Rules or Manners(不穏当なry)

ルールは破るもの、という輩も少なからずいるとは思いますが、わたしとしてはルールは守るものだとおもっています。こんなわたしですが。

ただ、ルールは変更可能であることも重要だともおもっています。あくまでもルールに則った上で、隙をつけるなら隙をつき、ルールが邪魔ならルール変更を要求する。ただそれだけだと。

さらにいうと、ルール変更するにも、「なぜ」ルールができたのかの根拠がいるわけです。それがきっとマナー(他者への礼儀、倫理観)だとおもっています。設定されたマナーを守るために、ルールを設定する。逆にマナーが守れているのに過剰なルールが設定されてしまい、みんなの生き方が苦しくなるのならば、ルールを変更すればいい。



例えば「人を殺してはいけない」をルールと設定すると、じゃあルールが変わったら殺していいのかって話になる。このルールは変わるのか? たぶんマナーが裏付けとなっているとおもうんですよね。気に入らない人を殺せるなら、逆に他者から殺される可能性もあるということ。相手にしてほしくないことは、自分もしない。マナー、倫理観。

逆にこの倫理観が欠落したとき、「人を殺してはいけない」ルールがなければいけないのもまた事実(後述)。


法律、憲法を変えてはいけないというルールはないです。ルールに則って手続きを行えば変更は可能です。

なぜ法律が存在していたのか、なぜ変更するのか、それが明確になってさえいれば、いいとおもいます。時代が変われば倫理観も変わるのですし。


ここで、倫理観が変わることがまた問題だと言えるわけです。例えば、改憲が戦争できるようになるのではないかと。それが護憲派なのかなと。ただ、ルールがないと倫理観も守れないのかというのも論理に乏しいわけです。「ルールがなければ人をも殺すだろ」という主張に近い。「いや、殺さないだろ」とならないのは、国とか大きい権力だったり集団心理が働くことを見越してなのか、あるいは。いやなにもいいますまい。



ルールというより、マナーを守りましょう。

できれば、ルールに則りましょう。

隙があれば隙をつきましょう。

ルールが邪魔ならルールを破らずに、ルールに従って変更手続きしましょう。

もしマナーがわからないのなら、周りを見ましょう、人に聞きましょう、他人の価値観を知りましょう。(自分がされて嫌なことは人にはしない理論だと、逆に自分がされてなんともないことを他人に課してしまいます。ですから、他人が嫌だと感じることをあなたが学びましょう)


死んでもいいと思っている人は失うものもないし、命の重みを理解できないので殺すことに倫理観を抱かないかもしれない。ルールがなくとも、人は一般的に死にたくないものだ、ということを学ばなければいけないのです。

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