河越城(四)

 父上と、亥兄、亀兄の三人は、わたしの話に聞き入っていましたが、河越城を脱出するときに敵兵に見つかって着物を脱がされてしまったと聞いて、驚いて口を挟んできました。「おいおい、裸にされただけで、本当に、それ以上は何もされなかったのか?」

「そうよ」

 わたしが答えると、亀兄は目を、私の胸の方に少し下げて、

「二年前だから、小春は十六歳だろ。いくら胸がふくらんでいないと言っても……」

と言って首をかしげます。

「何よ、わたしが乱暴されたほうがよかったっていうの? わたしは、江戸でも川越でもずっと男ばかりの中で暮らしていたから、男っぽくなってもしかたないでしょ」

 わたしは、思わず両手で体を覆い、胸を隠しながらそう言い返しました。

 亥兄は、真剣に心配してくれています。

「うむ、怖かっただろう。無事でほんとうに良かった」

「それが……、あのときはニノが捕まってしまったと聞いて茫然自失の状態だったし、髪の毛の中だけは調べられないようにと思って頭ばかり気にしていたから、服を脱がされても全然抵抗しなかったの……」

「なるほど、それで余計に子どもっぽく見られたのかな。とにかく良かった」

「まあ、全然女らしくないというのも、良いことがあるのだな」

 亀兄も心配してくれてはいるのでしょうが、なんだかんだ言って、憎まれ口をたたいてきます。

-わたしのことを”かわいい”っていってくれた人が、ちゃんといるんです!-

 わたしは心の中でそうつぶやきましたが、口には出しませんでした。


×          ×          ×


「北条軍が、八倍近い人数の上杉勢を破ることができたのは、その石に描いた絵図面が役に立ったからということだな」

 父上が、話題を元に戻してくれたので、助かりました。

「そうなんです。ニノに水晶玉を渡した後、わたしは留守番している仲間たちにに状況を伝えるために江戸へ向かったので、実際の戦の様子は宗哲さまや小太郎おじさまから後で聞いたのですが……」

 そう言って、わたしは河越での戦いの続きを話し始めました。


 ニノは、わたしから水晶玉を受け取ると、小田原へ向かう道を一目散に駆け出しました。途中で敵兵に追われたり、韋駄天足袋が壊れてしまったりして苦労したそうですが、幸いなことに御屋形様の軍勢もすでに小武蔵国の府中(河越と小田原の中間)あたりまで来ていたので、その日のうちに、無事に大切な情報を届けることができました。

 絵図面は、ニノが御屋形様の前で水晶玉を使って拡大しながら、大きな紙に書き写したそうです。

 上杉軍の詳しい配陣のようすや、士気が高くないこと、部隊の連携ができていないことなどを知った御屋形様は、さらに敵を油断させるために、小勢を繰り出してわざと負けたり、「城兵の命を助けてくれれば城を明け渡す」という和議の申し入れをしたりしながら、攻撃の準備をすすめました。

 そして、四月二十日の未明に、ついに総攻撃が決行されたのです。


 北条軍は、敵勢の備えの薄いところを抜けて、上杉勢の二人の大将、扇谷上杉朝定と、山内上杉憲定の本陣に、直接攻撃を仕掛けました。上杉勢は、全軍を併せれば八万人を越える大軍ですが、本陣のまわりを固めているのは数千人に過ぎません。御屋形様は、小田原から駆けつけた八千人の援軍を二つに分け、両上杉の本陣へ同時に夜襲をかけたのです。

 完全に油断をして熟睡していた上杉勢は、奇襲を受けて大混乱に陥りました。鎧も着けずに刀だけ持って走り回ったり、味方どうして斬り合ったりして、あっという間に総崩れになってしまったのです。

 なんと、夜が明けて明るくなることには、すでに河越周辺には生きている敵兵の姿は無く、うち捨てられた死体が横たわるのみとなっていました。


 この戦いで、扇谷上杉勢は、大将の上杉朝定が討死。主だった家臣も多くが討ち取られました。山内上杉勢の大将の上杉憲政は命からがら脱出して鉢形城に逃げ帰りましたが、重臣の本間江州、倉賀野行政といった武将が、主人の退却を助けるために討ち死にをしました。

 名目上の総大将として出陣していた古河公方さまも、河越城から討って出た北条綱成さまの兵に責め立てられ、散々に打ち破られて、古河御所に逃げ帰りました。

 この戦いで死んだ上杉勢は扇谷、山内を合わせて一万人を越えたということです。

 長い間関東を支配していた上杉氏は、この戦いに破れたことで急速に力が衰えていきます。そして、それに替わって、北条氏が関東一円まで一気に勢力を広げていくことになったのでした。


「そうかぁ。北条なんて、今川の家来から始まった弱小大名だと思っていたが、あっという間に勢力を伸ばしていたんだなぁ」

「うむ。雪斎さまは、今こそ北条と同盟を結ぶべきだとおっしゃっている。武田も巻き込んでの三国同盟じゃ」

「そうですね。北条の相模国、武田の甲斐国、今川の駿河国はお互いに国境を接しているから、三国が同盟すれば、それぞれ反対の方角へ安心して兵を進めることができるというわけですね」 

「うむ。北条は下野、上野、下総と関東に勢力を伸ばそうとしておるし、武田は信濃を足がかりに上野や越後まで兵を進めようとしておる。そして今川は三河から尾張じゃ」

「すごい! 天下三分の計みたいなヤツですね」

「うーん、それとは少し違うが……。いずれにしても壮大な計画じゃ。これからおまえたちにもいろいろ動いてもらうことになろう」

「わかりました」

 三年の間、わたしたちが離ればなれになって苦労をしてきたことは、太原雪斎さまの遠大の計画の一部だったようです。相模には二度と行くことは無いと思って駿河に帰ってきたのですが、まだ何度も行くことになりそうです。


「ところで小春ぅ。あの水晶玉だが、風魔に三つしかない貴重なものを一つもらってきたのか?」

「ああ、これ? 違うわ。河越の戦が終わった後、水晶玉をもっと作っておこうということになって、一年くらいかかって、あと三つ作ったのよ。そのうち、わたしが担当して磨いた一つを、小太郎おじさまが渡してくれたの」

 わたしが亀兄にそう言うと、亥兄は「そうか」とつぶやきましました。

「おそらく風魔小太郎も、近い将来に小春が駿河と相模の間の橋渡しとして使えると見抜いていたということだな……」

 なるほど、そうなのかもしれません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る