第十四話 グレちゃんとみんなの日曜日
ハナちゃんは、わたしを『ねーさん』と呼ぶ。
実際九歳年上だが、姉というよりあだ名のようなものだ。そういうことはずいぶん以前にもあった。
実の弟が、わたしを『姉貴』もしくは『あねさん』と呼んでいたことがあるのだ。わたし自身は呼ばれ方に拘りがないので、好意ある呼び方であればどう呼んでもらっても構わない。ただ、弟とその友人の遊びに人数合わせで参加したのを機に、この『あねさん』が彼らの間でブームになったことがあったのだ。
「キミたちねぇ……その『あねさん』、姉ではなくて姐で呼んでいるでしょう?」
反応はテヘヘ笑い。正解のようだ。全くもう、『姐さん』なんて呼ばれてもどこの組の姐御でもないのだけれど……。まあ、彼らに悪意があるわけでなし、「別にいいよ、好きに呼んで」とそれを容認した。
ハナちゃんの『ねーさん』は、この『姐さん』に通じる何かを感じる。まあ、年齢差からいってお母さんとも小母さんとも呼び辛いだろうから、その代わりとしての『ねーさん』だろう。つまり『身内のねーさん』ってことだ。
それはそれで悪くない。
ずっと家に居たわたしがタクシードライバーとして働き始めて、在宅時間が半分に減った。しかも、その更に半分は寝ているという状態だ。
そのせいだとは思うのだが、妹分と猫娘たちの甘えん坊が数十%増量になった時期がある。それが特に顕著になるのが、全員が揃う日曜日だ。
とある夏の日曜日の早朝、ただいまとドアを開け、フルフェイスヘルメットを所定の位置に置き、バイクブーツを脱ぐ頃には、狭い玄関先は大渋滞を起こしていた。猫娘たちと、わたしより身長は低いが小柄ではないハナちゃんとが、「おかえり・おかえり」と行く手に
「あいよ、ただいまただいま」と云いながら足元を掻き分けて部屋に戻るのに対して、全員がぞろぞろ付いて来る。どうやら、わたしが長時間留守にしている間に、それぞれがそれぞれに話したいことが出来たらしい。この場合、家庭内ルール上、優先順位はグレちゃん・ぷー・我慢が出来る人間のハナちゃんの順番だ。
着替えてから改めてグレちゃんに向き合うと、グレちゃんは膝詰め談判の態勢で、イントネーションをつけて、うにゃうにゃと話し始める。勿論、いかなわたしでも内容は判らない。それでも、グレちゃんが話すのなら、相槌を打ちながら喜んで聞く。
「それで? うん、そう、頑張ったのね。それから淋しかったのね?」
話しているうちに、グレちゃんはどんどん距離を詰め、膝を経由して座椅子に座っているわたしの腹に乗り、胸元でぎゅっとハグをし合う。そして、満足すると、肩越しにわたしの背後にあるベッドへと去って行く。これでワンセット終了。
次は、わたしとグレちゃんがいちゃいちゃしている間、大人しく横でちょこんと座り、順番待ちをしていたぷーだ。ぷーは、グレちゃんほど自ら伸し掛かって来ないので、「おいで」と呼んで、こちらから抱き上げる。ぷーはグレちゃんほどにはおしゃべり猫ではないが、それでも多少は話す。抱っこしたまま、耳の後ろや喉の下や顔回りを撫で撫でしていると喉を鳴らし始め、「うー」とも「くー」ともつかない声でうにうに・ぶちぶちと話す。
「そっか、ぷーも我慢してたのか、偉いぞ。昨日はママ(ハナちゃん)が居たでしょ? おばちゃん(わたし)が居ないのも淋しいんかい?」
そうして話しながら、すりすりと甘えるのにも満足すると、ぷーもまた肩越しにベッドの方に去って行く。ツーセット終了 。
ちらりと見ると、甘えん坊タイムが終った猫娘たちは、満足気に毛繕いを始めていた。
───と、いうことで、いよいよハナちゃんの順番なのだが、二十四時間働いて来たわたしの限界も近い。猫娘たちと話す場合と違って、ハナちゃんは抱き上げる必要がないので、小腹を満たしたり・一杯呑みながら話をする。
とはいえ、通常の日常会話すら成立しない家庭で育ったわたしにとっては、そんなふうに普通で当たり前のことが楽しいのだからいいのだ。ぎりぎりまでちゃんと付き合う。つまり、わたしが寝落ちするぎりぎり寸前まで。
そしてわたしは、薬の助けもあって安らかに眠った。睡眠導入剤と聞くと拒否反応を示す人も多いが、それがあってやっと眠れる人間にとっては必要なものなのだ。この頃には、発症した当初よりずいぶん軽い薬にもなっていた。
安らかに眠って、夕方まで目覚めない筈───だった。
だが、何か目覚めを強要する不快感が───いや、違う。暑い。ちゃんとエアコンを入れて寝た筈なのに、眠っていられないほど、耐え難く暑い。どうして───?
全く寝足りていない状態で、嫌々薄目を開けると、カーテン越しの陽射しは昼間のものだ。「いったい何が?」と確認すると、信じられない光景が展開していた。
グレちゃんは枕元に居る。それは当然なのだが───狭いシングルベッドの上に、全員が集合しているではないかっ!
それだけではない、Tシャツ&ショートパンツで寝ているわたしの露出した首や腕や太腿に、みんなして肉球をくっつけているのだ。ハナちゃんまでっ!!───これで暑くない訳がないだろーがっ?!
「チミまで一緒になって、ナニやってんの?」
「だって、ねーさんの体って、冷たくて気持ちいいから~」
そりゃあ、わたしは低体温だし血行も悪いし低血圧だし、キミたちより冷たいだろうさ。だからって、寝ている時に4+4+2の肉球を当てられていたら、いくらなんでも暑いんだよっ!(この際、ハナちゃんに肉球がないことは、大きな問題ではない)
「お~ま~え~ら~!」
うがぁっと吠えて、グレちゃんまでベッドから追い出しはしたものの、暑かったからというより、三人(三匹?)とも甘えん坊の日だったのか、部屋からは出て行かず、なんだかんだと六畳一間の中に
次の勤務は明日の朝から。だからこのまま起床しても、夜にはもう一度眠れる。そして、時間からしてそろそろハナちゃんが、お昼ご飯を欲して「お腹空いた」と主張する頃合いだ。
わたしはまんまと彼女たちの計略(多分)に嵌り、寝ることを諦めてシャワーを浴びた。
泣く子と甘えん坊───特にその子たちが愛しければ尚更───には、勝つことは出来ないのだ。
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