第十五話 グレちゃんと季節変わりの風

 少しずつ、あるかなしかの変化が忍び寄って来たのは、おそらくわたしが忙しくなり始めてからだった───と、思う。あとになって考えてみれば。


 タクシーの仕事は、長時間勤務の上、なかなかのハードワークだ。更にわたしは、他の同僚と違う仕事もある。昼間の乗務時の介護タクシーだ。入社面接からその話をしていたわたしに、当時の営業所長は良くしてくれた。新人研修の間に介護部門に紹介してくれ、一年間のタクシー修行のあと、すぐにヘルパー資格を取得する制度を使わせてくれた。

 人手不足は何処も同じで、ヘルパー資格が必要な介護タクシーのメンバーは、九つある営業所の全員を集めても多くない。最初から介護タクシーに参加する意思があったわたしは、資格の取得前から介護保険が絡まない仕事や助手の仕事があり、資格取得後はもう遠慮はいらないとばかりに、介護タクシーの予約が増えていった。

 同時に、日々スキルアップも求められ、祖母の無形遺産を有効活用できる喜びと、三年もの間働けなかったことへの反動で、わりと喜々として仕事に励んだのである。勿論、まだまだ各種症状と折り合いをつけながらではあったが、それですら少しずつ慣れていった。


 疑似家族内の変化は、どの辺りから始まっていただろう?

 わたしの再就職がきっかけだったことは間違いないが、それでも最初の頃は特に何も感じてはいなかった。それとも、わたしが病の症状の一環で変に鈍いところがあったから、そのせいで気付いていなかっただけなのだろうか?

 ハナちゃんの事をいうのであれば、猫の為の同居をする前から、彼氏未満の男友達が何人か常に居たし、時々は特に親しい人をうちに連れても来たし、泊まることもあった。

 そういう時のぷーは、わたしとグレちゃんと一緒に眠ることが多かった。まあ、男女の親密な所には居辛かったのだろう。

 けれども、追い出されたというわけではなく、猫の為の通路はいつでも開放されていたので、ぷーでもグレちゃんでも出入りは自由だ。ついでに、雰囲気を伴う空気も小さな声も出入り自由だった。なので、テレビの明かりだけの薄暗い部屋で、それなりのムードになっている時、わざわざ不要なコーヒーを入れに台所に行き、「をするなら外に行け。猫娘たちがビビルしわたしも困る。泊まって行くのでなければ、二人とも叩き出すぞ」との威圧感を意図的に放ったものだ。

 勿論、言葉に出して云ったこともある。


 だからといって、怒っていたわけではない。むしろ、普通の成人男女なのだから当然のことだろう。わたしのように、普段から異性の相方がいなくても平気なタイプの方が珍獣である。単に、『他人(わたし)の居るところでいたすな』という、同性同居における基本ルールを提示したに過ぎない。ハナちゃんも、その件で腹を立てたりはしなかった。

 ただ、そのケースに伴う、ハナちゃん不在の夜が増えたというだけである。


 喧嘩はしていない。

 それぞれ、猫娘の世話はきちんとしている。

 一緒にいる時は、わたしの作ったご飯をみんなで食べるし、ブラッシング大会だってやる。

 ただ、ハナちゃんが居ない夜が、目に見えない程の変化で、少しずつ少しずつ増えていった。


 ああ、そろそろかな?───と、わたしは思っただけだった。少し寂しくはあったが、終わりが来ることは最初から判っていたことだ。むしろよく続いた方だろう。すでに六年以上が経過しており、グレちゃんはもうじき十二歳、ぷーも七歳と数ヶ月になっていた。

 どんな形の終わりになるのか、まだ判らない。希望としては、ハナちゃんが誰かと円満な家庭を築き、ぷーも一緒に幸せになって欲しいと思う。わたしとグレちゃんは───まあ、どこでどんなふうにやって行くにしろ、二人一緒なら構わない。いつの間にか、そう思えるようになっていた。

 ここで暮らし始めた時もそうだったではないか?

 見切り発車の出たとこ勝負───最強のパートナーと一緒であれば、どこに行ってもやっていけるだろう。


 この変則疑似家族は、お互いに折り合いをつけることで成立している。ハナちゃんが、本来あるべきパートナーを見つけてそちらを選んでも、わたしに異議を唱える権利も意思もない。同じように、雪だるま式に忙しくなっていくわたしに対して、ハナちゃんも何も云わなかった。何も云わず、わたしの社会復帰を喜んでくれた。

 何故なら、何とか社会復帰をしようとして、焦ったり・泣いたりとジタバタしているわたしを、最も近くで見ていてくれたのがハナちゃんなのだから。

 特に何かを話し合うことはなく、何も変わったことなどないかのように、毎日が過ぎていく。伴に過ごさない時間も増えたが、一緒に居る時は以前と少しも変わらない、猫娘たち中心の変則疑似家族だった。

 二人が二人とも、曖昧な物は曖昧なまま受け流し、幾つかの季節が経過しようとしていた。


 それらの微妙過ぎる変化の中で、一番泰然自若としていたのがグレちゃんだ。わたしが「グレちゃんが居てくれればいいや」と思うように、グレちゃんとしても「ママと居れば、世界は平和。事も無し」というところだろう。人間の事情を考えない分、わたしよりもっとそう思っていたかもしれない。

 元々、賢くて・大人しく・落ち着いた子ではあったが、年輪を重ねてから、増々もって盤石の安定感を醸し出していた。

 ぷーが一緒の部屋で過ごすことが長くなっても、特に気にした様子もない。グレちゃんの横でぷーがブラッシングの順番待ちをしていても邪険にはせず、自分が終るとさらりと交代してくれる。グレちゃんなりに、ぷーに気を遣っていたのだろうか?


 だけど───ぷー自身はどうだっただろう?


 裏のないぷーではあるし、懐いてもくれているが、グレちゃんを相手にしている時ほど何かが通じている感触はしない。

 相変わらずやんちゃで元気なぷーだが、ハナちゃんが居ない夜は寂しそうに見える。

 客が泊まる夜は、少し緊張しているようにも見える。

 抱き上げると甘えた声を出すし、すりすりもしてくれるが、本当ならハナちゃんの方がいいに決まっている。現に、ぷーはハナちゃんと寝る時のように、わたしの腕枕に潜り込んでくることはなかったのだから。

 そんなあれこれが、わたしの先入観から来るものであればいいのだが───本当のところは、ぷーにしか判らない。


 だから、本当のところなど、わたしには知りようがなかった。

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