河越城(一)

 わたしは、亥兄に求められて、川越城での戦の様子を語り始めました。


 天文十四年七月。江戸の風魔小太郎おじさまは、北条氏の当主氏康様からの命令を受けて、弟子を十人ほど連れて河越城に向かいました。河越は武蔵国の中心となっているお城で、江戸からは入間川を十里ほどさかのぼったところにあります。

 河越城は、武蔵国まで支配を広めていった北条氏の最前線の拠点です。ここに、近々敵が攻めてくるというので、城を守り敵を攻撃するための仕掛けを作るように命じられたのです。わたしはまだ弟子入りしてようやく半年が経ったばかりで戦の役には立たないのですが、河越城には、小田原から北条宗哲さまも援軍に向かわれたということなので、わたしも行くことにしたのです。


 北条氏は、もともと今川氏親様(先々代の当主)の家臣だった伊勢宗瑞というお方が、今から五十年ほど前に駿河の東隣の伊豆国に攻め込み、独立して大名になったのが始まりだそうです。

 伊豆を統一した後は相模国に攻め入り、本拠地を小田原に移しました。さらに相模国を統一した後、宗瑞さまの子の氏綱様の代になって、姓を北条と改めて武蔵国にも侵攻していったのです。今川氏と北条氏は、はじめの頃は同盟関係にあって、東へ西へと一緒に出陣したこともあったようですが、今川も北条も代替わりをするにつれて次第に仲が悪くなっていき、国境の駿東地区の領有を巡って、激しく争うようになっていました。

 その頃の関東は、足利将軍家の一族の古河公方様と、将軍家から関東管領に任じられた山内上杉家そして、山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏が入り乱れて、泥沼のような争いを繰り広げていました。北条氏は、その間隙を縫って、伊豆から相模、そして武蔵へと勢力を広げていったのです。まず、相模との国境に近い江戸城を奪い取り、さらに扇谷上杉氏の居城であった河越城を攻め落として、今では武蔵国のほぼ全域を支配するようになっていました。


 天文十四年になると、それまで長い間争いを続けていた山内。扇谷の両上杉氏と古河公方が「反北条」で結びつき、まずは共通の敵を倒そうという機運が高まりました。これに対して北条方は、一族中でも最も勇将として知られる北条綱成さまを河越城主に据え、また北条宗哲さまを援軍として送り込んで、三千人の兵で守りを固めたのです。

 河越城は、周りを湿地で囲まれた高台に位置しているうえに、築城の名手と言われる太田道灌という方が縄張りをされたということで、攻めにくく守りやすい構造になっています。さらに、風魔一党が、一度に十本の矢を放つことができる「連弩」や、大きな石を相手陣に投げ入れる「投石機」などの仕掛けを設置しただけでなく、土塁の表面を滑りやすくしたり、堀の底に斜めに切った竹を立てたりして防備を固めました。


 天文十四年九月。万全の体勢で北条勢が待ち構える河越城のまわりに、山内、扇谷の両上杉と、古河公方さまの連合軍が、次々と集まりはじめました。その数は、日を追って増えていき、一ヶ月後には見渡す限りの野山を埋め尽くすほどの、八万人もの大軍にふくれあがったのでした。


