第三話 グレちゃんとプーレリドッグ

 転居して早々に、人間&猫娘たちの間で大ブレイクした遊びがある。その遊びの名は『プーレリドッグ』。

 確か、発案&制作の当初は、普通に『ジャングルジム』と呼んでいた筈なのだが、いつの間にかそのように呼ばれるようになった。この時を皮切りに、非常に狭い空間での方言ともいうべき家庭内用語が多発するのだが、それは追々出てくる筈なので、ここでは割愛する。

 『プーレリドッグ』とは、主にぷーに由来したネーミングだ。多分、ぷーが一番遊ぶだろうということが理由の一つだ。

 制作の発案者はわたしだ。工作を含む物作りが好きな上、当時はストレス障害という病で失業中。時間は幾らでもある。


 単身でも一家でも、引っ越しを経験したことがある方には覚えがあるだろうが、引っ越しという一大作業には、断捨離という一面が付随する。一つ所に住み続けると否応なく、『いつか使うかもしれない』容疑のある荷物が地層のように蓄積していくものなのだ。

 全家財道具を移動するというのは実に大変な作業で、『いつか使うかもしれない』などという曖昧な必要性は、過酷な労働の下で天秤が廃棄処分へと傾いていく。本当に必要な物は、実はそんなに多くはなかったりもするのだ。

 そのような例に漏れず、わたしとハナちゃんの荷物も随分減った。新居の広さが、本当に必要だったのか疑う程に。

 残されたのは、荷物を取り出した後のダンボール箱の山。しかも使い勝手が良いことに、業者提供の統一規格だ。


 そこで我々は考えた。

 新居が以前より広い家になったとはいえ、自由外出をしていた猫娘たちを外に出してあげられなくなった。そして、これだけの資材がある。ついでに、多少病状がマシになったとはいえ、未だ対人能力と外出に支障があるわたしには暇がある(ハナちゃんは普通に仕事)。共用スペースである部屋にはまだ荷物が少なく、広さは充分。

 ならば、グレちゃんとぷーの運動不足を解消し、遊びで親睦を深める為にも、猫の為の遊具を作ろうではないかっ!


 計画は、即座に実行に移された。

 まず、きちんと箱の形に組み立てたダンボールで、襖一間ほどの長さがある二列の通路を作る。箱状態で繋げれば、当然その中には壁があるので通る事は出来ない。そこで、単に匍匐前進だけでは進めないように、上下左右に位置をずらした多少難易度がある通路を貫通させていく。それから、その通路を二階建てに組み立てる為三ヵ所に一つの箱を挟み、それもまた、真っ直ぐには進めないトンネル穴を作る。これで、漢字の日を横にしたような、内部移動が出来る基礎が出来た。

 次は、部屋側に面している方に、猫娘たちが顔を出したり・手を出せる小窓を開ける。そして、縦のラインの一番端にもう一箱乗せて、中から外に出られるようにし、物見台のように上に乗れるようにした。最終的に、漢字の日を横にした形は、円を逆さまにした形になった。

 使おうとしてみると、猫娘たちの体重でぐらぐらしたので、一番下の列の二箱に不要な本を詰め込んで錘にする。これで一応の完成だ。

 単純な作りでもあり、難しい作業ではない。ただし、これらの大型作成物の工作を大きなカッターナイフと荷造りテープで行ったのだが、好奇心旺盛な猫娘たちが、四六時中側に来て覗き込んだりするので、そちらの危険を回避する方が大変だった。


 出来上がってみると、ジャングルジムは人間にも猫にも好評で、箱の中をがさがさ・ごそごそ動き回る猫娘たちに、我々は外から手を突っ込んでみたり、小さな窓から猫じゃらしで誘ってみたりと、飽きることなく遊んだ。

 姿が見えない状態で遊んでいることが判るその様が、まるでプレーリードッグの地下の巣のようだ───という二つ目の理由で、『プーレリドッグ』と命名されたのである。


 後に、天井と床で突っ張るタイプのキャットタワーが、物見台の横に設置された。加えて、タワーの反対側に置かれた高さのある本棚の上に、まだ若い猫娘たちがプーレリドッグの上部から飛び移れることが判明した。

 こうして、キャットタワー ←→ プーレリドッグ ←→ 本棚の上という動線が確立し、共有スペースの壁の一面は、猫娘たちのアミューズメント・パークとなったのである。


 だが、新しい事には、常に副産物が派生するもの。

 深夜に退屈したぷーの遊び場になり、ダンボール箱と戦いながら匍匐前進する騒音が発生したり、何かでご機嫌を損ねたグレちゃんが引き篭もる場所としても利用されることとなった。ちなみにグレちゃんがご機嫌を損ねた場合、完全に構われたくない場合は、プーレリドッグの奥地に引き篭もる。ご機嫌を損ねたが、それでも機嫌を取りに来て欲しい場合は、本棚か物見台の上だったりする。───案外と解り易い。


 自分が通常の状態でない自覚があるわたしは、猫娘たちに関することだけではない各種不安を抱えていたが、いざスタートしてみると、人間女子二人・猫娘二匹の生活は楽しかった。

 心身共にまだ不具合はあったが、顔を見るたびに「腹減った」と主張する人間一人+猫二匹───料理は好きなのだが、すぐに食べることを忘れるわたしにとって、彼女たちは生命線ともいえた。

 ご飯を作って・一緒に食べて、箸にも棒にも掛からぬたわいもない話をして───猫達の世話と、日々の家事と……。

 グレちゃんと二人の時は、グレちゃんの世話だけを忘れなければよかったけれど、他にも家族がいて、『当たり前の日常』を少しずつ始めることによって、わたしの中で強制終了されていた何かが徐々に蘇生してくるのが判った。

 本当に、ゆっくりゆっくりではあったけれど。


 プーレリドッグを作ること。

 そこで猫娘たちと遊ぶこと。

 掃除や洗濯や、食事の買い出し、変則疑似家族ではあるけれど、目を離すとすぐに体調を崩す全員の健康管理。

 それらの当たり前の日常が、わたしの抱えた病を癒す手助けとなったのである。


 かつて、大人たちが話していることが理解できるようになった小学生の頃から、『家はあれども家なき子』・『親はおれども親無し子』と評判だった本当の家族は、ぎりぎりの生活費を振り込むだけで、ほぼ連絡もない。わたしが病んだ当初に一度、病院に同伴しただけである。それもわたしが病と治療に関する説明と面談を、先生と両親にお願いした一度きりだ。

 「元気か?」・「具合はどうか?」などの連絡がないのも、今に始まったことではない。実の両親は常に、自分たちの過ちから出来てしまったきずを直視出来ないし、認めることも出来ない人種なのだから。


 それでも、わたしは恵まれていた。

 多くはなくとも金銭の援助が受けられ、古い友人も新しい友人も常に気にかけてくれる。

 破損している心の一番柔らかい部分に、グレちゃんが居てくれる。

 そんなふうに、ありえない程恵まれていることが、病んで機能不全を起こしている中でも、仄かな温もりと共に判っていた。

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