第十八話 グレちゃんと夢うつつ

 グレちゃんと暮らし始めて間もなく、わたしは長年の無理が祟って病んだ───というか、ブレーカーが落ちてヒューズが飛んだ。

 つまり、ストレス障害である。

 以前からその兆候はあった。だが、ついに貯水量を超えたダムが決壊したという事だろう。心身が私のコントロールを離れ、社会人としての生活が不可能になった。


 長い間、昼間は普通に働き、帰宅すると同時に昼間に徘徊する祖母を看ている母と交代して、夜の間も動き回る祖母と同じ部屋で過ごした。勿論、布団を敷いて寝てもいいのだが、その周囲を歩き回る祖母と一緒では熟睡出来る訳もない。早朝五時に任務を解かれ、自室に戻って二時間だけ熟睡。その後、また昼間の勤務に出掛けるという生活を、何年も続けていた。当然、疲労と睡眠不足が蓄積して、身長が一七二cmあるわたしが、一時期は体重が四十八kgまで落ちもした(両親は、わたしが痩せるのをダイエットのせいだと考えていたようだが、未だかつてわたしはダイエットをしたことがない)。

 それでも何とか、多少は立て直し、祖母の介護が落ち着いて実家を離れるまではどうにか持たせ───安全な場所を確保して、とうとう緊張の糸が切れたという事なのだろう。

 一度、救急搬送された事があった。その時は体が動かず、微かに指先で意識がある旨を主張できるだけの状態なのに、処置台の上で両親が触れようとした手から逃げた覚えがある。本来なら動ける筈もないのに。そして、微かにしか出ない声で、「あの人達はイヤだ」と、看護師さんに主張しさえしたのだ。

 救急車を呼んでくれたのは、友人H。その友人Hは、わたしの事情を知っていたので、気を利かせてわたしの携帯で二十年来の男の親友をも呼んでくれていた。わたしの両親とも面識がある彼が、わたしの両親を遠ざけてくれ、友人Hと共に病院で半日付き添ってくれたのである。本当に、感謝してもしきれない。

 

 その後の日々は、ストレス障害の治療を受けてはいたが、不眠・不食・無気力と倦怠感。間断のない頭痛と突然襲来する過呼吸。検査をしても理由が判らない不正出血等々と付き合う毎日。何よりも、自分と周囲の人や物事を隔てている分厚い膜のような、現実感のなさ。一言でストレス障害とはいっても、それは様々な症状のオンパレードだった。この頃のわたしの記憶の多くは、何ヶ月かに及んで欠落している。


 そして、その夢は最初から何度も見ていたものの、そうなってからは更に頻繁に夢枕を訪れた。


 グレちゃんが死んでしまっている夢。


 見知らぬ路地裏で雨に打たれている亡骸。

 ふと振り返ると、部屋の隅で冷たくなってしまっている体。

 数限りない、それでいてありきたりのシチュエーションで、わたしが気付かぬうちに、手を尽くすことすら出来ないまま、グレちゃんが死んでいるのを何度も何度も見た。


 それは正に夢うつつ───現実と夢の境目すらはっきりしないもの。

 そして、必ずやって来るいつかの日。


 辛うじて訪れた強制的な眠りの淵から目覚めても、グレちゃんの死を引きずって涙が溢れる。

 夢ではないと思う。

 夢だとも思う。

 自分では判断することが出来なくて、恐れで身動きすることすら叶わなくて、微かにその名を呼ぶ。

 そのあまりに頼りない呼びかけに、グレちゃんは必ず応えてくれた。

 すぐに傍に来て、温かな毛皮を押し付け、長いしっぽで緩やかに叩き、優しく舐めて、受け入れ難く・抱えきれない不安を宥めてくれた。その時、わたしは飼い主ではなく庇護者で、グレちゃんがわたしの保護者でガーディアンだった。


 いつもいつも、不安は夜に訪れる。

 自分自身に対する不信感。力量に対しての自信の無さ。いま現在、認識している日々の困難に対する不安や、まだ更に訪れるだろう困難に対する徒労感。それらのすべてが、『グレちゃんの死』という象徴になって、強制的な眠りの中に忍び寄る。

 そして、その不安定なわたし錨になってくれるのもまた、グレちゃんという一匹のただの猫の存在だった。


 ただの猫。

 たかが猫。


 多くの人はそう言うだろう。それは間違いではない。

 生きている身近な人達とペットを、秤にかけてはいけないと言う人もいる。それもまた、正しい。

 けれども、肉親から温かなスキンシップも親愛も受けることなく、友愛は得ても、自分だけに向けられる唯一の想いを得ることもなかった人間にとって───常々、自分を影絵かダミーかAIのように感じ、『人間を演じている』という感覚から長い・永い間逃れられなかった人間にとって、愛情と信頼を疑いもなく向けてくれるただの猫の存在が、どれほどのものなのか、想像することができるだろうか?


 帰宅すると、喜色満面で『おかえり』と迎えてくれること。

 頻繁に話しかけてきて、いい加減な返事をすれば拗ねること。

 不安な夢に魘される時は、生きた温かな体で寄り添ってくれること。

 病んで朧に霞む時間の中で、グレちゃんはいつもそうやってわたしを護ってくれていた。

 それらのすべてが、貴重で愛しく、得難い幸福だったのだ。


 だからこそ、病の中に安住を求めず、遅々たる歩みであったとしても、半ば溺れながらだったとしても、足掻いて足掻いて───何とか完治を目指そうと、どうにか立ち直ろうとすることが出来たのである。


 その頃の我々の自宅近くには昔の長崎街道があって、元寇防塁跡や小さな社が幾つもあった。だから、深夜の散歩のコース上に、町内の小さなお稲荷さんもある。そこを通る度に、細やかな御賽銭と共に真摯に祈らずにはいられなかった。


『どうかグレちゃんが、元気で幸せでいてくれますように』


 それが、自分の行動の如何にかかっていることを充分判っていながら、それでも祈り・願わずにはいられなかった。


『どうか、わたしがグレちゃんの信頼と献身を裏切ることがありませんように』


 君は紛れもなく、わたしの人生というものに頂いた最上のギフト。

 人間の事情の方は、各方面ままならなかったが、それとは別の次元で───夢であっても構わない。うつつであればなお嬉しい。そんな贈り物のような君との日々。


『どうか、いつか訪れるその日まで、幸せでいてくれますように』


 それからしばらくして、我々が最初に暮らした木造二階建てアパートは、再開発によるマンション建設の為立ち退きになり、新しい住居に引っ越しすることになった。

 勿論、二人一緒に。


 そして、我々の生活は第二ステージへと移ることになる。

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