(6)

「あ、青貝! ……てめえぇェ!」


 雄叫びと共に衝撃波を飛ばした鹿島を嗤うように、天人は純白の壁で受け止めた。見れば完全に消滅させた筈の翼が、天人の背中に戻ってきていた。


「出来損ないの天使に出来て、俺達に出来ない道理は無い。どれだけお前の攻撃が歪であろうと、時間さえあれば再生出来るんだよ」


「なら何度だって……」


「何度だって付き合ってやってもいいが、その前にお前の身体が持つかな? 上手く服に隠せているようだが、その下はどうなっている?」


 天人の言葉に、鹿島は舌打ちをするのを堪える。察しの通り、既に鹿島の下半身は殆どが糸に包まれていた。青貝を助けに行くのが遅れたのもこのせいであり、もはや糸に包まれているのか身体が糸に変化しているのかも判らなかった。


 今では糸は腰元まで包み始めている。これが首にまで伸びたら、完全に身動きは出来なくなるだろう。もはや一刻の猶予すら惜しい。


 鹿島は無機質な糸に包まれた、友の姿を見た。見るに堪えない、心が掻き毟られるような光景だ。自分がこうなっていた時も、彼はこんな気持ちを抱いていたのだろうか。能力を使えば引っ張り出す事も出来るかもしれないが、ここで意志も無い彼の糸を引き裂けばどうなるかは自分にも分からない。


 もし自分のような歪として産まれてしまったのなら、きっと彼は自身がどう変わろうとも自分を。許し、笑い、くだらぬ茶々を入れた後で、ひっそりと一人で堪えていた涙を流すのだろう。自分がそうしようと思っていたように。


 俺達は双子以上に双子っぽい生き方をしてきたが、こればかりは俺一人で十分だ。今の俺に出来るのは、ただ彼に言葉をかけ続ける事だけだ。


 鹿島は最後の力を振り絞ると、天人に掴み掛かった。まだ動く両手で胸倉を掴み、糸と化した足を地の底まで伸ばして動きを止める。


「一緒に死ね、土鳩野郎」


 鹿島は全身から虹色の糸を伸ばすと、それを羽のようにして開放した。天人の翼よりも遥かに大きく、この建物全てを呑み込もうかという大きさへと変化する。


「道連れのつもりか? 小賢しい」


 天人は忌々しそうに手を振り上げると、鹿島の胸元を貫いた。手応えに違和感を覚えた天人は首を傾げると、彼の服を引き裂いた。


 既に鹿島の糸は胸元まで伸びていた。その姿を見た天人がクツクツと嗤う。


「もう駄目だな。お前は終わりだ」


「テメエだって終わりだ」


「生憎だが……」


 そう言うと天人は、大きく両翼を伸ばした。伸ばした瞬間鹿島の糸のドームは引き裂かれ、小さな空から陽光が当たる。


「お前にはもう、俺を地に留めておく程の力も無い。いくら俺に触れる不条理な糸であろうとも、今のお前には無理なようだな」


 そう言うと天人は一つ息を吐いた。まるでコーヒーを飲んで一息つくかのような、一仕事を終えた吐息を漏らした。


「お前は終わりだ。最期くらいは天の遣いらしく、空から見下ろしてやるとしよう」


「……それは出来ねえな」


 その言葉に対し、天人は表情を変えた。その言葉を言ったのが、目の前にいる鹿島ではなかったからだ。


 声の主に気を取られているうちに、天人は地に足を縛り付けられた。


「蔓延蔓七式・捕抑とりおさえ花楸樹ナナカマド


 草野は両の掌から七本の蔓を走らせ、天人の足に巻き付けていた。


「よう。さっきはよくもやってくれたなコラ?」


 彼の言葉に天人は舌打ちをして切り落とそうとしたが、何故か蔓は最初の交戦の時と違って激しい抵抗を見せている。驚く天人に対し、草野は憐れみに似た笑みを零す。


「切りにくいだろう? そいつは特別製だ」


「貴様、一体何を──」


「答え合わせは後だ。……今だアタシ、やれ!」


 草野が叫んだ時には既に、天人の目の前にアタシが飛び込んできていた。


 飛び込んできた彼女の姿に、天人は両翼で身体を隠した。人間に対して防御という行為が激しい屈辱をもたらし、怒りの感情が沸き上がる。だが何物も何者も寄せ付けぬ拒絶の翼に触れればイモムシの糸は切り落とされ、肉体だって瞬時に裁断される。


 天人は勝利を確信していた。だが天人が目を開けると、そこには五体満足で息を切らしながら自分を睨む少女の姿があった。先ほどまで存在していた両翼はまたしてももぎ取られ、暗闇に陽が射すように消滅している。


