第一話 グレちゃんとの記念日
西暦一九九八年・平成十年十二月十五日───わたし=
そして、君と家族になった記念日。
今になって思えば、不自然なほど自然にわたしと君は普通に出会い、少しイレギュラーな再会を果たしたあと、当たり前のように一緒に暮らし始めた。
自他共に認める無類の動物好きのわたしだが、一緒に暮らしたことがあるのは鳥と犬と金魚と虫、里親が見つかるまで保護した仔猫一匹だけ。本格的に猫と暮らしたことはない。
それにも拘らず、微塵の抵抗もなく、速やかにその生活は始まった。正真正銘、猫と暮らすのが初めてである───と、いう事実に気付いたことさえ、ずいぶんと月日が過ぎてからだった。
一九九八年の夏、味噌汁が冷めない距離より少し遠くで、各種事情により両親との別居を決め、一〇〇%の一人暮らしを始めた。敢えて一〇〇%と表現するのは、それ以前の実家を離れた生活では、いつもルームメイトがいたからだ。
その当初から、いつか生き物を拾うかもしれない。そして、次に出会うのも、きっと小さい仔だろうとなんとなく思っていた。君という前例が出来るまでずっと、拾ったり・貰ったり・育てたり・里子に出したりしていたのが、どの仔も全部仔供だったからである。
実際、自分では飼えない状況で保護した場合、幼い仔の方が新しい飼い主が見つかり易く、懐き易い、というメリットは無視できない。
けれども、予想なんてものは容易く覆される。
尊敬している従姉の持論として、『予測・想像していることは起きない』とういうのがある。実際には起きることもあるのだが、予測・想像している出来事&ハプニングは、自分の中にすでに対応マニュアルが存在しているので、トラブルや事件として認証されないということらしい。
全くもって、至言である。
事実、わたしが出会った君は、大きく予想を裏切って立派な大人の猫だったのだ。
実家から離れて居を構えたのは、幼少期と中学生の頃に住んでいた、長崎街道筋の街だ。───とはいっても、住んでいたのはずいぶん前のことで、三度目に改めて居を構えたわたしは、立派な新参者の転居者である。一方で君は、その近辺を縄張りにしている野良猫。美貌と愛嬌でご近所さんからご飯を貰っている、要領のいい猫たちの一匹だった。
美貌と愛嬌でご飯を貰っている野良猫は何匹もいたが、その中でも君は異色の存在だったといえる。黒や茶虎の猫が多い中、君だけが明らかに洋猫の血を引き、緑の瞳とシマシマしっぽが素敵な灰色猫だったのだから。
その街は、わたしが住んでいた頃に比べると、近年発展目覚ましい街だ。けれども、まだまだ昭和時代の一戸建てが多い一角で、野良猫達には住みやすい環境だったのだろう。君の他にも、やたらと野良猫の多い地域だった。
元から変人扱いに甘んじるほど動物好きのわたしと、人間を恐れる気配が全くない君は、すぐに顔見知りになり、何の抵抗もなく抱かせてくれたりするので、会えば挨拶を交わす仲になった───それだけの仲だった───まだ。
各地に出没する猫オバサン・猫オジサンと呼ばれる人々は、えてして路上や公園、他人の敷地内の駐車場などでご飯を与えている。わたしはその行為が好きになれない。
彼等にも言い分というものがあるだろうが、ご飯をあげたいのであれば、少なくとも自分の住まいであげるべきだろう。食べ残しの始末や、食べたからこそ出るブツを片付ける必要のない、自分が責任を負わなくていい場所に、食べ物を撒き散らして去っていく姿には、野良の子達への思いやりより、一方的な人間側の『可哀想だから』と軽く言う自己満足しか感じない。
動物好きには、動物好きなりのルールがあるのだ。『野良の子にご飯をあげたいのであれば、連れて帰って飼え。きちんと病気の予防をし、余りある愛情を与え、手間暇をかけて生涯面倒をみろ』というのがわたしの主義で、野生で生きていかなければならない子に無責任に手を出してはならないと思っていたし、現在も思っている。
ご飯をあげる=連れて帰る。ご飯をあげない=連れて帰らない。責任が取れない一時の同情心で、中途半端に手を出すべきではない。それは、自分の中に断固としてあるルールだ。
なので、君ともまた、『知っている仲』以上ではなかった───筈なのだか、何故か君は時折、招待状も持たずにわたしの部屋に遊びに来ることがあった。
その頃の我が家は、築三十年越えの賃貸の木造二階建ての二階、玄関の前を通る住人もいない一番奥にある部屋。間取りは六畳一間の1Kのアパートで、夏場はかなり暑く、玄関ドアのチェーンを掛けてスニーカーをドアの間に挟み、いくらかの風通りを確保しているような状態だった。
そしていつの頃からか、その隙間からひょっこり現れ、「うにゃん」と挨拶する君。
ご飯も、お水も、ミルクもあげないのに、適当に入ってきて、適当に寛ぎ、わたしが「そろそろ寝るから、おやすみなさい」と云うと、どこかに帰って行く君。
メディアや書籍で諸々の動物エピソードを知ってはいるが、あまり例がないパターンではなかろうか?
いったい何が楽しくて来ていたのか、今になっても判らない。
まあ、そんな感じで普通(?)に出会っていたわたしと君が、しばしの時を経て特別な出会いを果たした日───その時は、愛車の中型二輪でいつもは通らない道を偶然通りすがり、路上で弱りきった君が必死でヘルプミーを叫んでいる場面に遭遇した。
その時の君はマックロクロスケ───というのは言い過ぎにしても、目ヤニと鼻水と膿、それらに付着した枯葉と泥で、顔の判別は全く不可能。背中としっぽの模様で君と判りはしたものの───君がわたしに呼びかけてくれたことで、君だと確信が持てはしたものの───それでも、君であることに疑いを持ってしまうほど、あまりにも変わり果てた姿だった。
後から思い出してみれば、一週間か十日か、あるいは二週間か、見かけていなかった。野良だからそういうこともあるかと、気にも留めていなかったのである。
抱き上げた君の体は以前より遥かに軽く、ごりごりと骨ばかりが当たった。それでいて、お腹はパンパンに膨れ上がっていて───どう考えても、明らかに病に侵されていた。
そんなこんなのどさくさで、わたしは君を抱き上げてしまった。
君は、すっかり弱ってしまった体を、わたしに抱き上げさせてくれた。
君はっ!
君は、初めから本当に、常識知らずもいいところっ!!
野良ならばっ! 仮にも野性ならばっ!!
息を潜め、身を隠し、最大の天敵でもある人間からは逃げるべきだろうにっ!!
……けれども、そうはいっても………。
もはや、なるようになってしまったので、我々は一緒に家に帰ったのである。
木造二階建て集合住宅の1K、ペット禁の我が家へ。
それが一九九八年・平成十年十二月十五日───わたしが決めた君の誕生日。
我々の記念日。
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