駿府のお正月

 天文十七年の年が明けて、私は十九歳になりました。

 私たち兄妹は元旦に集まることになっていたのですが、亥兄の到着が遅れるというので、亥兄を待つ間、私と亀兄の二人は駿府の街に出かけて正月気分を味わうことにしました。


 私たちが今いる駿府は、東海の小京都と呼ばれているそうです。

 足利将軍家の一族であり、駿河と遠江の二国を領する守護大名の今川氏の拠点として、京の都を模した街作りがされたと聞いています。東西に走る街道を中心として商家が立ち並び、北側には今川館をはじめとする武家屋敷。南側には大小様々な寺院や、職人たちが暮らす家々が並んでいます。

 私は、京の都には行ったことが無いけど、駿府のお正月は都にも負けないほどの華やかさだと思っています。街道に面した商家では、軒先には注連飾りが吊されていますし、武家屋敷の門には大きな松飾りが置かれてます。道を行き交う人々も、普段より着飾っていておめかしをしているようです。

「やっぱり駿府の街が一番よね」

 私が言うと、亀兄は腕を組んで少し考えてから反論してきました。

「そうかなぁ。俺は小浜さまの船で荷運びを手伝いながら、色々なところへ行ったからな……。やっぱり京の都の方がすごいんじゃないかなぁ」

「え? 亀兄は都に行ったことがあるの?」

「いや、俺が行ったのは、都の手前にある伏見という所だけだが、そこでも結構な賑わいだったぞ」

「へえ、そうなんだ。宗牧先生から聞いたお話では、都は度重なる戦のせいで荒れ果ててしまっていて、焼け出された町人や、近くの村から逃げてきたお百姓さんたちが通りにたむろして、物乞いをしていると言っていたわよ。もう昔の都の華やかさは無くなってしまっているって……」

 私が一緒に旅をした連歌師の宗牧先生は、もともと都に住んでいたのだから、亀兄の聞きかじりの情報よりはずっと確かなはずです。

「そうなのか? そういえば伏見にも物乞いをする人はたくさんいたが……。都は戦で焼けてしまったかも知らないが、他にも堺とか博多とか、賑やかな街はたくさんあるというぞ。俺は行ったことが無いが……」

 どうも、亀兄の言うことはあまりあてになりません。最後の方は声が小さくなっていましたし。


 私たちは街道から少し離れ、駿府の中心にある今川館の裏手の方に回っていきました。

「ねえ、亀兄。雲を読むことができるって言ってたよね。今日の、この空を見て明日の天気が分かるの?」

「うむ。だが、駿府は久しぶりなので、急に言われてもなぁ……」

 亀兄は、自信なさげに空を見上げています。本当に天気なんて読めるのかしら?

「お、富士山の上に笠がかかっているぞ。風は……、うん。北東からか。南の空には黒い雲も見える。と、言うことは……」

 亀兄はぶつぶつつぶやきながら、懐から冊子を取り出して、いろいろ調べ始めました。

「うん。明日の昼頃からは、海は大荒れになりそうだな。冷たい風も吹いているし、これは大雪になるかもしれないぞ」

「え、雪? 駿府に雪が降るの?」

 私は十年以上この駿河国で暮らしていましたが、雪が積もったことは一度もありません。関東に行っていた三年間は、毎年冬になると何度か雪が積もりましたが…

「いや、駿府には積もらないだろう。降ってもチラホラといったとこかな。駿河国は北に山があるので、山が雪雲を防いでくれるんだ」

「ふうん。そうなんだ…。あ、でも甲斐は山の向こうだから雪が降るの?」

「そうだな。甲斐は大雪になるかもしれない」

「えー。亥兄は、いま甲斐から駿河に向かっているとこなんでしょ。大丈夫かな?」

「そうか。雪になる前に峠を越えられれば良いが……。ま、兄貴なら大丈夫だろう」

 亀兄は、どんな状況でも楽々と乗り越えてしまう亥兄のことを絶対的に信頼しているので、全然心配してないみたいです。私も亥兄を信頼はしてるけど、それでも少し心配です。ま、亀兄の雲読みが外れてくれれば、問題は無いんだけど……。


「ところで小春。おまえも技を身につけたということだが、どんな技なんだ?」

 亀兄は、やっと私のことにも興味を示してくれはじめたようです。

「うん、江戸というところに、風魔小太郎っていう変なおじさんがいてね。その人にいろんな技を教わったよ」

「いろんなって何だよ。見せてみろよ」

「うーん、技を使うにはいろいろ準備がいるの。道具はお寺に置いてきちゃったし……」

「道具がいるのか? おまえ道具なんて持ってたか?」

「亀兄、私のことなんか全然見てないのね。大きな葛籠、背負ってたでしょ!」

「あ、あれか!」

 三島神社の頒暦商人を装ったのは、葛籠を背負うのを怪しまれないためでもありました。葛籠の中は風魔のおじさまから伝授された秘密道具が隠してあったんです。

「うん。そうね。今すぐ見せられるのはこれくらいかな……」

 私は、袂からいつも持ち歩いている「水晶玉」を取り出しました。玉とはいっても球形をしているのでは無く、少し細長い形に磨いてあります。道ばたにしゃがみ込んで、地面に小さな器を置き、その中に麻縄をほぐして入れてから、水晶玉をお日様と紙の間に来るようにかざしました。

「ん? なんだ? 占いか?」

 亀兄は私のすることを不思議そうに見ていましたが、やがて地面に置いた紙から煙が立ちはじめ、ボッと火がついたのを見て目を丸くして驚きました。

「おおっ。火がついたではないか! それは、その水晶玉の力か!」

「どう? これがあれば火打ち石を使わなくても、お日様さえ出ていればどこでも火をつけれるのよ。風魔のおじさまに教えてもらった七つの方術のうちの一つ『陽寄せの勾玉』の技よ」

「すごいな。おまえ、昔から物作りとか細工とか得意だったからなぁ。他にはどんな術ができるんだ?」

「今見せられるのはこれだけよ。他のは、またそのうちにやってあげるわ」

 風魔のおじさまに教えてもらった七つの方術は、一応全部使えるようにはなってるけど、まだまだ訓練しなくてはいけないものもあるし、私なりの工夫が必要なものもあるので、今すぐには見せられないものが多いのです。

「そうか。その風魔っていうのは何者なんだ?」

「うん、風魔小太郎という名前のおじさまよ。北条宗哲さまのご家来、というよりお友達といった感じなんだけど、不思議な技をいくつも使って、戦の時に敵の様子を探ったり軍勢を攪乱したりしてお助けしているお方なの」

「ふうん。忍びの者なのか? 伊勢の国の隣にある伊賀というところには、忍術という技を使う者たちが大勢いると聞いたことがあるが」

「うーん。そうなのかなぁ……。忍びというよりも、いろいろな技を派手に使って、目立つことで相手を攪乱している感じだけど……」

 風魔のおじさまは、いったい何者だったのか。私にもよく分からないのです。


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