(1)

 断ち切られた糸と共に、目の前に大きな結晶が現れた。結晶は元からその場にあったかのように佇み、一人の男がそれに縋って涙で濡らしている。


 青貝の姿を見ながら、アタシは思う。が人間であったと認識出来るのは、この世界ではもう自分達しかいないだろう。アンデスを入れた者らには工芸品か何かにしか見えないだろうし、いずれは鹿島優という存在すらも世界は忘れてしまうのかもしれない。


「ごめん、青貝。本当に、ごめんなさい……」


 気が付いたらアタシは涙を流しながら、彼に謝っていた。涙が流れた事など、生きてきた中で二度目だ。最初に泣いたのは〝私〟が死に、能力が目覚めた時だった。


 もし彼らと出会わなければと、嫌でも考えてしまう自分がいる。自分が憎ければ憎い程に、メンタルフォルスの糸は自らを安寧に誘う。


 アタシの言葉に青貝は何も言わず立ち上がり、そっと彼女の方に振り向いた。振り向いた瞬間、アタシは驚いた。


 彼の顔は、どこか晴れやかだった。大勢の人と最大の親友を失っても尚、彼の顔には生きようとする意志が見えた。


「謝る必要は無いよ。君が居なければ、俺達はとっくに東雲さんの時に死んでいたんだ」


「でも……」


「そういえば言いそびれてたね。あの時は、俺達を助けてくれてありがとう」


 その言葉にアタシはもう、何も言えなかった。彼は覚悟を決めたのだ。これから起こるであろう全ての苦しみと、戦いの連鎖に。


「それに、可能性はまだある。鹿島だけじゃない。天人に殺された人々を救う方法があるかもしれない」


「え?」


 そう言って青貝は、天人の肉体が存在した場所を向いた。そこには天人が持ってきた、痛みの記憶が記録されたアカシックレコーズがある。


「天人の言いぶりから察するに、アカシックレコーズとやらは様々な情報の載った書物のようなモノだろう。もしかしたらアンデスのシステムだって、こいつから産まれたのかもしれない」


 槍状だったレコードは今、茨に包まれた小さな糸巻きになっていた。手に持ってみても何かが起こったりする訳でも無く、ただチクチクと掌が少し痛むだけだ。


「つまり、俺達が知らないだけで、人間の誰かもこれを持っているという事か?」


「ええ。天人が所持しているレコードと、人間達が隠し持ったレコード。その中のどれかにはもしかしたら、人を蘇らせる禁忌の書物があるかもしれない。これからも地球に現れる天使と戦い続ければ、いつか俺が欲するレコードが手に入るかもしれない。可能性がゼロではない限り、俺は前に進みたい」


 そう言って青貝はアタシと草野を見た。


「だから二人共、俺にイモムシの戦い方を教えて欲しい。俺はもう何一つとして、天人に奪われたくないから」


 青貝の言葉に対して草野がもたつくうちに、アタシは前に出た。


「覚悟は出来てる?」


 アタシはそう言うと、先ほどの天人が消えゆく姿を思い出した。


 人の苦痛を何億と流し込まれて死んだあの天人は、死にゆく間際に姿を変えた。自身が誇っていたプロモデルのような凛々しい顔は消え、違う顔に変化した。頬と鼻頭にはソバカスが現れ、目は二重から腫れぼったい一重瞼に代わり、肌は浅黒く焼けているというよりは焼かれて焦げすぎたかのようなカサカサの肌になった。


 その今際の顔に見覚えがあった。天人が初めて襲来した時に殺された五人の内の一人、薬品工場跡を根城にしていたとされる不良の顔にそっくりだった。彼もまた青貝の父と同じで歴史に紡がれる事も無く、ひっそりと死んだ存在だ。


 だがアタシは頭に浮かんだ可能性を、そっと振り払った。今はまだいい。彼がさっき言ったように、今は我らの無事を喜ぶとしよう。天人の正体も、自分の秘密も、今は全て生きている喜びで塗り潰そう。


 青貝はアタシの目を見ると、笑みを零した。


「覚悟は出来てるよ。繭から飛び出てきた時からね。君だってそうだろう?」


 そう言って笑う彼の顔に、アタシはそっと微笑んだ。


 ああ、そうか。この男はこんな顔で笑うのか。こんな顔を浮かべるのなら、彼の誘いを断る必要も無かったかもしれない。


「これからよろしくな、アタシ」


 そう言って掌を伸ばす青貝の手を、アタシは見た。


 彼の繋いだ糸は今日、幾つも千切れてしまった。それでも彼は曲がる事無く、新しい糸を繋ごうとしている。


 ならば最初の一つは、が貰うとしよう。彼と繋がり、拓かれた新たな道を歩んでみよう。


「ええ、こちらこそよろしくね。青貝」


 アタシはそう言うと、青貝の手を握り返した。


「といってもあんたは無機物、ミネラルタイプだから私もそんなに教えられないけどね。草野さんはガイアだし」


 アタシの言葉を聞いた途端、青貝は取り乱し始めた。


「え。ちょ、じゃあどうすんの? どうすればいいの?」


「さあね。流れに任せましょ」


 そう言ってアタシは彼に、小さく笑みを零した。

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