第七話 グレちゃんと花子

 実家では、戸建て住まいになってからずっと犬を飼っていた。ファースト・ステージでは、四代目・わたしが愛犬といえる唯一の子・たろうさんのことを語った。ここでは、五代目の花子のことを語ろうと思う。

 柴雑種・五代目の花子は、わたしがこれまで一緒に暮らした生き物の中で、最も大きな申し訳なさと負い目を感じている子である。

 花子に問題があった訳ではない。花子は、とても優しい良い子だった。すべては、人間側の身勝手から発生した問題なのだ。

 実家に花子を迎えた時、まだ先住犬であるたろうさんが存命だった。後にも先にも、多頭飼い状態だったのは、たろうさんが亡くなるまでの数年間だけである。


 そもそものきっかけは、我が母が仔犬を飼いたいと言い始めたこと。たろうさんが居るのに、敢えて小さな仔犬を飼いたいと思った理由は、正直なところ判るようで判らない。わたしは、当然反対した。

 何故なら、たろうさんはもう立派な老犬だったからである。もっと若いうちであれば、群れで生活する習性のある犬だから、新しい仲間を受け入れることが可能だっただろう。だが、白内障も出て、足腰も弱ってきている現在、たろうさんが新顔を受け入れることは不可能だと思えた。おそらく彼は『自分が不要になった』、もしくは『権利を侵害された』と感じるだろう。あと何年生きられるかわからない、わたしの愛するたろうさんの晩年に、そんなきつい思いをさせたくはなかったのだ。

 けれども、新顔の受け入れを反対しているのはわたしだけで、家長は両親なので、反対意見はさらりと無視された。

 仕方がないので『絶対仔犬が飼いたい』と主張する両親(主に母)に、わたしは最低限の条件を出した。


 1:必ずたろうさんの居る場所とは離すこと。

 2:仔犬は飼いたい人が自分で面倒をみること。


 本当は、もっと細々注意して欲しい。だが、わたしも社会人の年齢になっており、ずっと見張っているわけにもいかない。それに、両親が犬はたかが犬と考え、愛玩犬を玩具のように考えている人間だと知っているので、生き物を飼う上での諸々のルールを理解できないと判っていた。だから、表面上最も理解し易い条件だけを提示したのである。

 それでも、わたしは甘かったと言わざるを得ない。

 わたしが提示した条件は、最初の最初から守られることはなかったのだから。


 両親が連れてきた仔犬は、完全には離乳していない柴雑種の女の子。それを聞いた時点で、すでに嫌な予感がした。

 「離乳していない仔犬の世話の仕方を知っているの? 自分たちで出来るの?」───との、怒りが籠ったわたしの第一声に、けろっとした想像通りの答えが返る。

「知らないけど、あんたが出来るでしょう?」

 出来ますとも、確かに。伊達や酔狂で生き物マニア街道を爆進してきたのだから、そのくらいは難しいことではない。けれど、そもそもの『飼いたい人が面倒をみる』という話を、あなた方はどこに置いて忘れて来たんですか?

 そんな抗議は、自分勝手と不条理を通常装備している両親には、まるで・てんで通用しなかった。結局、生後二ヶ月ちょっとの命名・花子は、二ヶ月半に渡ってわたしの部屋で生活することになったのである。


 花子に負い目があるのは、この時点からずっと───もうずっとだ。

 確かに、幼気いたいけな花子は可愛かった。育ての親となったわたしに良く懐き、大人しくて懐こい良い子に育った。それでも───そうであってもなお、一匹を深く愛してしまう性分のわたしの愛は、たろうさんの上にあったのだ。

 その後も、両親はわたしとの公約を破り続け、庭に出せるようになった花子の小屋を、たろうさんの小屋の近くに設置し、構われたい若犬の花子を嫌がるたろうさんと無理やり遊ばせたりもした。それらのすべてが、育ての親でありながら、わたしの情が花子に移りきれない理由になってしまったのである。


 やがて、来るべき時が来てたろうさんは旅立ち、わたしは実家を離れた。花子を両親の元に残したたままで。


 やがて、数年を経て事件は起こる。

 わたしが、ハナちゃん達との変則疑似家族の中で病の回復に努めていた時、弟は県内ながらも遠方で仕事に励んでいた。

 そんな状況で、両親が海外旅行に行くのだと連絡が来たのだ。

 「ちょっと待って、花はどうするの?」と訊くと、ご飯を大量に置いて、鎖に繋いだまま行くという。多少ご飯が足りなくても、犬は飢えに強いから───と。


 それを聞いた時のわたしの気持ちを、どう言い表したらよいのだろう。


 餌と水の補充だけを近所の人に頼んで、一週間に渡って鎖に繋いでおくと?───それが、人間の子供の育児放棄や監禁と同等の虐待だということが、何故判らないのかが、全く理解出来ない。どうして、ペットホテルに預けないのかと聞いたら、お金が勿体ないからだという。

