【後編】




「昨夜、パトリシア嬢を目撃された方はいらっしゃいますか?」


 パトリシアお嬢さんのご遺体に真っ白なシーツを被せて、写楽先生はそう尋ねた。

 首吊りの縄がぶら下がる樫の木の下で、両親であるオーヴェンヌ夫妻に執事、メイドたちが困惑した表情で昨夜の記憶を掘り起こしていた。エドガーの野郎がいるのだけは、とても業腹である。


「昨夜は、私と家内は知人の宴に呼ばれていた。パットとは出かける直前、夕方5時前にあの子の見送りを受けてから……会って、いない」

「まさか、あれが最後になるなんて……」

「帰宅したのは日付が変わった後だ。パットも寝てしまったと思って、顔を見ていなかった」

「お嬢様は昨夜、気分が優れないとおっしゃっていましたわ」

「ええ。お食事もお部屋でいただくと言っておられて、運びました。けれど、全然お食べになられていませんでしたわ」

「昨夜の8時頃、お嬢様へ薬湯をお持ちしました。医師を呼ぼうかとお声をかけましたが、必要ないとおっしゃられまして、そのまま退室いたしました」

「それから、パット見たのか?」

「いえ、それが私もそれが最後に……」

「どうしてパットを1人にした! お前がきちんと目を光らせておけば、パットはこんな目に合わなかったんだぞ!!」

「も、申し訳ございません! 旦那様!」


 オーヴェンヌ氏が執事を怒鳴りつけた。小柄で初老の執事は頭を深く下げたまま肩が震えている。

 見送りを受けた両親。食事を運んだメイドたち。薬湯を運んだ執事。

 気分の優れないパトリシアお嬢さんは、何かに思い悩んでいたかもしれない。思いつめて自殺……とも考えられるが、実際は誰かに首を絞められて殺されたのだ。


「お話を聞くに、パトリシア嬢が最後に目撃されたのは昨夜の午後8時頃ですか……失礼、この真珠のピアスは、ご両親がパトリシア嬢に?」

「いいえ。これは、婚約者であるフェルナンデス様からの贈り物です。フェルナンデス様は左耳、娘には右耳にと、一対のピアスをお互いで分け合ったと言っていました」

「珍しいですね。内陸のこの都市で海の宝石とは」


 写楽先生は黒い手袋を嵌めた手でシーツをめくり、パトリシアお嬢さんのご遺体を再び検めた。

 右耳だけの真珠のピアスのみならず、ご遺体の隅から隅まで注意深く観察していると、綺麗に伸びた栗毛の髪で目が止まった。よく見れば、毛先に黄色い粉のような物が付着している。


「アラン君、ボルドー親方を呼んできていただけないでしょうか? 親方に尋ねたいことがあります。あと、ミス・カメリアも。彼女の鼻にもご協力をいただきたい」

「はい! 分かりました!」


 写楽先生は謎の黄色い粉を紙に取り、大切に紙袋に入れながらボクに指示を出してくれた。

 ボルドー親方はアルファで手広く商売をやっているオークである。写楽先生の事務所である建物も、親方の紹介ということで破格の家賃でお借りしている。

 アルファに来てからというもの、ボクたちはボルドー親方には非常にお世話になっていた。野蛮な奴が多いオークであるが、親方は荒っぽいが気持ちの良い性格なのでボクは好ましく思っている。

 ミス・カメリアは獣人の踊り子、カメリア・ルー・ガルーだ。狼の獣人である彼女とケット・シーのボクはあまり相性が良くないが、彼女は狼だけあってとても嗅覚が良い。

 恐らく写楽先生は、黄色い粉の臭いを彼女に嗅いでもらうつもりだ。今までも、彼女の嗅覚のお陰で犯人にたどり着いた事件があった。

 ボクは急いで2人を呼びに走る。商会の倉庫で荷解きをしていたボルドー親方に事情を説明してこちらに来てもらい、宿で寝ていたミス・カメリアを引っ張り起こした。


「よう、写楽。オレに訊きたいこととは何だ?」

「おはようございます親方。朝早くからありがとうございます」


 筋骨隆々の巨躯を見上げる写楽先生は、パトリシアお嬢さんの右耳の真珠のピアスを親方に見せた。


「婚約者のフェルナンデス氏から贈り物だそうですが、これを手配したのは親方ではありませんか?」

「確かに、領主様の坊ちゃんに頼まれてこいつを仕入れた。何故分かった?」

「この都市で、オーヴェンヌ家以外に真珠が取れる南海沿岸部と商売をしているのは親方だけです。で、このピアス、見事な純白の真円ですが小粒すぎる。オマケに、切れてはいますが金のピンが真珠から突き出ています。本当は、真珠が連なったデザインだったのでは?」

「ああ、大小二つの真珠が連なったピアスだ。デカい方の真珠がねぇな」

「ありがとうございます、親方。ピアスのデザインを確認していただきたかったのです」

「可哀そうに、うちの一番上の娘と変わらねぇ歳だ……」

「パトリシア嬢は16歳です。ご長女の半分以下ですよ」

「そうか。ヒューマンの年齢は分かり辛ぇな。どちらにしろ、幼いのに呆気なく殺されてしまうとは」


 ボルドー親方の話が正確ならば、真珠が一個消えている。犯人に殺害された際に落としてしまったのだろうか?


