第十二話 グレちゃんと風呂場劇場

 風呂場───それは飼い猫たちにとって最大の鬼門。


 数あるペット情報誌の中でも語られることに、『飼い猫は女王様・飼い主は下僕』というのがあるぐらい、大多数の猫たちは家の中を自由に歩き回り、気ままに振る舞う。どんなに飼い主がモフモフしたくとも、猫様にその気になっていただけない場合、伸ばした手は空を切る。甘えたい時には、人間側の事情を忖度しない───というのが、世間一般に認識されている人間と猫の関係らしい。

 何故『らしい』なのかというと、我が家においてこの方程式は成立しないからである。

 わたしとグレちゃん・ハナちゃんとぷーの二組は、お互いにストーカー認定ができるほど、相思相愛の関係だからだ。人間の方も猫の方も呼べば返事をしながら来るし、呼ばなくても来る。寒い季節は勿論、猛暑・酷暑になってもべったりくっついて、クールダウン休憩を挿みながらも可能な限り離れない勢いだ。そして残念ながら、他の猫飼い家庭とのお付き合いがなかった為、この状況がノーマルな関係だと思っていた。

 そんな訳で、我が家の常識の諸々が『一般的にどうなのか』という検証は難しいのだが、うちの子たちにも、諸々の情報で聞く飼い猫たちとの共通点はある。つまり……。


 お風呂が大嫌い───これだ。


 例外的に風呂が好きな飼い猫もいると聞くが、これは個体差もしくは個性だろう。虎などは水浴びを好むが、お住まいが熱帯雨林故と思われる。家猫が水に濡れるのを嫌うのは、祖先が少雨乾燥地帯出身のリビア猫だったことと関係するらしい。

 そんなこんなで、風呂場は最大の鬼門なのである。


 ぷーは仔猫の頃からトリマーさんにお世話になっていたので、ペットサロンに連れて行ってもさして問題はない。───が、グレちゃんは、激しい抵抗の果て、トリマーさんを負傷させた挙句に追加料金を取られたという前科がある。以前のペットホテルの案件など諸々含めて、グレちゃんが本気で嫌がることは、わたしがやるしかないらしい。本当に、最初の最初から看護スタートの関係の為、どんなに嫌なことであろうとも、わたしがやるのであれば自分にとっては仕方がないのだと───おそらくそんなふうに納得していたのだろう。

 そして、一匹洗うのであれば二匹洗っても大差はない。ペットサロンはお金がかかるのだ。


 お風呂の日は年に二回。春と秋の換毛期に遂行される。

 決行日は、わたしとハナちゃんの双方が休みの日で、その二・三日前から、こまめにブラッシングをしたり隙をみて爪切りをしたりと、準備に余念がない。

 そして当日は、猫娘たちを緊張&警戒させない為の緊張感が張り詰めた。常に何気ない様子を装い、風呂桶にぬるま湯を溜め、シャワーの温度調整をし、風呂場に猫用シャンプーと脱衣所に山のようなバスタオルとタオルを準備する。そしてわたしは、必ず厚手の長袖トレーナーと古いデニムに着替える。負傷予防の為だ。

 準備が出来たからといって、性急に事に及んではいけない。我々がいつもと違う様子を見せれば、猫娘たちが察知してそわそわするのだ。だから、何気にいつものようにテレビを見ながらコーヒーを飲んだりして、油断を誘い───グレちゃんをGETした瞬間から、ベルトコンンベア作業が始まる。


 グレちゃんが『しまった』と思う頃には、後の祭り。すでに風呂場の中だ。それからどんなに叫ぼうと、どんなに嫌がろうと、『お風呂はイヤなの。ホントにイヤなの』とわたしに取り縋って涙うるうるの瞳で訴えても、事が終わるまで開放されることはない。むしろわたしに、「よいではないか・よいではないか、涙目のそなたもかわゆいのぅ」と玩ばれ、二度も洗われた後、最後のシャンプー成分を洗い流す為、服のままのわたしと風呂桶に浸かるところまでがワンセットなのだ。

 どんなことでも常にグレちゃんが先行なのは、ぷーは警戒心が甘く、好奇心が強いからだ。

 わたしが風呂場から、「ハナちゃん、そろそろ頼む」と声を掛けると、グレちゃんの修羅場を覗きに来ていたぷーをハナちゃんがGETする。毎度のことながら、実に簡単に捕まるのだ。

