風魔の方術

 わたしは、小田原の北条宗哲様のお屋敷で一週間ほどお世話になった後、再び連歌師の宗牧先生の一行に加えてもらって、武蔵国の江戸というところに向かいました。

 江戸は、関東で一番大きな湊がある街です。大きな川が流れていて、内陸の武蔵、上野、下野といった、関東の国々へ物資を運ぶための要衝の地として栄えています。二十年ほど前に北条氏が上杉氏から奪い取り、相模国から武蔵国へ進出する拠点としてきました。

 宗牧先生は、江戸で三泊しただけで、すぐに奥州の白河の関へ向かうということで旅立たれましたが、わたしはそのまま江戸にとどまることにしました。北条宗哲さまの紹介で、風魔小太郎という方術士に弟子入りすることにしたのです。


 小太郎おじさまは、本当に変わったお方でした。

 歳は、いくつなのかよく分かりません。やわらかな物腰や落ち着いたしぐさからするとかなりの年配のように見えますが、足腰はしっかりしていますし、肌のつやも良いので、青年のように見えなくもありません。

 江戸の町外れにある、浅草寺という大きなお寺の裏に、大小五つの小屋を建てて、弟子たちと共に暮らしています。一番大きな建物はおじさまが普段生活している家で、わたしもここに泊めてもらっていました。あとの四つは「タタキ場」と呼ばれる作業小屋で、普通の人は近寄れないよう厳重に警備されています。小屋の中には、二十人くらいの弟子たちが交替で泊まり込んでいて、そこでは小太郎おじさまが考え出した様々な道具を作ったり試したりしていました。

 小屋にいる人たちは、ほとんどが相模国や武蔵国の豪族の子弟で、職人肌の人が多く、なかなか近づきがたい雰囲気が強かったのですが、その中で一人だけ、違う人がいました。

二曲輪猪助(にのくるわいのすけ)という変わった名前の青年です。二十年前に北条氏が上杉氏から江戸城を奪ったときに、お城のニノ曲輪というところに置き去りにされていた生まれたばかりの赤ん坊を、小太郎おじさまが預かって育てたのです。

 猪助さんはほかの弟子たちと違って、方術や工作はそれほど得意ではありませんでしたが、明るい性格で、風魔の人たちみんなから親しまれていました。わたしも、猪助さんにいろいろ教えてもらったり助けてもらったりすることで、すぐに馴染むことができました。

 風魔の弟子の人たちは年配の方が多く、まだ若い猪助さんを呼び捨てにしてみましたが、わたしは、亥兄とおなじ名前で呼びにくかったこともあって、”ニノ”と呼ばせてもらうことにしました。


