吉田城

 わたしたちは曳馬宿の玄忠寺に一ヶ月ほど滞在しました。

 この間に、亥兄と亀兄は三河の各地を回って城や砦の位置、街道の様子や地形などを調べたり、武具の手入れや馬の調教などをして過ごしました。わたしも、兄について出かけることもありましたが、多くの時間は、お寺の片隅に建ててある小屋を借りて、今度の戦に役立ちそうな秘密道具作りに精を出しました。


 三月に入って間もなく、三河国、遠江国の今川勢に出陣を促す陣ぶれが、私たちの元にも届きました。両国の土豪たちは、三月十日までに吉田城に集結するようにとの命令です。

 岡部勢は、本来なら父上か久綱兄を大将として出陣するはずでしたが、二人とも体調が優れず足手まといになってしまう恐れがあることや、亥兄が立派に「大将」たる風格や能力を身につけていることもあって、亥兄こと岡部五郎兵衛元信を大将として出陣することになりました。付き従うのは、亀兄こと岡部忠兵衛貞綱。さらに坂崎庫之助、細峯月之進を初めとした家臣の侍五名と、近在の農家から募った足軽十名。そしてわたし、岡部小春の十七名です。

亥兄が騎乗するのは、もちろん愛駒の黒桐号、愛称はクロです。クロは二ヶ月の間にますます逞しくなり、亥兄の手綱さばきで縦横無尽に駆け回ることができるようになっていましたが、実戦での訓練ができていないので、敵の槍を恐れる性格まで克服できているかどうかが少し心配です。

 そんなクロのために、わたしは「馬鎧」を作ってあげました。

 馬鎧というのは名前の通り馬に着せる鎧です。多くの武将たちは自分の乗る馬をりっぱに見せるために馬飾りをつけますが、馬鎧となると、馬の動きが鈍くなってしまうこともあって、あまり見かけません。

 わたしは、クロとのために、薄くのばした鉄板を何枚もつないでぶらさげ、その表面に縦長に短冊状にした馬皮はりつける形の鎧を工夫して作りました。これですと、それほど重くも無く、動きの自由も制限されない上に、クロが怖がる前面の脚の付け根あたりをしっかりと守ることができます。

 亥兄は、わたしの作った馬鎧をとても気に入ってくれて、すぐにクロに装着してくれました。クロも心なしか喜んでくれているように見えます。

「小春、ありがたいぞ。毎日小屋に籠もって、何を作っているのかと思っていたが、これほどのものを作ってくれていたとは!」

「亥兄、クロの馬鎧の他にも、戦に役立ちそうな物をいろいろ作ったよ。後で見せながら説明するね。あと、もう一つ、余った青銅でこんな物も作ったのだけど…」

 わたしは、出そうかどうか迷っていたものを、葛籠から取り出しました。

「うん? それは? 飾り物のようだが……」

「あのぅ……。亥兄のその兜、前立てのところが折れて欠けているでしょ。亥兄は、『これが格好いいんだ』と言って直そうとしないけど、わたしは『こんなのがあったらすてきなのにな』と思って、つい作ってしまったの……」

 わたしが差し出したのは、猪が駆ける姿をかたどった、兜の前立てでした。

「おう、これのために作ってくれたのか!」

 亥兄は早速兜を脱ぐと、わたしから猪の前立てを受け取って装着しました。あらかじめ測ってあったので、装着口も全体の大きさもぴったりです。

 亥兄はすぐに兜をかぶり直し、亀兄や家臣たちの方を向いて「どうだ?」大声を出しました。

「おう、亥之介の猪か! ますます立派に見えるぞ! 小春ぅ、亥之助にはこんな立派な物を作って、俺には何か無いのか?」

「ああ、ごめん。また今度、ね」

 亀兄にも何か作ってあげようと思わないでも無かったのですが、そこまで余裕がなかったんです。


 三河国吉田の城下は、少しずつ集まり始めた遠江や三河の兵たちで騒然とした雰囲気に包まれていました。

 わたしたちは吉田に着くと、早速、総大将の太原雪斎さまの本陣へ挨拶に伺うことにしました。

 今回の戦は尾張の織田信秀との「決戦」ともいうべき大戦なのですが、駿府の御屋形様は、東の北条に備えなければならないため出陣することができず、軍師の雪斎さまを総大将に任じたのです。

 雪斎さまは、元々は浄土宗の高僧でしたが、御屋形様が幼い頃から教育係としてお側に仕えておりました。御屋形様が家督を継がれた後は、宰相と軍師を兼ねた「執権」として御屋形様を支えておられます。

 岡部家が、井伊家の謀反の片棒を担いだとの濡れ衣を着せられて、領地を取り上げられてしまった後、わたしは相模へ、亥兄が甲斐へ、亀兄が伊勢へ、それぞれ旅立つことになったのは、実は雪斎さまの深慮遠謀があってのことと聞いています。


 雪斎さまの元には亥兄と亀兄とわたしの三人で伺いました

「雪斎さま、ご命令により岡部五郎兵衛元信と忠兵衛貞綱、そして妹の小春が参陣いたしました」

「おう、岡部家の三兄妹だな。久しぶりだのう。岡部家がバラバラになってからも、玄忠や常慶とは度々会うてきたが、おぬしたちとは三年ぶりかのう。三人ともよく成長されたようだ」

 玄忠というのは父上の、常慶というのは久綱兄の出家後のお名前です。

「わたしたちが、甲斐や伊勢、相模に遣わされたのは雪斎さまのお考えだと聞いております。それぞれの場所で苦労しながらも修行をして参りました」

「うむ、三年の間苦労したであろう。よく無事で帰ってきた。これからは再び今川のために活躍してもらわねばならぬ」

「もちろん、そのつもりでございます」

 亥兄が答えるのに合わせて、亀兄もわたしも頭を下げました。


「で、この度の戦だが…」

 雪斎さまはわたしたちの役割について話し始めました。

「織田は強敵じゃ。特に先鋒として繰り出してくる傭兵隊には手を焼くと思われる。そこでお主たちには、この傭兵隊に横やりを入れることで、敵の陣形を乱してほしいのだ」

「陣形を乱すだけで良いのですか?」

「うむ、深追いは禁物じゃ。兵の数の上ではこちらが圧倒的に勝っておるのだから、傭兵隊さえ突き崩すことができれば、あとは勢いで、敵を圧倒してしまうことができよう」

「なるほど、やはり敵の傭兵隊が鍵なのですね。どれほどの強さなのですか?」

「うむ。傭兵と言っても元々は尾張の百姓や商家の三男、四男とかが多いそうだ。だが、戦が終わるごとに田畑へ帰すのではなく、一年中那古野や古渡の城下に留め置いて、銭で養いながら戦の稽古をさせておるという。最近では噂を聞きつけて三河や伊勢からも食いはぐれたあらくれ者どもも大勢集まっておるらしい」

「一年中戦の稽古ですか……なんともそれは……」

「しかも、この傭兵隊を率いておるのが、織田信秀の長男の信広という男でな。これがまた手強い」

「織田信広ですか? 織田家の嫡男は信長という男だと聞いておりますが……」

「うむ。信広は側室の子なので、跡目はその信長という奴が継ぐことになっておるようだ。だが、信長の悪評に比べて、この信広という男は評判が良く、知略も備えた名将らしい」

「つまり、この戦は兵の数や軍勢の力だけではなく軍略の勝負になるということですね」 亥兄が甲斐で学んできた軍略の力が、さっそく試されそうです。

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