哺乳類やめますか人類(Cero Cくらい)

男女の差ってなんだろうなって考えてみたんですが、究極的に言うと子どもは女性から育み産まれる(産み育てるではなく、母胎で育ててから産む)ということだと思うんですよね。

女性は一年近く胎児を育むため、守るべき存在が発生する。このため、この期間中は行動が制限される。また、生まれた後も、男性よりも身近にいた期間が長かったこともあり、その愛着度合いが違うと思うんですよね。


ということで、逆に、哺乳類やめて、たまごで孵化させるのはどうでしょうか? ペンギンとかワニとか、雌雄関係なく、たまごを温めているようにおもいます。これにより、雄も雌同様に愛着が湧くのではないかと。


村田沙耶香の小説では、よく人工子宮の話が出てきます。男性もそれにより、子どもを産み育てることができるらしい。小説ってすごいね。これに似てるかもですが、もういっそ、鳥や爬虫類のように、胚を取り囲む人工殻をつくって、外部から栄養補給できればいいんじゃないかねって。いわゆる、本格的な試験管ベイビーってやつですかね。

女性も必ずしも妊娠の必要がなくなるので、家庭に縛られることもないのではないでしょうか。ここまで技術が進んでしまうのなら、普通繁殖できないと考えられてきたLGBTQもDNAを好きに残せる気もしています。


問題として考えられるのは、子どもの世話は誰が責任を持つのか、ということ。家庭として子どもを育てることにインセンティブがなくなるのではないかと。

村田沙耶香の「消滅世界」ではエデンシステムと称し、すべての子どもはすべての大人が親として見ることになる。子どもが嫌いな人には苦痛でしかないとおもうが、ある意味理にかなっているのかもしれない。とはいえ、親の責任はどうするんだろうか。

親は後世にDNAを残すことができているから、非親と比べて生物的には成功している気がする(もちろん、子どもを残さない個体がなにか劣っているというわけではない。繁殖しているということを便宜的に”生物的に成功”としている)。生物的に成功しているとは言いがたい非親にも面倒を見させるような、依存的社会になってしまうのではないか、懸念がある。

責任の所在をうやむやにしたまま、生物的に成功できると考えると、哺乳類やめますシステム利用には、使用料を高く取ってもいいのかもしれない。結局、ビジネスかよ。


あと、結婚の価値観も変わるかもしれない。

結婚制度がなくても繁殖はできるようになるのだ(未婚の母はいるかもだが)。情緒的なつながり、経済面を除けば、結婚するメリットはもはやないのかもしれない。そう思うと、結婚したい人はなににこだわっているんだろっておもっちゃうし、自分でも醒めちゃった。


人、ないし子ども(老人もあてはまる)の面倒は誰がみるのか? みんなでみる、家族がみる、本人が責任を持つ。いろんな解答はある。

でも、わたしの面倒は最期までわたしがみたいな。結婚とか関係なく、ね。

あと、愛着を失う代わりに、責任や労力から解放されるなら哺乳類やめますシステムで子どもほしいかもしれない。知らないところでわたしの遺伝子が残ってるの、ちょっとおもしろそう。

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思考実験って誰得なんです? あき @COS部/カレー☆らぼらとり @aki0873

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