第六話 グレちゃんの日々是好日
わたしとグレちゃん&ハナちゃんとぷーの暮らしは、順調だった。
わたしが何とか社会復帰をしようとじたばたして、コネで回って来る在宅ワークで小銭を稼いだり、アルバイトに出ては撃沈したりもしていたが、疑似家庭内は円満・家内安全。モフモフ・ほのぼのした日常がキープされていた。
その生活に大いに貢献していたのが、ハナちゃんの適度に大雑把な鷹揚さであり、視界に入るだけで和むモフ娘たちの存在である。
家にいる時間が長かったわたしのすることは多く、掃除・洗濯・炊事&猫の世話。ハナちゃんのテリトリーである部屋はノータッチだが、すべき事が多い方がわたしの気も紛れた。事がストレス障害だけに、進んでいるのかいないのか自分でもよく判らない治療や、以前のように外に出て行けそうな気がするのに、いざ外界に接するとフラッシュ・バックする症状のことばかり考えても、良い方向に転がらないことだけは確かだった。
新居でのお洗濯は、一間よりやや広めのバルコニーに全自動洗濯機を置き、洗うのも干すのもほぼそこで行われる。
築三十五年の賃貸マンションである我々の部屋は九階。猫達がそろりそろりとバルコニーの下を覗きに来る分には問題がないが、突進してこられると困ることが多い。万が一落ちそうになった時、荒業で確保出来るのは一匹が限界だからだ。グレちゃんは駄目と云えば聞いてくれる事の方が多いが、ぷーは口先だけでは止められない。故に、バルコニーに出て来るのは一匹が望ましかった。
とある日、洗濯をしてそれを干し、次の洗濯物を回している間、グレちゃんは『助手』のあだ名に相応しく、エアコンの室外機の上に座ってずっと傍らにいた。特に何をしているわけではないのだが、時折わたしと目が合うと、「うにゃん」と云う。わたしは「なぁに、グレちゃん。どうしたの?」と返す。一日に何度も繰り返される他愛もないコミュニケーションだ。
やがてすべての洗濯が終わり、外に干せるものは干し、残りの室内干しの荷物を抱えて部屋に入ろうとして、わたしはグレちゃんにいつものように声をかけた。曰く、「終わったから、中に入るよ」。返って来たのは、いつもの良い子の返事。二人して中に戻ろうとした時───ヤツは13の暗殺者のように、一瞬の隙を狙っていた。ヤツ───そう、ぷーだ。
わたしの両手が塞がっている隙を、グレちゃんが高い所から低い所に移動する瞬間を狙って、弾丸のようにバルコニーへの一点突破を計る
───ないので、わたしは足の裏でぷーをキャッチした。ぷーの前足の後ろ・腹より胸寄りの場所を、足の裏でソフトにキャッチして、ぷーの勢いを殺さぬまま方向のみを転換させたのである。
勿論、何かを考えての行動ではない。考えてからでは間に合わなかっただろう。
威嚇も殺気もない(ある筈もないが)自然過ぎる躱し技に、ぷーはそのままの勢いで走り去って行った。バルコニーとは反対端にある玄関ドアまで。金属製のドアに前方を塞がれて初めて、「あれ? 何か変?」と気付いたようだったが、もはやバルコニーへの扉は閉められ、すべてが後の祭りである。
まあ、そこがぷーのキュートなところなのだ。
アフターフォローとして、洗濯物が片付き・ぷーの興奮が落ち着いたあと、ぷーだけの為のバルコニー大冒険を行ったのはいうまでもない。
また別のとある日、3DKを2LDK状態で使っている家の中を、ぷーが踊るように飛び跳ね・駆け回っていた。
原因は、どこからか入ってきた3mmほどの羽虫が一匹。
あまりにも小さな獲物を捕まえようと、必死になって追いかけているが、いつまで経っても捕まえられる気配がない。食後のゆっくりした時間の邪魔でもあり、ヒートアップして走り回るぷーが怪我をするのではないかとヒヤヒヤ───正直、落ち着かないことこの上なし。
