迎えようと、一旦は無視。まず、離れで待っているグレちゃんの所に行って、「ただいま」を云う。これはグレちゃんの権利だ。どんなに
他の家族にとってはともかく、わたしという飼い主(厳密には小太郎の飼い主ではない)をメインに置いた場合、優先順位というものがはっきりしていたので、まあ、当然のことだっただろう。
一つの敷地で暮らしていれば、たまにはグレちゃんと小太郎がニアミスをすることもある。
ペットショップ出身の小太郎は猫に違和感を持たず、グレちゃんとも仲良くしたがるが、野良育ちで序列に厳しいグレちゃんは、よく年長者の教育的指導をしていた。仔犬VS十六歳の妖怪疑惑を持つお局さまの勝敗は、敢えていうまでもない結果だった。
年に何度か、家族が全員留守をする時には、散歩(トイレ)を我慢している小太郎を先に世話することもある。
『中型犬は、本犬の為にも周囲の人たちの為にも、きちんとした躾が必要』と常々家族には云っているのだが、彼らは信じられない程に躾が下手だ。なので、やむなくわたしの預かりになっている時に、集中的にトレーニングする羽目になる。
ただ小太郎は、さすがにワーク犬だけあって覚えが早く、優秀だった。
けれど、ここで勘違いさせないのが肝要。
「お前は賢い子だ、小太郎。自分の飼い主がかあちゃんと弟だとよく判っている。そう、わたしはお前の飼い主じゃない。わたしは、この群れのボスだ」
生後一年から二年の間に行った刷り込みは、現在に至っても完璧だ。
だが一方で、お散歩&トレーニングとなると、それなりに時間が必要で───ご想像の通り、本来なら甘やかしタイムに入っている筈のグレちゃんはご立腹。フォローが大変だったのはいうまでもない。
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