浅間神社の初詣

 駿府の街を東西に走る街道を右に曲がり、今川館を囲むお堀に沿って北へ進むと、浅間神社の大鳥居が見えてきました。

 浅間神社は、富士山をご神体としている神社です。本宮は富士の裾野にありますが、この駿府の街の中にある別宮は「お浅間さま」とよばれいて街の人たちから親しまれています。私たちも駿府で暮らしていた頃は、毎年お正月に、兄妹そろって初詣に出かけていました。

 

 元日の午後だけあって、神社の境内は、商売繁盛、家内安全、一族繁栄などを願って訪れた商人や武士たちで賑わっています。

 一番鳥居をくぐったところで、人混みの中に、見知った顔を見つけたので亀兄に話しかけました。

「あ、見て、あのお方、関口親永さまの奥方よ。ほら、娘さんも一緒みたい」

「ん? おう、本当だ。あの娘は瀬名姫だな。三年見なかっただけで、ものすごく女っぽくなってるぞ」

 瀬名姫は、十歳になるかならないかの歳のはずですが、きれいにお化粧して晴れ着を着ているので、まるでお年頃の娘さんのように見えます。

 亀兄が私の方をちらっと見て、比べるようなしぐさをしましたが、無視することにしました。

「確か関口様の奥方さまは、井伊家からお嫁に来たのよね」

「あ、そうだった。え? 井伊家は謹慎しているはずじゃないのか? そもそも俺たち岡部家がお取りつぶしになったのは、井伊家のせいじゃないか。俺たちが離ればなれになってずっと苦労してきたのに、張本人の井伊の娘が、なんで堂々と駿府の街を歩いていられるんだ!」

「そうよね……。でも関口様は今川家のご親戚筋にあたるから、厳しいお咎めは無かったんじゃ無いかしら。きっと、もうお許しがでているのね」

「いやいや、それは無いだろ。だとしたら、俺たちが苦労してきた三年間はなんなんだよ!」

 亀兄が文句を言いたくなるのも無理はありません。

 三年前の『あの事件』は、もともと井伊家に原因があったのですから。


 井伊家は、駿河国の隣国である遠江国の井伊谷というところを本拠地としている豪族です。南北朝の時代には、岡部家と同じ南朝方として戦ったことで、古くから交流がありました。

 今川氏が駿河国の守護となったとき、岡部家すぐに今川氏の家臣団に組み込まれましたが、遠江国の井伊家は井伊谷で独立した勢力を保っていました。御屋形様の父君に当たる氏親さまの代に、今川が遠江に侵攻した時、井伊家は今川氏に従属することを決め、以後は岡部家の「寄子」となって今川に仕えていたのでした。

 しかし、今から三年前の天文十三年に、井伊家の当主の弟である井伊直満様と直義様に謀反の疑いがかけられてしまったのです。 


「そもそも、井伊の人たちは、本当に謀反をたくらんでいたのかしら」

「そりゃ、きっと何かはあったんだろうさ。なにせ駿府に呼び出されたお二人は、御屋形様の命令ですぐに死罪になってしまったんだぞ」

「でも、ご当主の井伊直盛さまには、お咎めは無かったんでしょ?」

「そうだよ。そこがおかしなところなんだ。寄親であった岡部家が取り潰しになっているのに、実際に謀反の疑いがあった井伊家がそのままなんて、おかしくないか?」

 私たちは、岡部家が取りつぶしと決まったときに、井伊家はそれ以上の罰を受けたのだと思っていたのですが、実際には「首謀者」の二人が誅殺されただけで、お家は存続されていたのです。

「やっぱり、岡部家は久綱兄が余計なことを言ってしまったのがまずかったんだよな……」

「そうかもしれないわね……」

 

 岡部久綱さまというのは、岡部家の嫡男で、私たちの兄にあたります。

 私と亀兄、亥兄の三兄妹は正妻のお方様の子ではなく、庶子としてお城から離れたそれぞれの実家で育ちましたが、正妻の子の久綱兄さまは跡継ぎとして岡部家のお屋敷で育ちました。

子供の頃にはほとんどお会いしたことは無かったのですが、久綱兄さまは幼い時から学問が好きで、奥深い知識をお持ちと聞いています。父上の親綱さまは、まだお体は元気なのですが、戦で足を痛めてしまったこともあり、早くからまだ若い久綱兄さまに家督をお譲りになられていました。


 その久綱兄さまですが、確かに博識で色々な事をご存じなのですが、少しそれを鼻にかけて、自慢したり相手を見下したりするところがあるんです。私や亀兄のように、明らかに自分より劣る相手には、親切に色々なことを教えてくれるのですが、亥兄にたいしては、常に対抗心を燃やしていました。亥兄が少しでも間違えたり、知らなかったりすることがあると、鬼の首でも取ったように勝ち誇り、自分の優位性を誇示するのです。

 亥兄の方は、というと、私が、

「ほんとは亥兄の方が、いろいろな事を知っているのに」

と言っても、

「いやいや、久綱さまは実に、いろいろな事をご存じだから」

と言って遜るばかりで、全然気にしません。

 久綱兄さまは、亥兄よりも二歳年上ですし、岡部家の当主なのですから、もっと広い心をお持ちになれば良いのに、これではどちらが年上なのか分かりません。

 亥兄は、知識が豊かなだけでなく体や力も強いので、今川の御屋形様に気に入られました。御屋形様のお名前の「義元」から一字をいただいて「岡部元綱」と名乗ることを許されているくらいですので、久綱兄さまが対抗心を燃やしたがるのも無理は無いのかも知れません。


 久綱兄さまは、豊富な知識を活かして、今川家の重臣としてご活躍なさっていましたが、他のご家来衆とはあまり仲良くなかったようです。政策や仕置きなどで意見が分かれたときに、相手が年長だろうと容赦なく論破して自分の考えを認めさせてしまうことがしばしばあったのが原因かもしれません。

 中でも、岡部郷と領地が接している朝比奈親徳さまとは特に仲が悪かったみたいです。朝比奈様は領地の境界を巡る争いです久綱兄さまに言い負かされたことを、ずっと根に持っているようでした。


 井伊直満さまに「謀反」の疑いが持たれたとき、久綱さまは様々な根拠を挙げて

「井伊家が謀反など考えるはずが無い」と主張したので、はじめは、御屋形様を始めほとんどの方々も、「確かにその通りかもしれない」

と言っていたのですが、朝比奈親徳さまが、井伊直満さまから武田家や北条家にあてた密書を見つけ出し、「動かぬ証拠」として提出されたのです。

 これによって井伊家の謀反は確定してしまい、井伊直満さま、直義さまの兄妹はすぐに斬首となりました。井伊家をかばった岡部家にもお咎めが及び、久綱さまと父上の親綱さまは出家して謹慎、岡部家は取り潰しとなり、岡部郷は朝比奈さまのお預かりとなったのです。


 私と亥兄、亀兄の三兄妹には、「しばらく駿府を離れるように」とのご沙汰があっただけで、特に何のおとがめもありませんでしたが、お父上の命令で、それぞれ、関東の北条氏、甲斐の武田氏、伊勢の小浜市のところへ修行の旅に出ることになったのでした。

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