第七話 グレちゃんの名前

 ペットの名前は、略されることが多い。二文字・三文字ぐらいであれば、略のしようもなくそのまま呼ばれたりもするが、時にシリーズ名称化し、収拾がつかなくなる。一方で、妙に美麗な名前をつけると、原形が想像できないほど変わり果てていることがある。


 例一は二文字の名前。

 小学生の頃に飼っていた文鳥を、最初に欲しがったのはわたしだ。

 しつこいおねだりをほぼしないわたしが、頑固にねだり続けて、誕生日のプレゼントとしてやって来たのが、手乗りの桜文鳥の女の子・チコ。手弱女たおやめというか、大和撫子風の大人しくて物柔らかなチコを、わたしはすぐに大好きになった。念願の『一緒に暮らせる生き物』なのだ。

 「お誕生日プレゼントなの!」という幸せな気持ちは、チコとは別の要因で、数日で萎むことになる。

 『この家で一番特別な子供はオレ』という主張を常に欠かさない兄が、手乗りの桜文鳥と白文鳥の男の子二羽をすぐに連れて帰ってきたのだ。おそらく、中学生の小遣いで購入出来る価格だったのだろう。

 そうなると治まらないのが、幼稚園児で末っ子の弟。年中無休のブレイクダンス付きおねだりで、各種おもちゃをGETしてきたテクニックを使い、手乗りの白文鳥の女の子を連れて帰ってきたのだ。

 この時点で、『お誕生日のプレゼント』という特別感は霧散している。

 そして桜のつがいと白のつがいになったこの子たちの名前が、来た順でチコ・チロ・ピロ・ポッポとなった。四羽の時点で、小学生のわたしはすでに多少混乱している。

 手乗りの雛達は手乗りで育てようと両親と共に努力した結果、白夫婦の子孫は、一時期とてつもなく増えた。何故か桜夫婦の間の卵は、一つとして孵らなかったが。

 そして、二文字名前のシリーズ名称は、とんでもないことになった。

 ピコ・ポロ・ポコ・ポポ・ピポ───それから何があっただろう?……つまりは、短過ぎるシリーズ名称はカオスの元だということである。

 ちなみに、わたしに張り合って文鳥を連れてきた兄は、連れてきたことに満足したらしく、日々のお世話を気が向いた時にしかしなかった。弟は幼過ぎて無理だったので、結果、わたしと両親は、四羽+αの文鳥の世話に明け暮れた。

 小学生に『世話をしなくてはならない』というプレッシャーが重過ぎたのか、お世話を忘れて大変なことになった鳥籠の夢を、今でも時折見る。


 問題の例二だが───その典型が、後日、数年に渡って我々と同居した女の子の雉猫、ぷーだ。

 ぷー・ぷぷ・ぷり・ぷりんと、飼い主の友人Hとわたしに四段活用のように呼ばれても、彼女は気にすることなく自分の名前として認識していた。実のところ、Northern・Princessノーザン・プリンセスという、最初の飼い主の一人・友人Eが命名した立派な名前があったのだが、ご想像の通り、何かの書類に記載する時以外、フルネームを使うことはなかった。

 その最初の飼い主が、彼氏と暮らすといって音信不通になり、当時その彼女と同居していた友人Hが、二人飼い主から正真正銘のたった一人の飼い主になり、やがてわたしとグレイちゃんと人間女子二人・猫女子二匹で猫の為の同居をするようになった経緯は、おそらく長くなるので別の機会に。


 そしてグレイちゃんだが、最初から妙に賢かった。

 賢さの実例としては、人間の家に初めて住むことになって、色々と興味津々だった頃、コンセントに悪戯しようとしていたことがあった。それを事前に見咎めたわたしが、「グレイちゃん、それ、危ないからね。オイタしたらダメよ」と云うと、「ああ、ダメなのか」とがっかりした様子で、それでも二度としなかったのである。他にもあれこれあるが、概ね「ダメだ」と一度教えると、二度云う必要はなかった。グレイちゃんが、意図して実行しようとする時以外は……。

 そのグレイちゃんの名前は、前述したがGray=灰色という意味だ。何故か、他の名前は全く思いつかなかったのだ。名前をつけるならグレイしかないと、極自然に決まっていた。おかげで、その頃からブレイクしていたアーティストと混同されて「GLAYのファンなんですか?」と一〇〇万回訊かれ、その度に「LではなくRです」と一〇〇万回説明する羽目になったのである。

 賢いグレイちゃんが、自分の名前を覚えるのは早い。けれど一方で、それが自分の名前と認識すると、グレイの『イ』まできちんと発音しなければ、自分の名前ではないという断固たる態度を示した。賢くもあるが、この時点ですでに几帳面というか───あまり猫に使用されない形容詞が発生する。


 病が完治してから引き合わせた友人達には、綺麗すぎる名前だとか、面白味がないとか、賛否両論・様々な意見を貰った。緑の瞳と長いシマシマしっぽが素敵な灰色猫に戻ったグレイちゃんを見た二十年来(当時)の男の親友に「全く、昔からお前は面食いだなぁ」と云われ、「違うぅ~」と強く主張したかった───が、同居猫になった最初の数日間、そんな余裕はなかった為、病んでいる真っ最中の泥ぐちゃ状態の証拠写真が無く、証明出来ないままだ。


 けれども多くのご家庭と同じように、我が家でもペットの名前省略化現象が起きた。

 いよいよリハビリが終わる頃になると、わたしはグレイちゃんをグレちゃんと略して呼ぶようになっていたのである。最初は困惑気味だったグレちゃんも、『ああ、そう呼ばれるのね』と認識したあとは、甘えた愛らしい声で『にゃあ』と応えてくれるようになった。

 そして、ここからまたグレイちゃんの個性というか、融通が利かないというか、頑固一徹くんな(これもまた、猫に使う形容詞ではない)ところが発揮されるのだ。

 前例に準じて、今度はグレイちゃんと呼ばれることに反応しなくなったのである。


 ペットは飼い主に似るとはいうが、いったいどの時点から似てくるというのだろう? つまり、これはわたしのせいなのだろうか?

 一緒に暮らし始めて何ヶ月も経たないというのに、そんなところが似たりするものなのか?

 それとも、元々がそういう性格?

 似た者同士だから、合縁奇縁が発生したのか?

 真相は、神さま・仏さまでなくては判らない。


 卵が先か鶏が先かはともかく、この事実以来ずっと、飼い主=わたしと飼い猫=グレイちゃんの似た者同士現象は、年数を重ねるにつれ、とめどなく・如何なく・雪だるま式に発揮されていくのである。

 頑固一徹・考えすぎ・気を使い過ぎ・保護者意識の過剰さ等々───枚挙にいとまがない。


 ともあれ、こうしてグレイちゃんはグレちゃんになった。


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