(2)

「か、鹿島か?」


 死人を見るように、というよりも間違いなく死んでいた友を青貝は見る。


「ああ、俺だよ。やたらに糸を引き千切りやがって……。おかげで死にそびれちまったじゃねえか」


 鹿島の傍らには、中身の消えた繭の残骸が転がっていた。花弁のように開いた繭は光を反射しながら輝き、それも瞬きをした時には全てが消え去っていた。


 青貝が何か言おうとするよりも先に、平野天使は行動を起こした。彼女は現れた鹿島を〝送るべき相手〟と認識し、再び不可視の糸を伸ばしてきた。空気中に散らばる塵の動きから、四方から攻撃を加えようとするのが読み取れる。


「おい、来るぞ!」


 叫ぶ青貝に対し、鹿島は背を向けたままそっと右手を前に突き出した。


 瞬間、何かが砕け散る音が聞こえた。砕け散ったモノは音を立てて床を鳴らすが、目には何も映らない。音が静まればそれがどこにあるかも分からなくなった。


 ただ一つだけ理解出来たのは、平野天使の糸は破られたという事だった。

 

 鹿島が紡いだ〝糸〟によって。


「貴方もメンタルフォルスの糸を? でもそれは……」


 呆然とするアタシの問いに対して、鹿島は何も言わない。平野天使は決して解けなかった糸を散らされた事に、表情を変えずに激昂しながら羽を広げた。


 風の音と空中に舞う塵の動きで分かる。彼女は今、最大限の攻撃を行おうとしていた。


「おい、ヤバいぞ鹿島!」


「大丈夫だ青貝、……黙って見てな」


 そう言うと鹿島は祈るように掌を合わせ、左手から輝く何かを取り出した。最初に見た青貝はそれを、光輝く〝剣〟だと思った。だが形が露になっていくにつれ、それは剣のような一枚刃では無い事が分かった。


 それは銀色に輝く、大きな〝鋏〟だった。決して糸には見えない、それを断ち切る為に存在する二枚の合わせ刃だった。


 鹿島はそれを平野天使に向かって一振りすると、空を斬る音と共に何かが地に落ちた。彼の持つ鋏は糸だけでなく、それを纏めた羽すらも一刀の元に斬り落とした。


 表情こそ変えなかったが、彼女は自分の身体から羽が抜け落ちたのに驚いたようだった。残った片羽で攻撃を仕掛けようとする平野天使に対し、鹿島はまた掌から何かを放出してそれを打ち砕き、鋏を一閃した。


 大型のシャンデリアが叩きつけられたような音が、建物の中に響き渡る。青貝とアタシが命がけで一撃加えるのが限界だったのと比べ、鹿島の攻撃は完全に天使を圧倒していた。


「続きはあっちでやろう。愛里」


 そう言うと鹿島は、まるで黙祷するように目を閉じた。羽を失った平野天使は獣のように両手を前に突き出して、物理的に彼の首を絞めようとする。


 だがその手が届くよりも先に、鹿島は開いた鋏を横に振った。身体を切断された平野天使は手を伸ばしたまま地に落ちる事もなく、もつれた糸が解けるようにしてこの世から消えた。


 彼女の身体が存在した場所に、カツンと何かが落ちる。平野愛里が天使の肉と呼称した代物、彼女の心を弄んだ者達が詰まった魂の結晶だった。結晶はまだ魂が入っているのか、輝きを失っていない。


 鹿島はそれを忌々しそうに見つめると、手に持っていた鋏で床ごと砕いた。魂の結晶は断末魔をあげるような音を立てて砕け散り、彼女の身体と同じように消えていった。


 痛々しい友の姿に、青貝は言葉をかけられなかった。どれだけの間、そこにそれを突き付けていたかは分からない。今にも止まりそうな程に重い呼吸を繰り返し、彼は何度も目を開いては閉じていた。


 だが不意に鹿島は小さなため息を吐くと、青貝の方を振り向いた。


「終わったぜ、青貝」


 それは青貝も知っている、鹿島優の顔だった。



「一体あれは何だったの? あの能力は何?」


 平野天使が消滅してから待っていたのは、アタシからの質問攻めだった。鹿島は遠慮がちに両手を前にやりながら、すっとぼけた顔を浮かべる。


「俺にも分からんよ。これでも今マジでビックリしてるんだぜ? 死にそびれてイモムシになったのは分かるけど、まさか糸じゃなくてハサミが出てくるなんて想像出来るか?」


「確かにそうだな。お前一体何を──」


「そんな事はどうでもいい」


 陰鬱な雰囲気をどうにか盛り上げようとする青貝を、アタシは切り伏せる。


「鋏だけなら何とでも説明出来る。糸が泥とか溶鉄とかなら変化させればいいだけだし、私でも固めれば似たような物体は創れる。前に戦った天使のインクもそうだったでしょう?」


 そういえば相川天使こと相川君は、液体のインクを弾丸のように変化させて攻撃してきた。あの時はインクのどこが糸なんだと思っていたが、イモムシの世界では流動性を持って線状になる物体は全て〝糸〟という括りらしい。


「でもそうなると、最初の攻撃が説明出来なくなる。天使の見えない攻撃に対し、貴方もまた見えない何かを放ったわよね? イモムシは一本の糸しか紡げない筈なのに、何故貴方はあんな攻撃が出来たの?」


 執拗な質問にたじろぎながら、鹿島は何とか上手い説明を探していた。彼の顔からは自分でもどう説明すればいいか分からないような、非常に困惑した色を浮かべている。


「まあまあアタシ、君だって初めからその髪の特徴だか特性だかを完璧に理解していた訳じゃないだろう? コイツの能力は後でじっくり考えるとして、今は鹿島が生き返ったのを喜ぶべきじゃないか。幸い無事なようだし、よく分からん超パワーを身に着けたんだ。逆に考えれば、今こそあの野郎に向かうチャンスじゃないか?」


 そう言って青貝は鹿島を見た。こうして見ても彼は自分がよく知る鹿島優のままで、異能を身に着けているとは思えない。だが彼の身には間違いなくメンタルフォルスの糸が宿っているし、心の安定を保つアンデスは完全に喪われているのだ。


「……ええ、そうね。草野さんも心配だし──」


 突如、建物の奥で物凄い音が響いた。部屋中に砂埃が立ち、スチール机に置かれていた書類が宙を舞う。


「な、何だ?」


 突然の突風に対し、瞬時にアタシと鹿島が構えた。薄暗かった部屋に陽光が差し込み、部屋の隅々までを見渡せる程の明るさに包まれる。


「て、天井に、穴が……」


「そこじゃねえ、下だ!」


 鹿島の叫び声に反応して見ると、低い位置で舞っていた砂埃と共に、見覚えのある姿が横たわっていた。飄々としていた表情は絶望に染まり、太陽に恋い焦がれるように空を見上げている。


 そこには陽の光を一身に浴びながら、蔓に包まれた草野が横たわっていた。

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