×          ×          ×


 わたしが江戸での生活について話し始めると、亥兄が思い出したように口を開きました。

「ああ、風魔小太郎か……。名前は聞いたことがある。なんでも、明の国で方術を学んできたとかで、不思議な技を使うという噂だが……」

「そうだ、小春。亥之助にあのわざを見せてやれよ。不思議な玉でで火をつけるヤツ」

「だめよ。あれはお日様が出ている時じゃないとできないもの」

「そうか、それはそうだな。だいたい、あんなものを使わなくても、火打ち石があれば火はつけれるんだし、あまり役に立たないんじゃないか?」

「まあ、そうね。でも実は、水晶玉はには別の使い道があるのよ」

「ん? 火起こし以外にも使えるのか? 水が湧くとか?」

「まさか、それは無理よ。ちょっと待ってて」

 わたしは部屋の隅に置いてある葛籠のなかから、小さな箱を取り出して、亥兄に差し出しました。

「この中に小さな石が入っているの。よく見てみて」

 亥兄は箱を開けて、中から小さな石を取り出しました。亀兄も、亥兄の後ろに回ってのぞき込んでいます。

「白い石に墨で模様が描かれているようだが……」

「どれどれ。俺にも見せてくれ」

 亀兄は亥兄から石を奪い取とると、目の前に近づけて、何が書かれているのか判別しようと、一生懸命に見つめています。

「うーん。文字のようにも見えるが……、何が書いてあるかまでは分からないぞ……」

「でしょ? でもね、これがあれば……」

 わたしは、そう言って懐から例の水晶玉を取り出して、亥兄に手渡しました。

 亥兄は亀兄から石を返してもらい、水晶玉を通してその石を見てみると……

「おう、確かに文字が書かれておる! これは……、先々代の御屋形様が定めた今川仮名目録じゃないか! しかもこんな小さな石に二十一ケ条すべてが書かれている」

「え? まさか、うそだろ! 俺にも見せてくれ」

 亀兄も水晶玉を手にとって石をのぞき込みました。

「すげぇ。ほんとだ! こんな小さな文字どうやって書くんだよ?」

「それは、もちろんこの水晶玉を通して見ながら、穂先の細い筆で書いたのよ」

「なるほど。これは仲間どうしでの密書のやりとりに使えるな。水晶玉が無いと書くことも読むこともできないわけだ」

「へぇ~。フウバの方術、なかなかやるじゃないか。他にも何か見せてくれよ」

「亀兄……、フウバじゃなくて、風魔、よ」

 わたしは、物覚えの悪い亀兄にためいきをつきながら、もう一度葛籠の所に行き、今度は手桶ほどの大きさの箱を取り出しました。一つの面に三寸ほどの円形の穴が開いている以外は、革張りになっています。

「どれどれ、今度は俺が先に取り出すぞ」

 亀兄はさっそくわたしから箱を取り上げると、穴に手を突っ込んで中を探りましたが、もちろん何も入っていません。

「ん? 何もないぞ。空箱じゃないか」

「そうよ。これはこうやって使うの。見てて」


 夕方になって、だいぶ暗くなってきていたので、先ほど点けた灯し油の火がゆらゆらと揺れています。

 わたしは箱を返してもらうと、火から五間ほど離れたところで立ち止まり、穴を前に向けた状態で体の前に置いて構えました。

 一瞬息を止め、気合を込めて、”トン”と箱の両側を強く叩くと、少し遅れて灯の火が揺れ、部屋の中は突然夕闇に包まれました。

「んん? なんだ、何が起きた?」

 亥兄も亀兄も明かりのすぐそばにいたのですが、何も感じていないようです。箱から風がまっすぐ灯火の方だけに伝わったのです。

「うーん、何が何だかわからんぞ。その箱を今度は俺たちの方に向けて叩いてみてくれ」

 わたしは亀兄に言われたとおり、箱を兄たちの方に向けてもう一度叩きました。

「おう!」

 箱から飛び出していった風が届くと、亀兄が手を顔の前にかざして声を上げました。

 すぐ隣にいた亥兄の顔にも風が届いたようで、「ほう」と小さくつぶやいています。

「なるほど、狙った方向だけに風を送ることができるわけか。これがあれば、隣の部屋から気づかれることなく灯火の火を消すことができそうだが……」

「でしょ。叩くときの音をもっと小さくしないと気づかれちゃうし、まだまだ工夫が必要なんだけど……。これが風魔の方術の、『風送りの手箱』という技よ」 

「すごいじゃないか、小春! 確か、フウバの技は七つあるって行っていたよな。残りの五つもできるのか?」

「亀兄、違うよ。小太郎おじさまの技は本当は何百種類もあるけど、三年間でなんとかわたしが身につけられたのが七つだけなのよ……」

 亀兄は、わたしにできるあと五つの技も見せろと迫りますが、他の技は準備が必要だったり、修行不足で上手にできなかったりして今すぐには使えないので、もう少し待ってもらうことにしました。

 亥兄は、風魔のおじさまについて興味があるようで、いろいろと聞いてきます。

「その、風魔小太郎がは明国に渡って方術を覚えたというのは、本当なのか?」

「さあ、そういう話は聞いていないけど……。でも、お弟子さんの中に明国人のような人がいたから、もしかしたらそうなのかもしれないわ」

「なるほど、方術を駆使するという風魔小太郎は恐ろしい男だな。このところ北条が飛躍的に勢力を強めているのも、この男の働きに寄るところが大きいかもしれぬな」

「そうね。あの河越城の戦いでも、風魔のおじさまの弟子たちの活躍で勝ったようなものだもの」

「そうか。一万数千の北条軍が八万を超える上杉軍を破ったと陰では、風魔一党が暗躍していたのか……」

 亥兄はしきりと感心して、河越での戦の様子を聞きたがりましたが、もうすっかり日が暮れてしまいましたので、晩ご飯の後で、父上も一緒の時に話すことになりました。

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