「馬鹿な。……何故だ! 何故貴様如きが!」


 突然の出来事に、天人は驚きを隠せなかった。確かに自分の翼は彼らを寄せ付けなかった。彼らがどれだけ強固に絶望の糸を伸ばそうが加工しようが、自分の身体は自分の意志一つで弾き飛ばす事も透過する事も可能だった筈なのだ。


 そんな天人の思いに対し、アタシは侮蔑に満ちた目を天人に寄越した。天人は彼女が手に持っている物に気付くと、ギリギリと歯軋りをした。


「その鋏はっ──」


「ええ。貴方の身体を唯一切り裂ける、鹿島の糸から産み出したモノよ。貴方を地に縛り付けているその蔓には、散々ばら撒いた貴方の羽根が縫い込まれているわ」


「ち、畜生……」


 思わず呟いた天人の言葉に、アタシは鋏を肩に乗せながら憎たらしい笑みを零す。


? 天の遣いたる貴方がそんな言葉を使っていいのかしら? 今でも十分最低だけど、訳したら『God damn it神よ、地獄に堕ちろ』っていう意味になるわよ」


「グ、グウウゥ……」


 身体も能力も言葉すらも封じられた天人は、ただ獣のように唸り睨む事しか出来ない。


「何故だ、何故貴様らがこんな……」


 その時天人は初めて、目の前にいる鹿島を見た。糸が首元まで迫って来ていた彼の身体からは、三本の糸が伸びていた。その内の二本が、アタシと草野の頬の辺りに繋がっている。


「まさか、貴様!」


「ようやく気付いたか。糸は攻撃するだけが能じゃない」


 そう言って鹿島は天人に対し、皮肉っぽく嗤った。


「最初から俺はお前と心中するつもりなんて無かった。俺はただお前をここに縛り付け、後は他の皆に任せただけだ」


「馬鹿な、あんな塵共を信じたというのか?」


「少なくとも、お前の慕う神よりは信じられる」


 そう言うと天人は忌々しそうにしながらも、クツクツとではなくゲラゲラと笑い出した。下劣な人間がするような、人を対等に人として馬鹿にする堕ちた笑いだ。


「俺も終わりという訳か。……まあいいだろう。さっさと殺せ」


「死を目前にした割には、やけに落ち着いてるじゃないか」


「天人に〝死〟などという概念は存在しない。望めばまた好きに産まれ直す事が出来る。所詮最初から貴様らとの闘いも、俺にとっては一時の暇潰しに過ぎなかったんだよ」


 天人の言葉に対し、鹿島はふうとため息をついた。


「それが十次元の存在という訳か。どうせそんな事だろうとは思ってたが、死すら超越してやがるとは不条理の塊だな」


「そういう事だ。……残念だったな虫ケラ」


 その言葉に鹿島は静かに目を閉じると、小さなため息を吐こうとしてそれを止めた。ため息をして逃げる今後の幸せは、もう自分には残っていない。


「確かに俺は死ぬ。でも俺は今ここで死ぬとしても、俺を繋いでくれる奴はいる。あいつがいる限り、俺はこの世に存在し続ける」


「あいつだと?」


「ああ。……お前の後ろにいるよ」


 瞬間。静かだった建物の中に、カツカツと足音が響いてきた。その音は一歩一歩と天人の背後に近づいており、途端に彼の中で不思議なモノが湧いてきた。


 それはある一つの感情だった。天人に相応しくないこの感情を、何故か自分は知っている。昔何処かで自分は、この感情を強く感じた事がある。


 頭の中に湧いてきたイメージは、針の穴程に小さな空だった。何故だろう。天の住人である自分は今よりもずっと昔、空を見るのが怖かった。何故かは分からないが、空を恐れていた。空に亀裂が走った瞬間、自分は獣のように泣き叫んでいた。


 だが今は上ではなく、後ろが怖い。後ろを見るのが何よりも怖い。何か得体の知れないモノが自分の、俺の背後に迫ってきている!


 ……嫌だ。


 嫌だ嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ!


 誰か、誰か!


「さっさと現実を見ろ、


 そう言って鹿島は最後の力を振り絞り、天人の首をそっと横に向けた。天人の視界に、背後に立つ男の姿が映る。


 そこには自分に対して強い殺意の目を宿し、掌からジャラジャラと無機質なモノを巻き付け、絶望のアカシックレコーズの糸巻きを手に構える男の姿があった。


 地獄の底から死神に鎌を借りて来た、青貝繋一の姿があった。

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