Tightrope で陽気に踊ろう

 小学生の頃に考えたことがある。大人になって、元が判らないほどの整形手術をして・行方を晦ませて名前を変えて───そうしたら、普通に恋をして結婚する事が出来るかもしれない。

 そんな妄想をしかけて、わりとすぐに断念した。結婚をするのであれば、是非子供が欲しい。何人でもっ!!───けれど、遺伝子までは変えられないのだから、かつての自分に似た子供が産まれてしまうのだ。何人でも……。


 中学生の時、これまでに刷り込まれてきたあらゆる常識や善悪を、一旦白紙に戻す必要があると決心した。例えそれが膨大な作業になろうとも、物事の一つ一つを自分で考え、自分で判断を下していかなければならない。そうしなければならない程に、幼少のわたしを養育した人々の考え方は、一般社会と乖離かいりしていると確信した。


 高校生の時の現代国語の授業で、『理由の判らない恐怖に襲われ、子供のように泣き叫んだ時、助けを求めて呼んだのは母親だった』という趣旨の詩を学んだ。そのあとの放課後に溜まり場になっている部室で、「やっぱり、ああいう時はお母さんを呼ぶよねぇ」・「そうだよねぇ」との会話を聞いて、「えっ?! みんなそうなの? 本当に?」と訊き返して、周囲を驚愕させたことがある。「呼ばないの?」と問われ、「まず間違いなく助けに来ない人を呼んだって、仕方がないじゃない」と答え、倍々で同級生をドン退かせた。


 二十歳になる以前のわたしに、そんな想いをさせて来た両親の居る実家に戻るという、今回の選択肢───全く、わたしは本物の阿呆ではなかろうか?


 けれども、これが最後の機会なのだ。

 我が子の心を長年に渡って圧殺し、衣食住や金銭は提供しても、親としての情愛や庇護は与えてくれなかった相手が、最後に何を思い・何を云うかを、わたしは知りたい。それでも、自分たちが相手を───子供達を愛していると勘違いしている人達が、最後にどうなるのかが知りたい。おそらく、わたし自身が伴侶や我が子を得ていたら、「そんなことは知ったことか」と、今際いまわの時でも寄り付かなかっただろう。

 けれども、そんなことは起こらず、介護の仕事で見聞きした現場で行き違った家族の悲惨さを知り、心強いパートナーを得た今なら、見極めることが出来るような気がした。心の奥底に実の親に注がれ・溜め込んだ毒を封じ込め、毒消しの薬を得る方法を探し、良い娘を演じながら、人としての義務を全う出来るような気がするのだ。

 最強のガーディアンを得た今なら。


 ハナちゃんが結婚する事・実家の近くの営業所に転勤になる事を伝え、わたしは両親に一つの条件を出した。

 曰く、グレちゃんが一緒でいいのであれば、実家に戻る。それがダメなら、味噌汁が冷めない距離に部屋を借りる。

 その頃には、同じ県内でも遠くの市で働いていた弟が、倒産&転職の果てに実家に戻っていた。その弟も加えての実家内家族会議が行われ、五十年以上前に建てられた二階建ての離れの部屋であれば、猫と一緒に暮らしていいとの答えを貰った。相も変らぬ天上からの目線発言ではあったが。

 その離れは、一階・二階ともに長年物置として使われていて、通っているライフラインは電気だけ。多少片付けたとしても、住めるのは半物置状態の二階の部屋だ。トイレも風呂も台所も母屋にある上、壁に断熱材も入っていない過酷さだが、それでもグレちゃんと二人の時間を放っておいてくれるなら、それだけでいい。いかに社交的なグレちゃんとはいえ、自分を好きではない人達と一つ屋根の下は嫌だろう。


 そんなこんなで、わたしとハナちゃんの明確な今後が決まった三月から五月ぐらいまでの間、怒涛のように忙しくなった。

 わたしは、寝台車の研修・介護福祉士の試験・引っ越しの準備。ハナちゃんは、新婚新居の準備・各方面の手続き・会社関係の手続きと、慌ただしい事この上なし。やらなければならないことは山積みである。

 ハナちゃんとわたしの間では、共同で買った家財道具の割り当てもすんなり決まった。

 経済的に余裕のないわたしは、それなりの結婚祝いが出来ないので、わたしが家庭内料理人として個人的に買って間もないスリードアの冷蔵庫を、結婚祝いにあげると云い、キャットタワーも譲った。グレちゃんはもう高齢で、すでにあまり高い所には登らなくなっていたから。食器類等も、欲しい物があれば持って行っていいと。始めから全部揃えるのは大変な筈だ。それに、わたしは実家になるから、一切の家電が必要なくなる。

 一方で、離れの部屋は過酷だし、エアコンはわたしの持ち物だから持って行くが、敢えていうのであればテレビ&DVDプレイヤーが欲しいと希望した。

 ハナちゃんは、親族から貰った結婚祝いで、テレビは大型の薄型テレビのブルーレイ付きを買うからいいよ、と。食器もお気に入りがあるんじゃない? それはねーさんが持って行ってよ───と、いう具合だ。


 想像していたより、ハナちゃんとぷーとの別れは実にあっさりしたものだった。

 別れとはいっても、二度と会えなくなる別れではない。同じ市内に住んでいるのだし、会おうと思ったらいつでも会える。喧嘩や諍いの果てではなく、互いに新しい人生に向かう為の別離なのだ。

「じゃあね」

「またね」

 良き別れとは、そんなものかもしれない。

 こうして、ほぼ九年間続いた猫の為の同居同盟は、円満な終わりを迎えたのである。


 例によって、引っ越し業者に入ってもらう前に、グレちゃんとプーにはペットホテルの一時預かりに避難してもらった。引っ越し業者による荷物の移動が終ってから、新居に入居してもらう段取りだ。これが、猫娘たちにとっては二度目の引っ越しとなる。

 ハナちゃんとぷーという、わたしにとって幸せな変則疑似家族はわたしの手を離れた。助けを求められれば勿論手助けをするが、これからは彼女たちの新しい家庭で、それぞれに幸せを追求していくことになる。

 そしてわたしは、自分の人生を左右した難題に立ち向かう為に、敢えて実家に戻るのだ。今度は戦う為ではない。自分の中でもはっきりしない、何かの決着をつける為に。


 その時も思っていたが、今でもやはり愚かな行動だと思う。

 別に、わたしを含める多くの人々が、それぞれに抱えている葛藤や物事に、一つ一つ決着をつける必要などないのだ。


 THE FOOL───タロットカードの中にある一枚のカードを思い浮かべる。

 不器用な愚か者でもいい。己の求めるところに従って、踊るようなステップを踏みながら、グレちゃんと伴に歩いて行こう。

 人生における最上のギフトが、緑色の優しい瞳で傍に居てくれるのだから。


 そして、我々はサード・ステージに移る。

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