「おはようございます、ミス・カメリア。起床早々ですが、ご協力していただきたいことがございまして」

「また、何か変なモンの臭いを嗅げってか?」

「ええ、こちらの袋の中身です」

「報酬は?」

「朝食をご馳走します」

「もう一声」

「昼食も」

「……」

「……分かりました。今夜の飲み代も!」

「交渉成立ね! ほら、さっさとモノをよこしな」


 ミス・カメリアは毎回、捜査協力への報酬として色々要求してくるため、狼なのにボクたち猫よりもちゃっかりしている。ご飯を奢ってご馳走すれば犬歯を見せて喜ぶのだ。

 ミス・カメリアはフサフサの尻尾を揺らしながら高い鼻を紙袋に突っ込むと、瞬時に合点がいったような表情をしてオーヴェンヌ家のお屋敷へ視線を向けた。視線の先には裏庭の花畑がある。


「あの花の臭いがする。この粉は花粉だね」

「花粉、ですか」

「あの花はソレイアです」


 ソレイアは薄紅色の花弁に黄色い花粉、お日様に似た香りがする園芸用の花である。夜は花弁を閉じ、朝の日差しを受けて花が開くことから別名:陽光草とも呼ばれている。

 ソレイアの花粉がパトリシアお嬢さんの髪に付着していた。彼女は花畑の手入れをよくしていたので、特段おかしなことでもないような気がするけれど。


「エドガー君、お手伝いしていただいてもよろしいでしょうか?」

「写楽先生! どうしてエドガーの野郎に手伝いを!? ボクという助手がありながら!」

「ちょっと、猫の手じゃ不足するんですよね。パトリシア嬢のご遺体を再び検めたい。なので、外野から彼女が見えぬようにシーツを広げて目隠しをしていただけないでしょうか?」

「……確かに、猫には荷が重いだろうな。そのような些事」


 腹の立つ発言をしたエドガーの野郎が杖を振ると、パトリシアお嬢さんの周りにふわりと白いヴェールが出現した。目隠しの魔術だ。あの野郎が使ったのだ。

 猫の手を舐めるなよ。猫パンチも撃てるし、肉球を敵に押し付ければイチコロなんだぞ!


「アラン君、死後硬直のページを開いてください」

「はっ、はい!」

「遺体が石化をかけられたように硬くなっていたが、魔術の気配も呪いの気配もない。これは犯人がやったことか」

「いいえ。死後硬直と言って、遺体は徐々に筋肉が硬直し動かなくなります。外的要因で変化もしますが、時間の経過によって硬直の進行が変わりますので、死亡推定時刻を割り出す要素になります」


『図解で分かる推理小説用語事典』を取り出し、『シゴコウチョク』のページを開く。

 目隠しのヴェールの中で写楽先生はパトリシアお嬢さんの腕を動かしてみると、石化したように硬くなっていて動かない。靴を脱がせて足の指に触れてみると、こちらもカチカチになっていた。


「硬直は全身、足の指にまで及んでいる。おおよそ死後12時間以上経っています」

「本に書かれている内容と同じですね。今は朝の8時半過ぎ、パトリシアお嬢さんが最後に目撃されたのは昨日の夜8時頃。おかしいところはありません」

「……失礼」


 写楽先生は何かを考え込んだ後、パトリシアお嬢さんのご遺体をひっくり返した。背中のファスナーを下ろして薄い下着をめくりあげると、パトリシアお嬢さんの背中は腫れたような赤紫に変色していたのだ。


「何だこれは。背中が……暴行の痕か」

「違います……そうですか」


 写楽先生は背中に触れると悟ったように顔を俯いた。分厚い眼鏡で表情を窺うことはできないが、ボクには分かる。

 写楽先生は、犯人が分かったのだ。


「犯人が分かりました。さっさととっとと終わらせてしまいましょう。はい、貴方でしょう。犯人」


 そう言うと、写楽先生は執事の肩にポンと手を乗せた。

 犯人と名指しされた執事は、墓場から這い出てきた屍人グールを目撃したかのような、恐ろしい形相で驚いていた。


「ど、どうして私がお嬢様を?!」

「動機は後に、置いておいて。そもそも、昨夜8時頃にパトリシア嬢を目撃した証言は嘘ですね。その時刻、パトリシア嬢は既に貴方に殺害されていたのですから」

「な、何を言っているのですか。失礼な! 証拠はあるんですか!」

「はい。パトリシア嬢が教えてくれました」

「え」

「死体はもの言わぬ被害者ですが、実に雄弁に犯人を語る目撃者でもあります……と、言うのは、物の本に書かれていたフレーズです。彼女の背中には死斑が出ています」

「ええと……シハン、シハン、あった!『死斑』とは、死後に死体の表面に浮き出る痣のことです。死ぬと血液が循環しなくなり、体内に沈下して皮膚に痣のような斑点が出てきます」

