第一話 グレちゃんと引越狂想曲
ファースト・ステージを飾ったスウィートホームからの転居は、これ以上もなく緊急に決まった。加えて、立ち退き期限までほとんど時間が無かったので、全力を尽くして、早急に転居しなければならなかった。
けれど、問題は幾つかある。
一つは、グレちゃんもハナちゃんのところのぷーも、初めての引っ越しだということ───何よりもまず、彼女たちの不安を最小限に抑えて、短期間で引っ越しを終了させなければならない。
二つ目は、猫と同居したことがない二匹に、いかに円満に同居してもらえるか?───動物使いが二つ名のわたしが失業中で在宅しているとはいえ、ここは、元々が温厚で賢く母猫経験者と推定されるグレちゃんが、事と次第の鍵を握っているキー・マンならぬキー・ニャンだ───と、人間の母・二人の意見は一致していた。
転居先が決まって、物資を搬入する前に行うのは、バルサンの御焚き上げである。一晩経って部屋を訪れる時には。か~な~りっ!見たくないものを見ることになるが、これをしておけば、数年は快適に生活出来るということを、幾度かの引っ越し経験上知っていた。
御焚き上げの翌日には精魂込めた清掃を行い、次は最低限入り用な物資の購入&搬入である。
資金が潤沢にあるわけではないので、互いに引き続き使用出来る物を除き、当面は二つの畳部屋に敷く(猫達が滑らない為の)安物で一向に構わない敷物。二口のガスコンロなどを共同資金から購入。冷蔵庫・洗濯機・食器類・TVなどは、現在の物から流用できる。
諸々の判断力が落ちているわたしは、それらの準備をハナちゃんと相談・指示されて行った。この時点では、ハナちゃんがわたしのブレイン。中型二輪という機動力を持つわたしが実働部隊である。
下準備が出来たところで、先にわたし側の荷物を搬入した。
幸い、貰った立ち退き費用に引っ越し代が入っていたので、業者に入ってもらうことが出来たのだ。心身ともに電池が切れているわたしが、これまでの引っ越しのように、大部分を自力で行うのは無理だったからだ。しかも、今回は前例以上に激しく急ぐ。
移動に関して重要懸案事項だったグレちゃんは、業者が入る当日の朝に、
以前のペットホテル事件のこともあり、一抹の不安もあったが、見知らぬ成人男性が長時間出入りして荷物を運び出す状況では、いくら抜群の落ち着きを持つグレちゃんでも動揺してしまうだろう。一番避けたいのは、『パニックを起こしたグレちゃんが脱走→そのまま迷子』のコースだ。
そうして、グレちゃんの安全を確保し、半日以上をかけて荷物の移動を終了した。この際、荷解きなどずっとあとでも構わない。とにかく、かつてのお泊りでトラウマになっている筈のグレちゃんを、少しでも早く迎えなければならない。
だが、ペットショップの人に送られて来て、新居に初めて入ったグレちゃんは、想像していたよりもずっと落ち着いていた。
意外といえば意外だが、グレちゃんはいつも意表を突くので、「こんなものなのかな?」とも思った。なにせわたしの方も、一緒に暮らす猫はグレちゃんが初めてなもので、判断がつかない。かつて共に暮らしたワンコ達は、引っ越しにとてつもない拒否反応を示したのだが……。
キャリーバッグから出てきたグレちゃんは、いつもの熱烈な甘えっぷりでわたしを確認したあと、興味しんしんで新居のチェックを始めた。
───大丈夫、準備は万端───の筈だ。
最低限の準備として、いつもわたしとグレちゃんが寛ぐベッドは設置済みで、通常の状態にしてある。トイレも、前のアパートと同じく玄関土間に据え置き、キッチン内にお水とご飯も準備した。今のところ、猫目線で違うのは新居の広さと臭いだろう。まだハナちゃんの荷物もぷーの物も、この新居に持ち込まれてはいない。
グレちゃんが新居を細かくチェックしている間、わたしは少し離れてずっと付いて歩いた。
「にゃあん」と、トイレのドアを開けて欲しいと云われれば開け、風呂場が見たいと要求されれば見せる。以前に比べれば随分広い新居を隅々まで探検し、満足してご飯やトイレを始めた時点で、わたしは所定の位置に落ち着いた。つまり、ベッド脇に置いた以前から使っている座椅子に陣取ったのである。多少位置が変わっていても、いつものベッド・いつもの座椅子だ。
本音をいえば、落ち着いたというのは全くの嘘八百で、内心はビクビク───けれど、落ち着いたフリであれば十八番といってもいい。この技で、色々な人間と事柄を誤魔化し、乗り切って来たのだから。
さてこの技で、グレちゃんに、家が変わったことに関して不安を感じさせずにいられるか?
そんなわたし側の気持ちを知ってか知らずか、トイレ・お水・ご飯のルーティンを済ませたグレちゃんは、トコトコと傍にやって来ると身軽に腹の上に飛び乗り、胸元に顔を埋めてうんぐるうんぐると喉を鳴らし始めたのである。
どうやら、新居=我が家の認証成功。
ペットホテル事件を考えると、呆気ないほど速やかな認証だった。
───正直云って、気が抜けた。
ペットホテルとの最大の違いは、わたしが居るか居ないかなのだが───君、わたしが居れば、どこでもいいんかいっ?
いや、それはそれで嬉しいのだけど、犬は人につき、猫は家につくと言ったヤツ、出てこいっ! 不確定情報でいらん緊張したやんかっ!!
などと、緊張の反動で紛れもない八つ当たりの言葉を脳内で連発しながら、ほっとしたのは本当だった。
取り敢えずは、第一関門を無事にクリア。
だが、問題はこれから。
明日にはぷーが来る。そして、徐々にハナちゃんの荷物が搬入され、最終的にはハナちゃんが降臨する。
そこから、グレちゃんが、そしてぷーが、二人と二匹の生活に順応できるかが試されていくのだ。
実は、わりと細かいことを気にしないし、『恋愛こそ我が人生のステージ』的性質の獅子座のハナちゃんと、人間の母に似たマイペースのぷーのことは、深刻には心配していない。各種環境の変化に順応してきた、度胸満点のグレちゃんのこともだ。
結局のところ、最も小心者でビビリなのは、わたしだったのである。
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