第一話 グレちゃんの新居は古い家

 デジャヴ───日本語で既視感きしかんという。本来は、過去に経験したことがないのに、同じような経験をしたことがあるような気がすることをいう。

 だが、わたしのこの場合は、デジャヴではなく、過去に本当に見たことがある光景だった。二十代半ばに働きに行っていた東京から、地元にUターンして来た時、実家に戻ってみると、わたしの荷物の多くが庭に置かれていたのだ。

 前回も今回も、わたしは最後まで退去する部屋に残り、不動産屋の立ち合いに同席していて、実家に入るのは荷物よりあとだった。違うのは、前回の荷降ろしは友人有志の協力で行われた為、無理はお願いできなかったということ。だが今回は、引っ越し業者に依頼していたのに、何故なにゆえ庭に荷物が置かれているのだろう? わたしの荷物のほとんどは、少量の衣類と多くの本だというのに、小雨が降る中で庭にあるという状況まで同じだ

 ───まあ、訊かずとも、誰のせいであるかは自明だが。


 一応、確認の為に尋ねてみると、やはり犯人は我が母だった。

「全部やってもらうのは気の毒だったから」

 確か前回も、同じ台詞を聞いた。けれど友人有志はともかく、お金を払って依頼している業者が相手なのだから、気の毒もなにも、多少の困難を伴ってもしてもらえばいいのだ。彼らもそれが仕事なのだから。

 でなければ、荷物が駄目になる前に、わたしが単独で二階への荷運びをしなくてはならなくなる。

 つまりは、まあ……二度も続けば嫌でも判るものだ。これが、我が母の無意識の嫌がらせなのだということが。この家におけるわたしの扱いなど、こんなものだろう。

 だが、今更そんなことで驚きはしない。「またか」と思うだけだ。そんなことより、今のわたしには優先すべき仕事がある。間もなく、グレちゃんが到着するのだ。

 『グレちゃんが着くから』という理由で、当面は庭の荷物は放置。

 取り敢えず、どんなに引っ越し荷物がひしめいていようと、グレちゃんのご飯とお水とトイレ、安全地帯であるベッドだけはセッティングしておかなければっ!


 大慌ての準備は、どうにかギリギリセーフ。時間の余裕などほぼ無いタイミングで、ペットショップの人に連れられたグレちゃんが到着した。

 特に猫が好きでもないくせに───というか、はっきり言って嫌いなくせに、玄関先で会わせろと大騒ぎする母。

「大きな声を出さないで。グレちゃんは知らない場所に到着したばかりで、まだ状況が判ってないの。グレちゃんが現状を把握して落ち着いたら、ちゃんと会わせるから」

 断固としたわたしの口調に、へそを曲げる母。へそを曲げるだけなら可愛げもあるが、この程度のことで本気で怒り狂い、嫌がらせの域にまで至るのだから、大人げないというか、何というべきか……。

 けれども、今はそんなことは知ったこっちゃない。半歩譲ったら、百歩踏み込んで来る人だ。わたしとてグレちゃん絡みで、一歩たりとも譲ったりはしない。


 なんとか母を振り切り、キャリーバッグを抱えて離れの二階に移動する。この離れは、母方の伯父である長男が若くして亡くなった後、寡婦かふになった伯母と一人娘の従姉が暮らす為、四十年以上前に建てられたものだ。一階は元から物置だし、二階も物置として使われて久しく、古い建物なので壁に断熱材も入っていないし、ライフラインも電気しか通っていない。それでも、グレちゃんと二人、邪魔が入らないのはありがたい限りだ。

 グレちゃんが少しでも安心できるように、キャリーバッグを開けるのはわたしの臭いが付いているベッドの上にした。

 知らない人と狭い場所から解放されたグレちゃんは、真っ先にわたしを確認し、山のような苦情を云いたて、それから周囲の状況の異変に気付く。

 知らない臭いの部屋。

 知っている臭いの荷物。

 それらが混然一体となって荷物は奇岩群のように積み上がり、取り敢えず落ち着けるのはベッドの上と、その脇の半畳程の隙間だけ。さて、どう反応するのか……。

 「うにゃ!」と、『何事?』的な一声。けれど、悪い反応ではない。ワクワク成分を含む「うにゃ!」だ。長い付き合いで、その程度のニュアンスは判る。そして、トイレの確認と用足し、お水とご飯のルーティンを済ませ、もう一度わたしの居るベッドに戻ってうにゃうにゃと話し掛けて来る。

「いいよ、好きなだけ冒険しておいで」

 そう云うと、グレちゃんは早速ダンボール・ジャングルの探検に出掛けた。人間は通れなくとも、猫が通れる隙間はあるものだ。


 グレちゃんが到着する前、これから住むことになる離れの二階に入って、さすがにちょっと驚いた。事前に一度、片付けと掃除に来た時より、更に荷物が増えている。『わたしの引っ越し荷物が』ではなく、実家で普段は使わない諸々の荷物が、である。これも嫌がらせの一環なんだろうと、我が母の日頃の行いから推測せざるを得ない。

 辛うじてベッドだけは組み立ててあったものの、あとは、座る程のスペースしかなかった。愛用のベッドは畳ベッドなので、座って半畳・寝て一畳を地でいっている状態だ。ついでにいえば、カーテンもン十年前の半端な物が下がっているだけ。正しく、物置状態での引き渡しだった。これでは、庭に置かれていた荷物が、二階に上げられるわけがなかったわけである。

 とにかく時間がないので、考えるのはあとにして、回収できる箱は回収し、積み上げられる箱は危なくないように出来るだけ積み上げた。そして、グレちゃんを迎えたのである。


 冒険に出たグレちゃんは、姿は見えなくとも、何かを見つけて上げる声が聞こえる状態。どんどんダンボール・ジャングルの奥に進んでいるようだ。

 正直に云えば、あまり奥地には進んで欲しくはない。

 何故なら、一度の掃除では排除し切れなかった、ヤモリさんたちの侵入痕跡(すなわちウ〇チ)が残っているからだ。最初のスウィート・ホームの頃から、ヤモリさんたちはグレちゃんの遊び相手だった。先方には迷惑この上なかっただろうが。

 引っ越しカオスの中で、ヤモリさんたちと白熱した遊びはして欲しくはないものだ。出来れば、山積みのダンボールの危険性が、多少なりとも減るまでは。

 引っ越し休暇は、二日しか取っていなかった。

 なので、引っ越し当夜から、ひたすら本の解体を進めた。本を片付ける=部屋はある適度片付く。これは、わたしの引っ越しにおける、いつものことだったのだ。


 何かを見つける度に、うにゃうにゃと報告に来るグレちゃん。転居自体は余り気にしてないようだし、ワクワクしているのなら何よりだ。

 けど、明日からはもっと期待していていいんだよ。

 この家は古いけど、とにかく広い。ジャングル化したお庭も広い。ついでに、最初のアパートより、二度目に暮らしたマンションより郊外だから、夜のお散歩も出来るし、家のすぐ前に公園もある。

 賃貸マンションの時のように、キッチンやトイレやお風呂場に同行は出来なくなったけど、グレちゃんが楽しいと思うことは沢山あるよ。


 お邪魔虫な人間族は気にせずに、グレちゃんが楽しんで・幸せに暮らせること、それこそがわたしの一番の望みだから。

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