第九話 グレちゃんのおみやげ
体調がずいぶん良くなってくると、グレちゃんは一人でも夜のお散歩に行きたがるようになった。
わたしと行くお散歩とは目的が別で、いわゆるテリトリーのパトロールなのだろう。
そもそも我が家は、野良時代のグレちゃんのテリトリー内にあるので、わたしも求められるままに外に出した。それは確かに、安全な場所も危険な場所も知っているテリトリーだろうが、交通事故やよからぬ人間の存在など、心配すれば切りがない。それでも散歩を黙認したのは、野良だったグレちゃんのアイデンティティーを尊重してのことだ。それに、わたしが心配して待っていることを理解しているのか、グレちゃんはわたしが不安になるほど長時間の散歩はしなかったのである。
勿論、例によってチェーンをかけたドアにスニーカーを挟み、いつでも好きな時に帰って来られるようにしていた。
グレちゃんは、ドアが開いていればするりと帰って来て、ただいまの挨拶をしてくれる。開いていなければ、声を出さずにドアをカリカリとして、周囲の住人に配慮を欠かさない合図をした。なんにしても、その辺のグレちゃんの気遣いは完璧で、普段のおしゃべり猫とは別猫観さえ醸し出すサイレント帰宅をしてくれる。
本当に、よく出来た子だ。
そんなグレちゃんが、いつもと違う帰宅をしたことがあった。
『んっ!』とも『ムっ!』ともつかない声をリズミカルに刻み、廊下を歩いている段階から帰宅を主張したのである。
まだ幾らか健康不安があった時期でもあり、普段と違う鳴き声から何かあったのかと、わたしは慌ててドアを開けた。
廊下の薄暗い蛍光灯の明かりの下、目にしたのは、耳と尻尾をピンと立て、嬉しそうに、楽しそうに、緑の瞳をキラキラさせながら帰宅するグレちゃんの姿───。
どうやら異変ではないと安堵しながら迎え入れると、わたしがドアを閉めるのを確認して、玄関から上がってすぐの二畳のキッチンでグレちゃんはきらりんと振り返った。
脳内で、『どうぞ』と副音声が聞こえる。
しゃがんだわたしの足元に丁寧に置かれたのは、近隣の猫餌オバサンの誰かに貰ったのだろう、少し齧った跡のある砂付きのチクワが半本。少し味見をした跡があるのは、ご愛敬だろう。
緑の瞳をキラキラさせ、髭を立てて自慢げに『あげるわ』と───噂には聞いていたが、初めての猫のおみやげだった。
鳥の求愛行動にもあるように、食べ物をくれるというのは、人間以外の全生物にとって、最大の愛情表現である。人間と暮らしている生き物以外に、食に満たされている生き物はいない。毎日が、食うか死ぬかの瀬戸際なのだ。至上最高の贈り物といっても過言ではない。
この時点でのグレちゃんは、うちでご飯を食べ・うちの安全な寝床で眠っているものの、わたしの仕事中は外で過ごすという半野良生活だともいえた。そのグレちゃんが食べ物をくれるというのは……。
当初から、『助けてもらった』という自覚が、グレちゃんにはあったように思う。猫の形容詞としては間違っている気もするが、几帳面で義理堅い性格なのだ。
わたしは嬉しくて、砂のついたチクワをありがたくいただいた。実際に食べはしなかったものの、「ありがとね」と言いつつ食べるふりまでした。
───それが、次なるステップへの序章とも知らず。
猫は本来肉食獣で、ハンティングをするのは本能だ。そのハンティングの獲物をプレゼントされた人間側は、決して嫌がったり断ったりしてはならない。特別なプレゼントを嫌がられると、猫の側が傷つくからである───ということを、動物マニアのわたしは知っていた。
なので、次のプレゼントの時も喜んで受け取ってみせた。二度目のプレゼントは、掌サイズの生きた蛾だった。
あとから思えば、ここまでが病み上がりのグレちゃんのリハビリだったのである。
それから始まったプレゼントの数々───うちの子になる前のグレちゃんが、猫餌オバサンからご飯を貰っていただけではなく、ちゃんと自分でも生計を立てていたのだと、それはもうよく理解できた。
獲物を口いっぱいに頬張って、バックミュージックに軍艦マーチが流れているような弾む足取りと鼻歌と共に、自慢たらたら、誇らしげに帰還する猫一匹。頂いたプレゼントの総計、スズメが五羽・ネズミが三匹。猫の流儀に相応しく、すべてが半死半生だった。
やがてグレちゃんが、とある納得をするまで続いたそれらを、『食べ物として狩られた生命を無駄にしてはいけない』との気持ちがありながらも、食べるわけにもいかず、グレちゃんの好意を無駄にも出来なくて、すべてを受け取り、すべてをひっそりと処分した。
愛故の行動。
愛故の苦悩。
人間の業は根深いものだ。
ハントされながら食べられることなく処分された彼らを気の毒に思いながらも、獲物をせっせと貢いでくれるほどには、グレちゃんに好かれているのだと感じられて、わたしは嬉しかったのだから。
随分あとになって、猫のプレゼントを拒否してはならないもう一つの理由を、偶然知った。
『猫の側が傷つくから』は間違いないが、その『人間側の拒否』の受け取り方には個体差があるのだそうだ。とある子は、最高の筈のプレゼントを拒否されて普通に傷心。またとある子は、『この獲物では足りなかったんだな』と解釈して逆に奮起するらしい。
当然ながら、問題は、後者の場合だ。
主に男の子に多い傾向だそうだが、持って帰る獲物が大物化する場合があるという。聞いた話によると、ネズミは蛇に、スズメは鳩、もしくは鶏になっていくのだとか───。
ネズミ&スズメ級でパニクった飼い主が、蛇や鳩や鶏を平常心で受け取れたとは思えないのだが、彼らの後日談は残念ながら知らない。
とっくに済んだことになって知ったとはいえ、つくづく愛は素直に受け取っていた方がいいと、胸を撫で下ろしたものである。
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