 そして、バスタオルでぐるぐる巻きにしたグレちゃんとぷーを、手渡しでチェンジして、同じような阿鼻叫喚が繰り広げられる。一方でハナちゃんは、グレちゃんを宥めながら、せっせとタオルドライをしている。

 やがて、濡れた服を予め用意していた物に着替え、ぐるぐる巻きにしたぷーを抱いてわたしが出てくると、再び猫娘をチェンジ。怖がるからドライヤーは使えないので、ひたすらタオルで水気を拭っていく。グレちゃんは、ある程度拭き取ると、残りは自分で舐めて乾かしてくれる。その点、ぷーは毛繕いが下手なので、ハナちゃんがママの根気を総動員し、時間をかけて乾かしていくのだ。

 グレちゃんが毛繕いモードに入ったあと、わたしの残りの仕事は、猫の毛塗れになったシャンプー用の服一式&タオル類の洗濯と、同じく猫の毛塗れになった風呂場の掃除───その間、ハナちゃんはずっとぷーのタオルドライに励んでいる。半年に一度の猫洗い行事は、かようにチームワークを必要とする過酷な労働として敢行されるのだった。

 故に、我が家の猫娘たちにとっても、お湯が張ってある風呂場は鬼門だった。夏場の乾いた風呂場であれば、冷たいタイルが気持ちいいのか、涼みに行ってもいたようだが。


 そして、ぷーにのみ、鬼門的エピソードがもう一つ加わる。


 冷房の件は以前述べたが、暖房に関して、わたしは石油ストーブ派・ハナちゃんはハロゲンヒーター派だ。石油ストーブが猫娘たちに危険であることは判っていたが、中型二輪通勤で極端な冷え性のわたしは、石油ストーブ&ホットカーペットのコンビがないと冬を過ごせないのだ。

 対してハナちゃんは、ハロゲンヒーターで充分という方。風邪を中心に病気に罹る率は高いが、暑さ・寒さに関しては強かった。そして、『温かさ加減が』というより、目を酷使しているわたしにとって、ハロゲンヒーターのオレンジの光が強過ぎたということもある。


 ───そして、またしても事件は起きる………。


 最初の数年は、猫娘たちにとってストーブが危険ではないかと心配していた。けれども、概ね猫娘たちは、ストーブに群がるひまわりのような状態で、心配するほどのことは起こらなかった。その油断が不味かったのかもしれない。


 とある冬の深夜。

 突然始まる猫の大運動会───グレちゃんから仕掛けることはないので、追いかけるのはいつもぷーだ。そして、追いかけっこに夢中になるあまり、火が点いたストーブにぷーが飛び乗ったのであるっ!

 ゼロコンマ数秒で垂直に跳ね上がったぷーを、わたしは空中でキャッチした。どうやってキャッチ出来たのか全く判らないが、とにかくキャッチしたのだ。熱さと痛みで泣き叫んで暴れるぷーを抱き込み、そのまま風呂場に直行。脳内では、火傷の緊急処置のマニュアルが駆け巡った。

 いきなり冷やし過ぎるのはマズイ。火傷の程度に依っては、急激に冷やし過ぎると肉の奥深くまで火傷が進行するケースがある。まずは洗面器に溜めた普通の水道水に、巾着状態で抑え込んでいた肉球を漬け込んだ。そして、LED以前の薄暗い照明の下で火傷の確認。ぷーはまだじたばたしていたが、それにはお構いなし。

 騒ぎを聞きつけてハナちゃんが来てくれたので、綺麗なタオルを何枚か頼んだ。

 本当に一瞬の出来事なのが幸いしたか、酷い水泡になったりただれたりしている個所はないようである。もう一度、冷た過ぎない水に足先を漬け、恐怖で逆立った毛並みを撫でながらゆっくり話しかけると、ぷーもやっと治療をされていることが理解出来たようで、甘えた声でぶつぶつ云い始め、少し大人しくなった。


 幸い、ぷーの火傷は酷いものではなく、微量の人間用軟膏と我々の見守りで完治した。正直、我々には、そこらのホラーより恐ろしい出来事だった。

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