その状況でグレちゃんが何をしていたのかというと、わたしの横で我関せずと寛いでいた。プロのハンターであるグレちゃんにとっては、食べる身すらない生き物は獲物ではないのだ。
幾度目かにぷーが我々の前を通り過ぎていった時、わたしはついグレちゃんに云ってしまった。
「グレちゃん、アレ、何とかして?」
とたんに、グレちゃんは深々と溜め息をつく。そう云われるような気がしていたのかもしれない。
だが、わたしの依頼を聞いても、グレちゃんはお座りの態勢のままその場を動かない。グレちゃんとの意思疎通を疑ってもいないわたしは、すべてを任せることにして、待つことしばし───そして、次に羽虫が目の前を通りかかった瞬間、鋭い猫パンチを一撃っ! その間、一歩たりとも動かず。
御見事というしかない。
突然目標を見失ったぷーは、飛んでいる筈の獲物を探してきょろきょろしていた。その間にもグレちゃんは、知らん顔で目標を仕留めた手を綺麗に舐め舐めしている。
ルームシェアをする前のグレちゃんのハンティング戦績───半身のチクワ・生きた巨大蛾・ネズミが三匹とスズメが五羽。
対するぷーの戦績は、葉っぱ・トカゲの尻尾・死んだセミ・死にかけのセミ。
野良で暮らしたことがあるかないかの実力差は、これほどまでに大きかった。
こんなふうに述べて来ると、グレちゃんが超優等生でぷーが劣等生のように感じられるかもしれないが、ぷーにはぷーの美点がある。
もしも、わたし・ハナちゃん・グレちゃんで暮らした場合、頑固なところがあるグレちゃんは、わたしが居ない所ではハナちゃんに寄り付きもしなかったかもしれない。猫としてかなり異質なグレちゃんとハナちゃんの間を、ぷーが取り持ってくれていたのだ。
それにぷーには、グレちゃんとは別の人懐っこさがあった。ペットサロンに連れて行くのも可能だし、わたしがお手入れや投薬をしても(抵抗はするが)ちゃんと受け入れてくれる。
逆にグレちゃんは、誰にでも愛想がいいが、嫌な事をされるのを許す相手はわたしだけだった。ペットホテルで大騒ぎになった前例の他にも、ペットサロンのトリマーさんを負傷させた前科がある。表には出さないが、厳格に一線を引くグレちゃんの高い警戒心の証拠だった。
そこまで信頼されるのは飼い主冥利に尽きるが、『わたしにしか出来ない』大変さがあったのも確かである。
そしてグレちゃんとぷーも、決して仲が悪かったわけではない。
わたしもハナちゃんも在宅していた天気の良い休日、昼間から猫の大運動会をする程度には仲が良かった。
わたしがいつものように台所に立ち、ハナちゃんがお昼ご飯を待っている───そんなのどかな日のことだ。飼い主が二人ともいる時は、多少の運動会が始まっても、特に干渉せず眺めているのが常。
我々のお昼御飯が始まり、猫娘たちが疲れてお水やご飯をする頃、ハナちゃんが
「ねーさん、今の運動会、三匹いたねぇ」
「ああ、そうだねぇ。しっぽが三本通り過ぎて行ったねぇ。白と茶のブチだったような気がする。なんか気にした方がいいんかい?」
「楽しく遊んでいたみたいだから、別にいいんじゃない?」
と、まあ。これも日常会話の一つ。
ネタばらしをすれば、ハナちゃんは某全国的有名神社の元巫女さんで、なんだかんだのパワーの片鱗持ちで、わたしは時に妙な物としか表現できないなんだかんだを受信するヒト。
お互いにそれを知っていて、不可解なことでも特に実害がなく猫娘たちが気にしないのであれば、こんな日常も『日々是好日』に違いなかった。
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