第二話 グレちゃんの甘えん坊パラダイス
ハナちゃんとぷーと猫の為の同居同盟の初動期、この変則疑似家族が上手くいくかいかないかのキー・ニャンはグレちゃんだった。
元々、警戒心が発動する一線を越えない限り、極めて社交的で愛想のいいグレちゃんは、巧みに全員のバランスを保ってくれていた。わたしのベッドやハナちゃんの布団をぷーと共有していたし、ぷーと一緒に遊び、教育的指導もしてくれた。
けれども、どこかで我慢をしていたんだなぁ───と、いうことが判るまでに、幾日も必要ではなかったのである。
働き詰めの引っ越し休暇が終ると、わたしは元通り仕事に行き始めた。
変わったのは───
一:グレちゃんが玄関先までお見送り&お迎えに出られなくなったこと。
二:わたしが通う営業所が近くなった為、通勤時間が短くなったこと。
三:介護タクシー専属になったので、勤務時間が読めなくなったこと。
四:帰宅後の食事&家事タイム・風呂タイムにストーカーが出来なくなったこと。
五:前の四つを除けば、わたしの時間の全部をグレちゃんが独り占め出来るようになったこと。
この五つだ。
特に五番目の件で、グレちゃんは変わった。まるで赤ちゃん返りしたかのように、甘えん坊が炸裂したのである。
まず、一日の始まりに、わたしが出勤する為の着替えを始めると、わざと背を向けてお寛ぎの体勢を作る。そして、準備が出来て「グレちゃん、お仕事行ってくるね」と云えば、さもたった今知りましたと云わんばかりに、『はっ!』と振り向き、『まさか……まさか、こんな可愛いわたくしを置いて、お仕事に行ってしまうの?』と、哀しげにうるうると見つめてくるのだ。
これを毎回してくれるのだから、さすがは大女優の貫禄。そして、猫にあるまじき、さすがの几帳面さ。この誘惑に負けてしまいたくて、毎朝、毎朝、会社をサボりたいと真剣に考えた。
帰宅時には、離れの二階の窓辺でお出迎え。多分、以前と同じように、通勤用の原付バイクのエンジン音を覚えたのだろう。必ず窓辺で待っている。そして、うっかり玄関先で母親と話しでもしていようものなら、只ならぬ声で呼びつけるのだ。曰く、『ぐずぐずしとらんと、さっさと上がってこんかいっ!!』と、脳内超翻訳が告げていた。
まあ、間違ってはいないだろう。
そして、わたしがやらなければならない事すべてが終わったあとのフリータイムには、くっつくことができるすべての面積を使ってべったり密着。トイレだ・ご飯だ・ケズケズ(家庭内用語・毛繕いのこと)しろと、要求は絶えない。
また、グレちゃんが熟睡しているからといって、「いってきます」の一言も云わずに部屋を空けると、あとのクレームが凄くなったのもこの頃からだ。
人見知りをしないグレちゃんだから、時には母屋にも連れて行った。
母親は、猫が嫌いなのに興味しんしんだったし、弟は扱いが判らないだけで、嫌いですらなかった。心底猫が嫌いだったのは、父親である。姿を見るのも・声を聞くのも絶対に嫌。人の気持ちの空気を読むグレちゃんと、ある意味で絶妙のコンビネーションがあり、お互いにお互いの存在をスルーしまくりである。
グレちゃんがわたしから特に離れたがらない時は、無理に待たせずに母屋へ一緒に行くのだが、その度に、ハナちゃんとわたしの間では「グレちゃんだからねぇ」で済むあれこれが、母親と弟の間でカルチャーショックを生み出した。
当時、グレちゃんは十三歳と数ヶ月───わたしと一緒になって、すでに十一年と数ヶ月が過ぎており、阿吽の呼吸も極めていたといってもいい状態だった。
わたしが台所で片付け物等をしている時、最初の最初からのルールで、グレちゃんはわたしの肩の線より前には出て来ない。
そのかわり背後から、「んにゃ」・「にゃにゃ」・「うんぐるにゃ」と間断なく話し掛けて来る。その度にわたしは、「はーい」・「なぁに?」・「グレちゃん、どうしたの?」・「もうすぐ終わるからね」と返事をした。作業が長引きそうな時には、食器を扱っている手は使わず、近くに行ってチュウをする。勿論、したくてするのだ。
すると、段々イライラしてくるのが、自称動物好きの我が母だ。まあ、犬はたかが犬、猫はたかが猫と言い切る人の自称動物好きは、底が見えているようなものだが。
「ねぇ、それって、いちいち返事をしなきゃいけないの?」
やがて、苛立ち満点の声で母親が云う。
「そりゃあ、するよぉ。一生懸命話し掛けてくれてるんだから」
イライラを逆撫でするのを承知の上で、わたしはのんびりした声を作って答えた。わたしの声が尖ると、グレちゃんが緊張するのだから、当然の配慮である。
そして、もう少しグレちゃんを見てみたいという母親の要望に応えてリビングに留まり、台所仕事も終わって座ると、待ち兼ねたグレちゃんがわたしに登って来る。そしていつもの、可能性の限界まで挑戦したコバンザメ状態。あるいは、母イルカと仔イルカ。
実家に引っ越したのは五月───初夏だ。毎年恒例となっている猛暑・酷暑が、目前に迫っている時期だった。
「あんた達さぁ、この暑いのに、なんでそんなにくっつくの? 見てる方が暑い」───と、母。
「そりゃあ、くっつきたいからさぁ」
当然だ。べったりくっついていれば、わたしだってグレちゃんだって暑い。それでも、お互いくっつきたいからこうなるのである。
これ程に、認識の違いの溝は深い。
故に、七~八人
すべての家庭内仕事が終わり、「じゃあ、グレちゃん、お部屋に帰ろうか」と声を掛けてわたしが立ち上がると、当然グレちゃんも動き出す。すると、廊下に出たわたしとまだリビングにいるグレちゃんとの間のドアを、唐突に母親が閉めたのだ。
「ちょっとっ!」と、急いでドアを開けようとするわたしを止める母親の言い分が、「あんたが居なくなったあと、どうするか見たいからそのまま行って」だ。
全くもって、冗談じゃない。
勿論、わたしは母親の言い分を無視してドアを開けた。「もうっ」と子供のような膨れっ面をする母親に、断固として云う。
「そういう実験的なことはしないで。グレちゃんとわたしの間の空間を勝手に遮らないで」
わたしは本気だったが、おそらく母親には全く通じていなかっただろう。彼女には、人間以外の生き物と人間との信頼関係が、どんなふうに成り立っているものなのか判っていないのだから。
わたしが駄目だと云わない限り、グレちゃんが付いて来てはいけない場所はないのだ。だから、わたしはグレちゃんとの間に物理的な障壁を作らないようにしている。我々はもう十年以上、暗黙の了解の上にそうやって暮らして来た。
このあと、わたしは駆け寄って来るグレちゃんを抱き上げて、自分達の部屋に戻った。後ろ手にリビングのドアを閉める向こうで、母親が───「だって、あんたが居るとこっちに来てくれないし」とブツブツ言うのが聞こえる。
そりゃあ、当たり前じゃろ?
わたしのグレちゃん・グレちゃんのわたしなんだから。
そんなこんなの障害があったからか、わたしとグレちゃんの愛ある絆(大人女子と元女の子猫との関係に適切な表現かどうかは不明だが)は、より強固になっていった。
誰の邪魔も入らない築四十数年の半物置の部屋は、グレちゃんとわたしにとって、お互いを大切に出来る至上のパラダイスだったのである。
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