第十三話 グレちゃんは愛故に

 いつもいつも、『実は猫じゃない』疑いを掛けられるほどに賢く、わたしに対して寛容なグレちゃんが、どうしても許容出来ない物事があった。

 その筆頭がPCの存在───もとい、PC作業に没頭するわたしというべきだろうか。


 療養中の時も、社会復帰してからも、わたしがPCの前に座っている時間は長い。

 ライフワークとして作品を書いているか、小遣い稼ぎ程度ではあるがバイトのテープ起こしをしているか、親しくしていた陶器店のホームページ作成を手伝っているか───その時々により、まあ色々だ。

 特に、何らかの依頼を受けてやっている仕事であれば、〆切という名の期限が生まれるので、なおさら一回の作業時間は長くなる。加えてわたしは、基本的に没頭仕事が好きなので、どんなに長時間、寝食を忘れる程に作業していても苦ではない。まあ、トイレかコーヒーを求めて中断する事があるぐらいだ。


 しかし、わたしの助手を生業にしているグレちゃんにとっては、事情がとてつもなく違う。

 わたしがPC作業に没頭している=グレちゃん自身に関心が向いていないということを、彼女は良く理解していた。

 作業を始めてすぐであれば、PC机の下のわたしの足元に陣取って満足している場合もある。少し長くなって来ると、机のスキャナーの上やマウスパットの横に在所を移して来て、わたしの手元をじっと見ていたり、動く手にしっぽで触れたりして自分の存在を主張し始めたりもする。

 もっと長くなると、わざわざわたしから遠ざかり、用もないのに呼びつける事もあるのだ。


 それで終わればよいのだが、終わらないので事件は起きる。


 その時、ほんの少し───ほんの少しだけ席を外して戻って来ると、何かが違っているような気がした。

 グレちゃんは、席を外す前と同じく、机の上の定位置=わたしの右隣。PC画面も特に変化なく、違和感の原因がよく判らない───よく判らないのだが、何かが違うのだ。

 何が違うのだろう?───と考えながら作業に戻ろうとして、やっとその正体に気付く。


 マウスがない。


 正確な表現をするのであれば、マウスがあるべきマウスパットの上に、グレちゃんのぽむぽむしたお尻がある。

 グレちゃんのお顔はあっち向き。お尻とシマシマしっぽはこっち向き、ついでに長いしっぽは体に巻き付けて収納中(猫がしっぽを体に巻き付けているということは、しっぽが攻撃されないように警戒しているということ)。───と、いうことはつまり……。

 わたしがお腹の下に手を突っ込むことを、グレちゃんは拒んだことがない。末端冷え性故に指先の感覚が無くなり、暖めて貰おうとした時も。ただ単に、癒しを求めての行為だった時も。

 そして今も、拒みはしない───が、香箱座りを崩しもしない。これはやはり、そういうことなのだろう。

 グレちゃんのモフモフのお腹の下を探って行くと、マウスはやはりそこにあった。例えて云うなら、母鳥が卵を抱いている状態───と云えば、判り易いだろうか。

 取り戻したマウスを片手に「グ~レ~ちゃ~ん?」と凄んでみても、不機嫌そうにちらりと振り返るだけで、断固としてマウスパットの上に居座り続ける態度は、実にグレちゃんらしい。これがぷーであれば、一目散に逃げて行くところである。

 その頑固さも、PC仕事をする上でのキー・アイテムがマウスだと見抜いているのも、さすがは部長・さすがは横綱・さすがは猫又予備軍───相変わらず、ただ猫ではない。

 結果、我慢に我慢を重ねたグレちゃんの断固たる主張に、わたしは勝てた例がなく、本日の店じまいは決定だった。


 しかし、どんなにグレちゃんの不興を買ったとしても、どうしても動かせない期日もあって、それでもPC仕事を続けた事がある。すると、律儀にも翌日にはキチンと報復措置があった。

 キーボードのキーの一部が、何個か掘り出されていたのだ。それも、破壊したわけではなく、単に外してあるだけ。

 事ここに至ると、困ったり腹が立ったりするより、むしろ感動すら覚える。物を完全破壊することなく、わたしの仕事の邪魔をするその手法と洞察力に。

 やはりグレちゃんに関しては、『ただの猫』だという認識の方が間違いなのかもしれない。


 ここまでグレちゃんに我慢をさせるのは、わたしの本意ではない。だから作業を終了した折には、誠心誠意フォローに走る。構ってあげられなかったお詫びに利子を付けて、構って・甘やかして・構い倒すことに全力を尽くす。

 それで、取り敢えずその場だけは治まりはするものの、次に同じ状況になれば、同じ事が繰り返される。そしていつしか、グレちゃんのマウス隠しは『抱卵』と呼称されることになった。


 これ程までに、わたしのPC作業に不満を持っているグレちゃんだが、これがお絵描き作業になると、全く違うことになるのだ。

 同じ没頭作業でも、お絵描き作業は、一人用の炬燵台を机代わりにしているからかもしれない。座椅子に座って炬燵台で作業となると、机に居る時より、俄然グレちゃんとの距離が近いということだ。

 ハナちゃんからのリクエストで、お誕生日プレゼントにぷーの肖像を描いていた時も、難病で闘病している子供たちへのボランティアをしていた知人のヘルプを受けて、アマチュア劇団が作る長期の入院をしている子供用CDドラマ用の挿絵を描いていた時も、特にグレちゃんからの抗議は無かった。

 わたしが作業している間、グレちゃんはわたしの体に寄り掛かってうとうとしていたり、膝の上で丸くなっていたり、台に手を掛けて立ち上がり、作業している手元を覗き込んでいたりと好きにしていた。詰まる所、好きな時に触れる位置にわたしが居るか居ないかが、グレちゃん的に問題だったのだろう。


 常に Case by Case だったが、グレちゃんはその愛故に、癒しも協力も妨害もするのだと、よく判る一連の出来事だった。それらもまた、飼い主冥利に尽きるとにやけているのだから、わたしも同罪である。


 没頭作業の中で唯一、グレちゃん故に完全に止めなければならなかったのは、物作りの趣味の一環であった編み物だ。棒針編みも鈎針編みもレース編みも一通りマスターして、グレちゃんがうちの子になった当時は、ニットワンピースという大作を編んでいたのだが、制作終了間際には断念することになった。

 グレちゃんがどんなに賢くて理性的でも、猫の本能故に、リズミカルに動く、針と毛糸の動きに反応することを止めることは出来なかったのである。

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