小春の関東への旅
「さて、小春」
父上は、今度は私の方へ向き直って声をかけてきました。
「おまえには、一番大変なところに行ってもらったが、よく頑張ったな」
「はい」
そうなんです。
亀兄が三年間過ごしてた伊勢の小浜氏は昔から今川とつながりがあって友好的ですし、亥兄が行った甲斐の武田氏も今川と同盟を結んでいるのですが、私が行っていた相模の北条氏は、今川とは今まさに戦っている敵同士なのです。
私は、三年前に父上に命じられて、関東へ旅立った日のことを思い返しました。
× × ×
三年前の『あの事件』の後、私は連歌師の
宗牧先生が生業としている「連歌」というのは、短歌を五七五の発句と後七七の脇句に分けて、数人で交替で詠みすすめていく、文人たちの遊びです。もともとは京のお公家さまの間で始まったものだそうですが、最近では京から有名な連歌師を招いて連歌興業を開くことが地方の大名や武将たちの間で流行ってるのです。
宗牧先生は、当代一の連歌師と呼ばれているお方です。連歌師は、どの大名からも文人として尊敬されていたので、大名間の争いに関係なく、どんな場所にも行くことができました。私が、今川と争いを繰り返している北条氏の所へ行くことができたのは、宗牧先生と一緒の旅だったからなのです。
駿東の紛争地帯を通り抜け、箱根峠を越えて相模国に入ったところで、伊豆の温泉に寄ってから小田原へ向かうという先生たちと分かれて、私は一人で小田原の街に入りました。
小田原は、伊豆から相模、そして武蔵国まで勢力を伸ばしつつあった北条氏が拠点としている街です。北条氏は、今川だけでなく関東地方のいろいろな所と戦いをしていますので、そんな人たちが住んでいるところはさぞかし荒々しいだろうと思っていたのですが、実際に行ってみると小田原の街は静かで、落ち着いていました。駿府ほどの華やかさはありませんが、人々は活気に満ちていて、日々の生活を安心して送っているようでした。
--相模国は駿河よりも年貢が安いと聞いていたけど、やっぱりほんとなのかしら--
相模国や北条一族の様子を探ることが、私の目的の一つでした。
北条宗哲さまのお屋敷は、小田原のお城のすぐ隣にありました。
宗哲さまは、現在の北条氏の御屋形様である北条氏康さまの叔父に当たるお方です。幼い頃に仏門に入られ、箱根権現の別当職をつとめておられましたが、初代北条早雲様、二代目北条氏綱様とお亡くなりになった後、三代目の氏康さまが若くして当主になられたときに、これを支えるために小田原へお戻りになったそうです。宗哲様は茶の湯や連歌などの文芸にも優れておられました。連歌師の宗牧先生が相模に来ようと思われたのも、古くからのなじみの宗哲さまにお会いするためでした。
「小春どのと言ったかな。遠路はるばる大変であった。お疲れであろう」
宗哲さまは、ちょうと父上と同じ歳くらいのようです。落ち着いた雰囲気のお方で、優しく声をかけてくれました。
「はい。連歌師宗牧の弟子の小春と申します」
「うむうむ、聞いておるぞ。そなた岡部の娘じゃな。父親は親綱か?」
「父をご存じなのですか?」
素性を隠し通すつもりは無かったのですが、最初からばれているとは思いませんでした。「うむ。若い頃に会ったことがあるぞ。あの頃は、今川と北条は仲が良く、味方同士であった。そなた、顔はあまり父親に似ておらぬな」
宗哲さまは、私の顔をまじまじとご覧になりながら、昔のことを思い出しているようです。
「先々代の今川の当主の氏親どのが北条方へ援軍を送った時に、親綱どのも参陣されておってな。たまたま、二人とも生蓮社天誉存公上人というお方に教えを受けていたことが分かって意気投合したのじゃよ」
「そうでしたか。父からは聞かされておりませんでした」
「ふむ、その後、今川と北条で争いが起きてまったので、あれ以来一度もお会いできていないが、お父上は息災かな?」
「はい。ですが、実は……」
私は、岡部家が『あの事件』で取りつぶしになってしまい、父上は出家して蟄居謹慎。一族は散り散りばらばらになってしまったことを話しました。
「なるほど、そんな事があったのか。それで、そなたをわしの所に送ってきたのじゃな。親綱どのは、転んでもタダでは起きないお方じゃ。さしずめ北条の様子を探れとでも命じられたのか?」
「あ、いえ、決してそういうわけでは……」
「ははは、よいよい。なんでも教えてやるぞ。そもそも、今川と北条は戦うべきでは無いのじゃ。今はお互いに引くに引けなくなって泥沼にはまっておるが、いつかは仲直りをする必要がある。お主の父上も、それを見越しておられるのだろう」
どうやら、私の思いの及ばぬ所で、いろいろな思惑が渦巻いているようです。
私は、しばらく小田原の宗哲さまのお屋敷に置いてもらえることになりました。
体を休めるために温泉に行っていた宗牧先生は、10日ほど遅れて小田原にお着きになりました。先生は、小田原で宗哲さまとの旧交を暖められ、多くの方々を集めた連歌の会を催されましたが、小田原に長居すること無く、今度は江戸というところに向かうということで旅立つことになりました。私はもう少し小田原に留まって、宗哲さまからいろいろなお話しを聞きたかったのですが、江戸は北条氏の武蔵攻略の拠点となっている所で、交通の便も良く、古くから文人たちが集まる重要な土地だということで、宗哲さまからも「行ってみた方が良い」と言われたので、私も先生について行くことにしたのでした。
× × ×
私は小田原へ向かったときのことをいろいろ思い出していましたが、父上が私に尋ねたのはただ一つでした。
「おまえの目でみた北条は、どうであったか?」
「はい……」
私は、関東で出会った北条一族の皆様、--宗哲さま、綱成さま、そしてご当主の氏康さまたち--を思い浮かべながら、言葉を選びつつ答えました。
「北条の一族の方々は、素晴らしい方ばかりです。戦に強いだけで無く、文人としても一流ですし、何よりも兵士たちを思う心、そして領国の民を思う心が素晴らしいです」
「ほう、小春はえらく北条びいきになったのう」
父上は、まるで私が言うことを予期していたかのように、うれしそうにそう言いました。
「はい。北条氏の初代の早雲さまは、もともと今川家の家臣から伊豆に攻め入って大名になられたというではありませんか。北条は敵では無く味方にするべきです。小さな領土の取り合いで意地をはりあっていては、お互いに損をするだけです」
「そうか、よく分かった。ご苦労であったな。積もる話はまた日を改めて聞くことにしよう。二人とも、今日はもう休め」
父上はそう言うと、私たちを庫裏の方に案内してくれました。
私と亀兄は、あてがわれた一室で、久しぶりに兄妹水入らずで床につきました。
駿府の街の、大晦日の晩は静かに更けていきました。
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