「アラン君、どうもありがとう。死斑は重力に従って表れます。彼女のご遺体には、背面に死斑が現れています。これは、死後にで放置されていたことになります。そして、死斑は指圧により褪色します。死後15時間以下ならば」


 写楽先生は再びパトリシア嬢の背中に触れ、力を込めて肌を押すと赤紫は赤紫のままだった。

 ボクは急いで本の『シハン』のページを読む。死斑は、指圧されれば褪色するが、死後15時間以上が経過するとそのままになる。と、しっかり書かれて。

 現在の時刻から15時間前となると、午後5時。つまり、パトリシア嬢はご両親を見送った直後に殺害されたのだ!


「午後5時以降、パトリシア嬢にお会いになりましたか? そもそも、気分が優れないというのは彼女自身からお聞きになったのですか?」

「いいえ。執事から聞きました」

「そういえば、お嬢様のお顔を見た訳ではありません!」

「昨日の午後5時、ご両親を見送ったパトリシア嬢は直後に殺害された。汚れたから衣服を着替えさせたのでしょう。ヒューマンは絞殺されると体内の体液が流れ出ますから。殺害の後、ベッドの上にも寝かせて放置しておき、本日の早朝に裏庭からここまで運んで首吊り自殺に見せかけた。硬直したご遺体は運ぶのに苦労したでしょう。その際に、髪にソレイアに接触して花粉が付着したのでしょうね。朝に開くあの花の花粉が付着していた、イコール花が開いた時刻にご遺体は移動したのです」

「しかし、遺体には脂の刻印が付着していないぞ!」

「逆に、それが証拠です。突発的な犯行の臭いがするこの事件で指紋が見付からないということは、犯人は指紋が付着することがなかったということです」


 この場の全員の目が執事に向く。確かに、両手に白い手袋をしていた。

 奴は顔を真っ青にしてブルブルと震え出し、皺の付いた執事服をギュっと握りしめた。


「ところで、その執事服は随分と皺が寄っていますね。お忙しかったのでしょうか、昨日のまま着替えていないようですね……証拠の一つや二つ、例えば、ピアスの真珠とか付着していませんか?」

「っ!」


 写楽先生に追い詰められて、執事は跳ねるようにその場から逃げ出した。が、すぐにボルドー親方に首根っこを掴まれて捕獲された。行動が自白をしているようなものである。

 ボルドー親方がそのままゆさゆさと執事の身体を揺らせば、襟の箇所から光る小さな真珠がポロリと落ちてきた。中心に穴の開いたそれは、パトリシアお嬢さんの耳の真珠よりも二回り大きい。犯行の際にピアスから千切れて落ちた物だった。


「お前……! どうして、どうしてパット!?」

「お、お嬢様が、婚約を破棄したいと……もっと魔術の勉強がしたいと、学校に進学したいと言い出したから。また、私のせいにされると……私が見張っていなかったからって、責められると……!」

「この、大馬鹿者が!!」


 殺害の動機は非常に身勝手なものだった。パトリシアお嬢さんに婚約の破棄と進学の相談をされて、突発的にカーテンの留め紐で首を絞めてしまい、気付いたら殺していたそうだ。

 パトリシアお嬢さん、可哀そうに。聡明な貴女だったから、ただ結婚で終わる人生ではなく別の道も歩いてみたくなったのですね。


「さあ、エドガー! さっさととっとと犯人を連行しろ! 極刑に処すんだ!」

「言われなくともそうする。写楽、ひとまず礼を言う」

「はい、どういたしまして」

「……変人行動もほどほどにしておけ」

「あ、バレました? “探偵”は変人が多いので、変人を装ってはいますが……私、本来は真面目な性格なので、変人になり切れないんですよ」


 ケラケラと笑う写楽先生を目にしたエドガーは、一瞬真顔になったがすぐに振り返って執事を連行していった。

 さて、ボクたちはこれからミス・カメリアに朝食をご馳走しなければならない、勿論、オーヴェンヌ氏から謝礼をもらってからだ。

 そうそう、一番の目的であった事務所のお家賃も払わないと。




END

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異世界探偵写楽先生の事件帖 中村 繚 @gomasuke100

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