モヤモヤな話
ジャムを煮る甘い香りが部屋いっぱいに広がった頃、後輩はまたキョロキョロし始めた。
「今度は何が必要なの?」
先程の動作で何となく探し物かと思って訊ねたのだが、後輩は驚いたようにこちらを見下ろした。
「……えっと、瓶、とか、なんか保存できそうな容器とか、あります?」
瓶、瓶かぁ……。
どこかに入れてあったような気がする。だが、どこだかちょっと思い出せない。
「ちょーっと待ってて……確かあるはずだから」
こめかみをグリグリ揉みながら記憶を探る。そして部屋のある一画に的を絞り、瓶の発掘作業に乗り出した。それほど時間をかけず、目的の物を無事見つけることができた。できたのだが……。
私の手に握られているのは、数年前に立ち寄った本屋でたまたま引き当てた景品くじの保存瓶だ。自分が好きで引いた物だが瓶の周りに踊る可愛らしいキャラクターたちを見て、果たして私が後輩に渡しても引かれないかは微妙なところだ。というか、私のような年齢と見た目の女がこんな可愛らしい物を持ってても良いのだろうか。
むむむ……、と眉間に皺を寄せながら瓶を睨みつけていると、ふっと視界が暗くなった。
「あ、モケモンの瓶だ。可愛いっすね」
「!!?」
真上から降ってきた声に飛び上がるかと思うほど驚いた。実際ちょっと床から浮いたような気がする。
「大きさもちょうど良さそうっすね」
「え、あ、ちょっ!」
小さな抵抗も空しく、モケモンの瓶は上から降りてきた後輩の大きな手によって取り上げられてしまった。
「や、それは!」
「……あ、これ多分コレクションアイテムっすよね。じゃあ使うのはマズイか」
「う……そういうわけじゃ、ない、けど……」
心底真面目に返されて、私はあえなく折れた。
三十路女の趣味をこんな形で知られるのは何とも恥ずかしく、いたたまれない心地がした。しかも知られた趣味は小さい子どもにもファンの多いモケモン!勿論大人のファンもとても多いジャンルだが、普段職場で守り続けた私のイメージとはかけ離れている。
ううう、恥ずかしい〜っ!穴があったら入りたい!
そうこうしている間に後輩はさっさと台所に戻るのかと思われたが、何故か
「……うん、可愛いっすね」
「へ?」
間抜けに返す私に、後輩は踵を返して台所へと戻って行く。そんな後輩を、大事に守ってきた自尊心を抱え込むように背中を丸めながらヨロヨロと追いかけた。
探し物をしていた部屋を出れば、先ほどよりも濃くなった甘くて幸せな香りが鼻先をくすぐる。
顔を上げると、調理台の前で瓶に琥珀色の出来たてジャムを入れる後輩の真剣な横顔が目に飛び込んできた。角度のせいか、普段はよく見えない彼の焦茶色の瞳も、眉も、長い睫毛までよく見えて、思わず見入ってしまう。
ほこほこと湯気をあげるジャムを零さないようにそっとよそう後輩が、何だかとても良いものに見えた。そしてその感想に対して自分自身で首を傾げる。
良いもの、ってなんだ……?
最後の一粒を入れ終わり、小さく息を吐いた彼がこちらの視線に気がつくと慌てたように後ろを向く。
見られていたのが恥ずかしかったのかもしれない。悪いことをしたと、ちょっぴり反省する。
「ごめんごめん、真剣に瓶詰めしてたから思わず見ちゃったわ」
「…………っす」
うん、いつもの感じに戻っちゃった。
せっかく見えた焦茶色の瞳も、長い睫毛も、意外と凛々しい眉も、もしゃもしゃと長い髪の奥へと消えてしまう。それを勿体無い、残念と思った自分の心が分からなくて、何となくモヤモヤとした。
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