終わり&始まり
わたしとグレちゃんの最初のスウィート・ホームは、全部で十二室あった木造二階建てのアパート。六畳一間・一間の押し入れ・二畳ほどのKに台所とユニットバスと洗濯機置き場の水回りがあり、一間の吐き出し窓(バルコニー無し・手すり有り)があった。我が母が十代のころから現在に至るまで、学生街と呼ばれる街なので、元々は学生用に建てられた物件だと思われる。
その街の外れでわたしは産まれ、幼稚園の年長までを過ごし、わたしが中学生の時には、一年半ほど同じ町内に住んでいた街だった。
けれど、その頃から二十年近くが過ぎ、地域の発展はとても目覚ましい。かつて海岸線だった所には幹線道路が走り、二代目の犬の散歩コースで登下校の寄り道先だった波打ち際は、すいぶんと遠退いて面影もない。優秀な公立高校の校区の為、近隣は転勤族がとても多く、家族向けの社宅や広い居住スペースを持つマンションばかりが増えつつある。
そんな中で、我々のスウィート・ホームは、昭和最後の残り香のような物件だった。もはや無くなってしまう直前の───。
当時、病の真っ最中だったわたしは、あまり外出することもなく、近所の人々との交流もなかった。ただ、何だか徐々にアパートに出入りする人が減っているようには感じていた。
あまり人けのない建物に住むのも嫌なのだが、一方でグレちゃんが居た為に都合よくもあって、深く考えもしなかった。まあ、正直なところ、病の症状で深く考えるだけのCPUもパフォーマンスも足りていなかったのである。
やがて、唐突に終局がやってくる。
前触れもなく、スーツの二人組の来訪。
寝耳に水の、マンションに建替える為の取り壊しによる退去の勧告。
自社都合による立ち退きの為、転居資金の条件提示。同じアパートの住人はすでに退去し始めているということ。わたしとは連絡がつかなかったので、直接来訪したとの説明。
ついにグレちゃんの存在が知られてしまったが、取り壊しによる退去なので不問に付してもらえた。
でも、事前に郵便物も電話もありませんでしたが?───とは思ったものの、その頃のわたしに、反論する気力はない。
けれど、充分な新居に入居する費用と引っ越し費用を提示されたので、素直にその条件に従った。なぜなら、もうあまり退去日までの期限が残されていなかったからだ。
困ったのはそれからだ。
その頃は、今ほどペット可の賃貸物件が多くなく、あっても安価ではなかった。加えて、本来のテリトリーから離れる為、グレちゃんの自由外出は出来なくなる。つまり、ある程度の広さが必要だということだ。すると、当然家賃も更に……。
もう一つの問題は、幾つかの不動産屋を巡って判ったこと。
心があちらこちら故障している状態のわたしは、海千山千の不動産屋とまともに交渉できないということだった。「ペット可の物件を探しています」と告げたとたんに、あまり相手にされない。とある店舗では、最初に書かされた物件の希望アンケートを、接客テーブルの上に放り投げられたこともあった。その不動産屋さんの表看板には、ペット可物件相談可と明示されていたのに。
二十一歳の時、身一つで東京に移住した時でさえ、そこまで対応能力に欠けていることはなかったのだが、この時期だけはどうしても駄目だったのである。
打つ手に窮したわたしは、当時親しくしていた友人H=鉤しっぽの雉仔猫・ぷーの飼い主に事情を説明し、助けを求めた。彼女は、畑が違う土木の不動産関係者だったが、わたしより諸々の事情通なのである。
ありがたいことに友人Hは、相談を含む各種諸々に、色々乗っかってくれた。
それは勿論、友人Hの方にもこの数年で事情の変化があったからで───雉仔猫・ぷーを引き取った時、二人飼い主だった友人Eの方は、一言では説明し辛い事情の果て、彼氏以上・婚約者未満の人の所へ転居し、それっきり音信不通。本来二人で暮らす予定で借りていたワンルームは、わたしと同じくペット禁の上、長く住んだ弊害で劣化の度合いも酷く、二人が一人になって、経済的にも問題アリアリ。加えて、実家に帰省する時も、当時お付き合いのあった男性と会うにも、ぷーを一人で留守番させるのが心配でままならないという。
だったら、どちらか必ず居る状況を作る為にも同居しちゃう?
おお、いいねぇ、しちゃおうか?
二人でならば、2DKが借りられる。大人猫二匹の居住空間もなんとかなるし、『動物使い』の異名を持つわたしは病故の失業中で、猫二匹が折り合いをつけるまでのフォロー在宅が可能。
家賃&生活費が折半できればお財布的にも助かるし、一人が不在でも、もう一人が在宅していれば、猫たちの心配をしなくて済む。
そこから先は、とんとん拍子に事は進んだ。
2DKであるのなら、まともなキッチンがあるし、失業中でもあるし、料理が苦ではないわたしがご飯を作りましょう。
あらあら、それなら、引っ越しまでの不動産屋対応は、こちらで引き受けましょう───という会話があったと記憶していたのだが、当の友人Hから、それは間違いだと指摘を受けた。
その頃の友人Hはフルタイムの仕事をしていて、わたしは病気療養&失業中。
実際には、お脳がまるで活動していないわたしに友人Hが助言を与えて、生きたラジコンもしくはドローンよろしく、友人Hに言われるがまま動いていたらしい。不動産屋の内見と契約は共にしたが、転居に伴うライフラインの手続きも、その他の生活物資の調達も、わたしが実行部隊として動いていたそうだ。言われてみれば、なんだか微かに覚えがあるような気もするが、はっきりとは覚えていない。
記憶の欠如が多い時期だったとはいえ、お脳が機能停止しているとここまで覚えていないものなんだなぁと、改めて感心した次第である。
ともあれ、その果てに巡り合ったのは築三十五年のマンション。六畳三間の3DK。狭いながらもバルコニー付き&トイレ・風呂別。
DK+一間を猫に開放して共有の雑多な物置にすれば、居住空間としては充分すぎる環境だ。
斯くして、ここに猫の為の同居同盟成立。
そして、三年ほどの一人と一匹の生活は終わり、メンバーを増やして新しい生活が始まる。
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