 思えば、自らの子供にネグレクトをして、他人にそれを指摘されても全く意に介さない両親が、『たかが犬』の待遇を気にする筈がないのだ。


 わたしは即座にハナちゃんに相談を持ち掛け、自分の責任に置いて面倒を見るからと了承を得て、両親が旅立った当日にタクシーで花子を迎えに行った。

 たろうさん絡みのもやもやした気持ちがあるとしても、それでもわたしが育てた可愛い子だ。とんでもない状況にあると判っていて、花子を放っては置けなかった。確か、小糠雨の降る梅雨のことだった。


 わたしとハナちゃんの家にいる間、キャリーケースを小屋代わりにして、花子にはバルコニーに滞在してもらうことにした。元々庭犬でもあるし、部屋の中では、グレちゃんとぷーに差し障りがあるからだ。

 幸いバルコニーはわたしの部屋に面していたし、わたしの顔が見える場所に居れば、知らない場所でも花子は安心して落ち着いてくれる。グレちゃんもまた、わたしが触れていれば安心してくれる。それを予測してのことだ。

 しかし、他にも問題がある。中型犬である花子は、運動を欠かすと健康に支障を来たす。狭いバルコニーに居るのだから、なおさら散歩は必要だ。だが当時のわたしは、無理な外出をすれば過呼吸を起こし、落ち着くまで動くことが出来ない状態だったのだ。

 それでも、不幸中の幸いが二つある。梅雨のお蔭でバルコニーが暑くなかったことと、我が家の近くには、犬のお散歩天国ともいわれる大きな公園があること。だから過呼吸の可能性は充分にあるが、グレちゃんの安心と花子の健康の為、度々休憩を取り、脂汗を流しながら、一日に一度はなんとか散歩に出ていた。その後、しばらく動けなくなるのだとしても。


 ビビリのぷーは、花子を覗きに来ても近くまでは行かなかった。サッシの窓一枚を挟んでいるだけのグレちゃんは、あまり花子のことを気にしないでいてくれた。遊びもしないが、怒る事もしない。そして花子も、「グレちゃんに吠えないでね」とのお願いをちゃんと聞いてくれた。おそらく彼女たちなりにわたしを気遣って、どうにか折り合ってくれた数日───けれども、帰国日が過ぎても両親から連絡は来ない。

 一日が過ぎ、二日が過ぎ───数日間、気力と体力のぎりぎりまで粘って、限界目前になり、ようやくわたしは実家に電話をかけた。「何故、花子が居ないことの問い合わせがないのか」と。

 両親曰く、「連れて行ったのはあんたしか考えられないから、連絡が来るまで放っておこう」ということだったらしい。


 そのすべてが思いも寄らないことだった。

 各種不調を抱え、外出すら困難なわたしに対する対応も、自ら望んで迎えた花子が居ないことに対する反応も。

 そして、ようやく思い出す。たろうさんが亡くなったあと、母が言った一言を。

 「花子をどこか他所にやろうかな」───と、そう言った事があるのだ。「大きくなったから、可愛くなくなったしねぇ」と。

 忘れていたのは、覚えていたくなかったからかもしれない。わたしの怒りの気配を感じて、「冗談よぉ」と誤魔化してはいたものの、本気だったことをわたしは知っている。そういう人なのだ。

 わたしの実の母親は、本当にそういう人なのである。そして父は、母を大事にする余り、道義的に間違った事でも感情的に肯定し続ける人である。

 だから、あわよくば引き篭もり(と認識している)の娘が、世話をするのが面倒になった犬を、このまま引き取ってくれないだろうか───と考えた事が、手に取るように判った。


 花子が、両親に引き取られて帰宅したあと、ただ泣いた。

 それでも、花子を一番にしてあげられない申し訳なさと、「そういうことであれば、わたしが引き取る」と云えない状況の、自分の不甲斐無さに押し潰されそうだった。

 ハナちゃんが言葉を尽くして慰めてくれ、グレちゃんが心配してぴったり傍らに居てくれても、涙は容易には止まらなかった。

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