×          ×          ×


「は、八万人?! いくらなんでも、それは多過ぎだろ。駿河の兵を仮に全部集めても一万人にもならないんだぞ」

 亀兄は、わたしが言った敵軍の数が信じられないようです。

「でも、本当に多かったんだから! お城の櫓の上に上って見渡しても、ずっと敵の陣屋が続いていて果てが見えないのよ」

「うむ。上杉方に古河公方様が味方したというので、おそらく関東中の土豪たちがみな従ったのだろう。小春の言う八万という数字は、あながち誇張では無いかもしれないぞ」

「そうかなあ。八万人もの大群に囲まれたら、三千人で守っている河越城なんてひとたまりも無いんじゃないのか?」

「そうだな。それで半年以上持ちこたえたのだから大したものだ。風魔の方術がどのように活躍したのか、是非聞かせてくれ」

 亀兄は、まだ半信半疑のようですが、亥兄はわたしの話を信じてくれています。

「実は……、お城を守るために作った仕掛けは、結局ほとんど使われなかったの……」

「ん? どういうことだ?」

「上杉勢は、お城を囲んだだけで、ほとんど攻めてこなかったのよ」

「え? どうして? 上杉勢は城を取り返すために攻めてきたんじゃ無いの?」

 亀兄は、戦と言えば戦って敵を倒すことしか思いつかないようですが、亥兄の方は、上杉勢の策略が分かったようです。

「そうか。兵糧攻めというヤツだな。さらに、河越城を餌にして、北条の本体が救援に来たところを一気に野戦でカタをつけてやろうと考えていたに違いない」

「六ヶ月も囲まれていたんだろ? 食べ物や飲み物は大丈夫だったのか?」

「河越は川に囲まれていて水は大丈夫なのよ。兵糧の方も、城主の綱成様があらかじめ備えていたので、半年以上は大丈夫ということだったんだけど……」

「でも、囲まれたまま、その半年が過ぎてしまった……」

「そうなのよ……。宗哲さまの献策でで城内の空き地を耕して作物を育てたり、綱成さま自らが城外へ兵を出して敵の兵糧を奪ったりしたけど、あと二三ヶ月したら食べ物が底をつくところまできてしまったの」

「で、おまえたちの風魔一党は何をしていたんだよ。戦に備えた仕掛けが役に立たなかったのなら、城にいる意味がないだろ。兵糧を食いつぶしていただけじゃないか」

「そんなことないわよ! おじさまたちは、敵情を探ったり、敵の陣地を攪乱したり、いろいろと活躍したのよ」

 わたしが亀兄に反論すると、亥兄もわたしの味方になってくれました。

「そうだ。甲斐で聞いた話では、河越夜戦では、風魔小太郎という男が率いる諜報集団が大活躍したということだった。どんなことがあったのか、詳しく聞かせてくれ」

「そうよ。敵の部隊の中に潜入して、いろいろな情報を探ったり、こちらから嘘の情報を流したりしたの。上杉勢は関東のいろいろ名所から集められているから、それぞれの部隊が独立していてバラバラなので、わりと簡単に紛れ込むことができたのよ」

「嘘の情報って、たとえばどんな?」

「そうね。お城の周りには様々な仕掛けがあって危険だとか、守っている北条勢はみな精鋭でうっかり攻めかかると大反撃を受けそうだとか。まあ、今のは全部本当のことだけど。

他には、城内にはもうほとんど食料が無いとか、すぐにも小田原からの援軍が駆けつけそうだとか、逆に援軍は来そうも無いとか……。とにかくいろいろな噂をいろいろな所でばらまいて、敵を混乱させたのよ」

「なるほど。籠城中も小田原との連絡はとれていたのか?」

「それが……、なかなか難しかったみたいなの。上杉勢はお城を囲んでいる軍勢の外側に櫓を建てたり柵を作ったりして、厳重に出入りを監視していたみたいなの。お城からは度々使者を出して状況を伝えようとしたのだけど、小田原からの返事が届かなくて……。こちらからの情報が届いているかどうかも分からなかったのよ」

「そうか、そんな中で半年間も籠城を続けたのか……」

「ええ。でも、城内の人たちは信じていたのよ。小田原の御屋形様が、我々を見捨てるはずが無い。どんなことがあっても、必ず援軍に駆けつけてくれると」

「うむ。何十倍もの大軍に囲まれながら、士気を落とさず守り抜くとは、北条綱成という城将もたいしたものだな」

「そうよ。毎日規則正しく寝起きして、交替で見張りに立ったり、戦の訓練をしたり

畑を耕したりしてたわ。お城の中にはわたし以外は男の人ばかりだから、炊事や洗濯も当番制で、手分けしてやっていたのよ」

「なるほど。で、小春は何をしていたのだ」

「わたしも一緒になって働いたわよ。風魔党が集めた情報を受け取ったり、まとめたりするのもわたしの役目よ。昨日見せた、石に小さな文字で密書を書く技もこのときに身につけたの」

 籠城生活は半年間にも渡りましたが、城兵たちにはは悲壮感はありませんでした。時々小競り合いはありましたが、敵陣からの激しい攻撃は全くありませんし、お城を包囲している敵勢の方も自分たちが大軍なのに安心しきっていているようで、戦場の緊張感が伝わってこないのです。敵兵の中には、長い滞陣生活に飽き飽きして、こっそり陣を抜け出したり、宴会をしたりする者がいるなど、軍規がゆるみきっていたようでした。

 そして、冬を越し、年が変わり、三月になって、事態は急激に動き始めるのです。

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