5 別れ
(肆)
気が付いたら眠っていたようで、男は目をシパシパさせながら目覚めた。こんな状況でも眠る事が出来るとは思わなかったが、目覚め特有の朧気さをまるで感じない。傍らにいた少女は自分の顔を見つめて、不思議そうな顔を浮かべている。
「あら、起きたの?」
「……知らん間に眠っていた。俺はどの位の時間眠っていた?」
「分からないわよ。ここには時計も何も無いんだから」
ぶっきらぼうに言いながらも少女は、どこか楽しそうに見えた。眠る前の時と比べて、顔の険が取れている気がする。今はまるで大きな期待がそこにあるかのように、幾人もが消えて行った方角を見つめていた。
「そっか、私はカムパネルラか」
「は? どうした」
「私はジョバンニではなくカムパネルラ。ここが私の終着点って事か」
その言葉にハッと気づいた男が、彼女に話しかける。
「君、まさか見えてるのか?」
「ええ、今はクッキリと見えるわ。あれがアンタの言う、入口って奴なんでしょ?」
そう言って彼女は何も無い虚空を指差す。
「アンタの話では皆同じ訳じゃないし、資格が無ければ見えないんだったね。アンタには見えないだろうけど、私には汽車が停まった駅が見える。その入口で誰かが手を振ってるわ」
「どんな奴だ?」
「あれはきっと、私の両親だと思う。ずっと昔に死んじゃった両親」
「そうか……」
これで全てが確定した。自分が今何故ここにいるかを、ここがどういう場所かを男は完璧に理解した。
同時に男は、どうしようもない孤独感に襲われ始めた。また自分は一人でここに取り残され、彼女を見送ってしまう。どれだけの時間が経つかも分からぬこの世界で、ただ茫然と胡坐をかきつづけなければいけなくなる。
だがそんな事を考えていると、少女は不思議そうに小首をかしげた。
「あら。あっちで手を振ってる人の中に、アンタの方を向いている人がいるわよ?」
「え?」
「小さい女の子。私達よりもずっと幼く見えるわ」
その言葉を聞いた途端、男の首が締め付けられるように委縮した。
頭の中に、見知らぬ少女が浮かぶ。凛々しくも雄々しく、不可思議な能力で敵を薙ぎ倒す姿。もし自分を知っている女の子がいるとすれば、それは──。
その瞬間、虚空の先の靄が晴れ始めた。無色の空間に輪郭が建ち始め、男の目にもうっすらと姿が見えてきた。
目の前には〝橋〟があった。古風な造りをしており、欄干は赤を基調に塗りたくられて、タマネギのようなモノが四方に載せられている。その先を見ると、確かに小さな女の子が手を振っていた。喜んでいるようにも招いているようにも見えるし、逆に「あっちへ行け」と手を追っ払っているようにも見える。
頭に浮かんだ少女とは違い、橋の少女の姿はまるで見覚えが無かった。屈託の無い笑みからは自分に対する親しみを見出せるが、申し訳なさすら感じる程に記憶に無い。だが心の奥から湧き立つ朗らかさは、確かに彼女を知っていると叫んでいる。
「どう、思い出した?」
「いや、まだ全部は……」
「そう、残念ね」
彼女は何故か少し寂しそうに男を見た。その辛そうな顔を見ていると、心の中で何か掻き毟られるような思いがする。
橋の向こうでは、多くの人間が行き来するのが見える。にこやかに談笑し合い、男女は微笑み合い、小さな子供が笑みを浮かべてその両手を引かれている。その光景を見ていると、何とも言えない希望に満ちた想いが湧いてくる。
「……丁度いいのかもしれんな」
「え?」
「俺にも入口は見えた。資格とやらを手に入れたんだろう。あの子の事はまだよく思い出せないけど、この先に知り合いがいる事は分かってるんだ。ここで呆けているよりはマシかもな」
心の中で、諦めにも似た安らぎを感じる。あの橋の先に行けば自分の望むモノが全て手に入ると思うと、不毛の大地に腰据えるよりも遥かに重要な事が待っている気がした。
だが途端、何故か少女は自分の頬を強く引っ叩いた。
「……ふざけないで。そんな半端な気持ちで再会しても、あの子はきっとアンタを歓迎しないわよ。アンタはまた女の子を悲しませるの?」
「な、何だよ急に?」
「ねえ気付いてた? アンタ、肩に〝糸屑〟が付いてるわよ」
そう言うと彼女は、入口の前に立ち塞がった。
「私には見える。アンタはまだ〝あっち〟でやる事がある。アンタを繋ぐ糸が見える」
「糸? それってどうい──」
途端に男は自分でも気付かないスピードで睡魔に襲われ、その場に倒れ込んだ。
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