第十一話 グレちゃんのご近所さん
何度も前述したように、グレちゃんは美貌と愛嬌で人間からご飯を貰っている、要領のいい猫たちの一匹だった。
ほぼ初対面でも返事をしてくれるし、擦り寄ってくれるし、抱き上げさせてくれるというサービスの良さ。うちの子になる前のグレちゃんは、いわばご近所の西の横綱だった。
では、東の横綱はというと、通称・黒猫かーさんである。
文字通り、黄色い瞳の黒猫で、初めて会った時には三匹の黒い仔猫を連れていた。ちなみにグレちゃんと初めて会ったのも同じ時で、つまり転居早々に、愛想のいい大人猫二匹と愛らしさ爆発の仔猫三匹で、人間にご飯を貰っているところに遭遇したのである。
グレちゃんはともかく、仔猫を連れている母猫はかなり警戒心が強い筈なのだが、黒猫かーさんは全く頓着している様子がなかった。近くの小学校帰りの子供達が、仔猫に触りたくてはしゃいでいても、威嚇するどころかのんびり眺めている始末である。ただし、仔猫に対する教育は行き届いていたようで、仔猫達はご飯を貰って食べてはいても、人間に触られないように逃げ回っていた。
その中で一人だけ別家族のグレちゃんは、彼らに不干渉だった。
黒猫かーさんの方も、グレちゃんが混ざっていることを、特に気にしているふうではない。特別仲が良いわけでもなさそうだったが、顔見知りで、別に争う必要もないとお互いを認識しているように感じた。
やがて、黒猫かーさんのところの仔猫は、気付けば三匹から二匹になっていた。
何があってそうなったのか考えられることは何通りもあったが、わたしが干渉できる事柄ではなく、今更それを考えても仕方ないので、「そうなったんだな」と事実をそのまま受け入れるしかない。少なくとも、残った二匹が、無事に大人になったところまでは確かだ。
二匹の仔猫のうち片方は男の子だったらしく、大人猫の体格になる頃には姿を消した。まあ、これは、自分のテリトリーを求めて旅に出たのだろうと思われる。
不思議だったのは、女の子と推測されるもう一匹の方だ。
普通、野良の仔猫は三ヶ月ほどで巣立ちを強要される。親猫が次の繁殖準備に入るからだ。なのに、この黒猫かーさんと黒猫嬢ちゃんは、見分けがつかない程の体格に育っても、いつまでも一緒にいた。一つ屋根の下で一緒に暮らすことを強要される飼い猫とは、まるで事情が違う筈なのだけど、住宅街で暮らす野良猫にも、人間が知らない別の事情があるのだろうか?
そうなのかもしれないと思う一つの事例が、グレちゃんの存在だった。
仔猫達が大人になる頃には、グレちゃんはすでにうちの子になっていたのだが、それなりに自由に外に出掛けていた。黒猫親子とピッタリ一緒にいるのを見たことはないが、お互いの存在を認識している距離に居る姿は何度も見かけた。けれど、双方が牽制し合っている様子を見たことがない。それどころか……。
それどころか、うちに招待して連れて来たことがあるのだっ!
イヤイヤイヤ───在り得ねぇだろ、それっ!!
いつものドアの隙間から、グレちゃんが招いたとしか思えないタイミングで黒猫親子が入って来て、『ご相伴にあずかりますね』とばかりにグレちゃんのご飯を食べ始めたのである。グレちゃんはそれを咎めもせず、自分のお気に入りの場所でたゆ~ん・たゆ~んしていた。
ご飯を食べ、お水を飲み、座布団と戯れてから、『お邪魔しました』とばかりに帰って行く親子。
コレ───どういうこと???
色々・諸々考えた結果、憶測でしかないが、もしかすると住宅街の野良猫の間には、『雌猫互助会』的なコミュニティのようなものがあるのかもしれない。
思えば、近所で見かけるテリトリー争いには雄が絡んでいる。事実、うちの子になったあとのグレちゃんが、バトルで雄猫を撃退する様を見た。
だが、雌達には雌達の事情がある。まず何よりも、雌は仔供を育てなければならないのだから。
その為には、充分な栄養と体力と安全な場所が必要。厳しい野良生活の中で無駄な諍いをせず、多くはないご飯と安全な場所を分け合っているのかもしれない───という結論に至った。
本来、ライオン以外の猫科の生き物は、単独生活をするものだ。雌の方が警戒心も強く、気性も激しい。けれど、街で暮らす野良猫達の間では、人間の与り知らぬ新しい野生のルールが出来ているのかもしれない。生き物の暮らしは、時代と環境に応じて変容していくものだから。
まず生き延びること。そして子孫を残すこと。
野生の二大ルールに従った、正しい新ルールだろう。
まあ、証拠などないただの憶測───というか、妄想だが。
一方で雄達は、雌より広いテリトリーの巡回と新規テリトリーの獲得の為、入れ替わりが激しく、巡回して戻って来るまでのインターバルも長い。見知った子をふと見なくなり、二・三ヶ月後にまた見かけるというのは、よくあることだった。黒猫かーさんの息子も、時々そのような形で目撃した。
それら雄猫の中で、とっつぁんと呼んでいた子がいる。
茶虎と白のツートンカラーで、目つきも悪く、見るからに不細工。出会う度に何だか草臥れていて、故に気になる。
とっつぁんは、それこそ二・三ヶ月周期で近辺に戻って来ていたが、グレちゃんや黒猫かーさんのように人に寄りつくことは全くなかった。
なのに、とある雨の夜、わたしがゴミ出しに出ようと玄関ドアを開けると、そこにとっつぁんが居たのだ。わたしの部屋は二階の廊下の一番端だった為、雨を凌いでいたのかもしれない。けれど、わたしと目が合ってもいつもようには逃げもせず、ゴミを出して戻って来ても、まだそこにうずくまっていた。前例通りであれば、とっとと姿を晦ましているのだが……。
よく見ると、久しぶりに見るとっつぁんは、いつもにも増して薄汚れ・草臥れていて、明らかに痩せていた。今回の旅は、いつもにも増して厳しいものだったのだろう。
何度も主張しているが、『ご飯をあげるなら、ちゃんと引き取れ』という主義のわたしだが、この夜のとっつぁんは、なんというか……あまりにもあんまりな様子に見えたのだ。───要するに、主義を曲げたのである。
「武士の情けだよ」と小さく声をかけ、細く開けたドアからとっつぁんとは逆の方向へ手をいっぱい伸ばした先に、一握りのドライフードを置いたのだ。
更に細くした隙間から、とっつぁんが無事に食べ始めたのを確認してそうっとドアを閉じ、とっつぁんが警戒しないで済むように、その夜はもう出入りをしなかった。
翌朝、食べ残しのドライフードがあれば片付けなければと玄関ドアを開くと、『武士の情け』は奇麗に完食されていた。その代わりのように、ドアを開いてすぐの場所にちょこんとあったのは、お亡くなりになりたてのヤモリさん……。
グレちゃんの例からして、御礼奉公に間違いない。
───せっかく獲った獲物なんだから、自分で食えよぉぉぉ~!!
と、心の中で叫んだわたしの気持ちは、間違ってはいないだろう。
本当に、生命の瀬戸際にあってなお、彼らは律儀で義理堅い。各種人類にも、是非見習って欲しいと心から思った次第だ。
そんな彼らが、おそらくわたしが見ていないところでお付き合いがある、グレちゃんのご近所さん達だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます