(5)

「相変わらずえげつないわね」


 アタシの言葉に対し、草野は満足気に蔓を引き戻しながらケラケラと笑う。


「蝶を捕りたきゃ蜘蛛になるしかねえ。奴らの再生力を考えればこれくらいは当然だ。でもまあ正直、お前が来なければヤバかったよ」


「私は何もしてないわ」


「はははっ。ほんと、愛想が無いなぁお前は……」


 新たなイモムシの戦いに茫然としながらも、鹿島はそれとは違う目で草野を見ていた。彼はアタシのような影を持った姿と比べると、〝死に損なった〟という絶望的な表情が全く見えない。見ていると気が滅入るような感じも一切しない。


「それで、天使は原石を持ってたの?」


 アタシの言葉に、草野は手に付いた砂埃をパンパンと掃う。


「身体の隅々まで探したけど、どこにも無かったよ。恐らくもう一人の方が犯人だ。鋭いお前の事だから、既にここにもう一人いる事くらい分かってんだろ?」


「ええ。てっきり私は、貴方がとっくに見つけて捕まえてると思ったんだけどね」


「はははっ、そりゃ買い被りすぎだ。……それで、その男達が?」


 そう言うと草野は初めて鹿島らを見た。改めて自己紹介をしようかと思ったら、何故か青貝が見当たらない。


 もしやと思い視線を降ろすと、青貝は無精髭の天使がいた場所に手を合わせていた。釣られて鹿島もしゃがみ込もうとすると、それを見た草野がふんっと小さく鼻で嗤った。


「これはまた、今時珍しいやっちゃな」


「何か文句でも?」


 慈しむ青貝に代わり、鹿島が一歩前に出る。


「おや、こっちもこっちで珍しいな。道理でお前が気に入る訳だ」


「あのな、さっきからアンタ……」


 そこまで言ったところで、草野は何故か爆笑し始めた。


「違う違う、悪かった悪かった! 言い方はあれだけど、これでも俺は感心してんだよ。アタシには聞いていたけど、お前ら本当に新人類か?」


「ああ。俺は四期型で、コイツは改三期型だ」


「改三期? って事は、そこの仏教徒ブッディストは役人か何かの家柄か? ますます興味深いな」


「それは違う」


 祈りを終えた青貝は立ち上がると、草野の前に立った。祈りながらも全て聞こえていたのだろう。その目はどこか攻撃的で、危うげな色を持っている。


「俺の親父は五人の殉教者の一人だ。コイツは大黒柱を失った俺達家族に、御役人が補償金代わりにくれたんだよ」


「……五人の殉教者だと?」


「そうだ。当時の最新モデルだった改三期型は役人と兵員、遺族にしか渡されてないからな。気になるならその蔓で、俺の頭も引っこ抜いて見てみるか? アンデスに旭日きょくじつが刻まれてるかもしれないぜ?」


 険悪な空気の中、鹿島はどうするべきか迷った。普段は冷静な青貝だが、父の事が絡むとどうしても熱くなってしまう。そこが彼の強い生き方として根付いているのだが、今はそれを発揮すべき時では無い。


 歯止めが効かなくなる前に止めるべきかと思った時、草野が勢いよく頭を下げた。


「いや、いい。……無神経な物言いをしてすまなかった」


 彼が急に矛を収めた為に、青貝はきょとんとした顔を浮かべた。先ほどのフランクさは身を潜め、今はどこか目に憂いを帯びている。


「あの事件は俺も本当に心を痛めている。君のお父さんだけでなく、大勢の人間が無残に死んでいった。本当に申し訳ない」


「ああ、いや。その……」


 タイミングとしてはここしかない。鹿島は大きく息を吸い込むと、大袈裟に空咳をした。


「分かればいいんだよ。もうこの話は止めにしよう」


 そう言って空気を入れ替えるように、大きく息を吐いた。押し付けがましい相手や下手に出られた相手に、青貝はとことん弱い。ここは自分がフォローしないと違う意味で歯止めが効かなくなるし、交流の浅いアタシにはまだこの芸当は難しいだろう。


「それで、この天使はどこから来たの? 複合タイプでは無かったみたいだけど……」


 草野もまた一つ息を吐くと、調子を取り戻した。


「原石は無かったが、体内に天使の血があった。こいつは番犬だ。恐らくもう一人の奴に、無理矢理羽化させられたんだろう。近くにいたところを羽化させられたか、前もって羽化させといたのを連れて来たか……」


「意思の無い天使を連れて来るなんて、普通の人間に出来る事なの?」


「さあな。それも含めて、彼女に訊くしかないだろう。煙突の方に行くしか無いな」


 忌々しげに地面を見ながら、草野は舌打ちする。飄々とした先ほどの様子とは正反対で、彼の人間性がまるで掴めない。粗暴を装っているのか虚勢を張っているのかも分からず、余りにも気紛れが過ぎた。


「煙突までは少しあるし、ここからは話しながら行くとするか」


 そう言うと草野はまた様子を変え、スキップをするかのように軽やかに先を行ってしまった。



「そうか。あの写真の子は君達の……」


「ええ、疎遠にはなっていたけど大切な友人です。こんな事になるなら、もっと色々と話しておけば良かった」


 煙突への道中で、二人は草野に平野の事を話した。大学の同期であり、一時期は親しくしていたという事。例え物的証拠があろうとも未だに彼女が天使やそれに準ずる者には思えない事を、包み無く全て話した。


「慰めにしかならないが、俺が見たのは彼女が建物に入る瞬間だけだ。単位の猶予と引き換えに教授や学生課から掃除でも密命されてたのかもしれないし、怖いもの見たさで入った可能性だってある」


「それなら何故、彼女が怪しいと?」


「それはまぁ、男の勘って奴かな?」


 そう言って誤魔化す草野に少しの苛立ちを感じつつも、青貝は気にせず話を続ける。


「彼女は悪く見られがちですが、成績はかなり優秀です。怖いもの見たさってのも違うかと……」


「ならここは人気が全く無いから、逢引きに使ってたりしてな。アンデスも引くほど図太い神経の持ち主なら全然あり得る話だ」


 朗らかに言う草野の言葉に、二人は押し黙る。不安になる自分達を励まそうとしているのは分かるが、鹿島も青貝もそういう気分にはなれそうにない。


 沸き上がる不安を断ち切るように、青貝は言った。


「あの、草野さん。天使にしろイモムシにしろ、〝糸〟はその人によって違うんですよね?」


「そうだよ」


「例えばですけど、他人に変身出来る糸とかはあり得ますか? こう、糸を全身に巻き付けて『変身!』みたいな」


「何だよ『変身!』って……」


 青貝のガキっぽい言い方にも草野は笑わず、真面目に考え込む。


「そういうのは聞いた事が無い。アタシに聞いたかもしれないが、メンタルフォルスの糸ってのはトラウマや遺恨が具現化したモノだ。心を縛り付ける程の思い出の品や今際いまわの強烈なイメージ。逆にこれが無ければ幸せになれたとかこれに縛られたまま死ぬんだなっていう、人生の腹立たしさの顕現のような物だ」


 その言葉に、鹿島は今まで出会ってきた天使を思い浮かべた。東雲さんは毛糸のマフラー、水谷教授は荒縄、相川は手紙でさっきの男は映像フィルムだった。彼らは一体何に縛られ、何を想ってそれをその身に巻き付けたのだろうか。


「所詮はトラウマだからな。変身願望を持って死んだ奴は沢山いるだろうが、そんな夢幻ゆめまぼろしのようなモノを具現化するとなると難しいだろうな」


「そうですか……」


「ま! 俺が無教養なだけで、既に科学的に実在してる可能性も否めんがな。常人には知る由も無いコアな物質まで出されたら、俺にもお手上げだ」


 そう言って草野は愉快そうにケラケラと笑った。そんな彼を見て青貝が尋ねる。


「そもそもガイアだとかミネラルだとか、そういうのはどうやって決めてるんです?」


「糸は大まかに言って、五つに分かれてる。大抵は自然物と人工物だから一目で判断出来るし、俺のメンタルフォルス〝蔓延蔓ハビコヅル〟なんかも植物系の自然物、ガイアタイプだ」


「なるほど。じゃあ例えばアタシのも髪の毛だから、自然物ですか?」


 そう言って青貝はアタシを見た。アタシは彼の目を見ると、気まずそうに眼を逸らした。


「いや、彼女はちょっと違う。彼女の〝殺殺裏あやとり〟は自己物、自分の肉体組織から発生させるタイプだ。マインタイプって言う」


「マインタイプ……」


「他にも水とか煙とか糸の範疇を超えたモノを使う奴もいるけど、こういうのをメンタルフォルスするには特殊なトラウマが必要だからな。大災害にでも出くわすか、もう一回人間同士で戦争しなくちゃ手に入らないレベルだろう。由来が心的なもんだから、こればかりは欲しくたって手に入るもんじゃない」


 確かにそれは厄介だが、彼の口調からして現にそういう天使やイモムシが存在するのは事実なのだろう。天災を纏って戦うとなれば、それはもはやお伽噺の世界だ。


 青貝は草野の言葉に考え込み、意を決するように彼を見た。


「例えばですけど、俺達が天使やイモムシになったらどんな糸が出てくるかとかは分かるんですか?」


 そう言った途端、聞き役に徹していたアタシは目を剥いた。


「止めなさい! そんなの知らない方がいいわ。天使にしろイモムシにしろ、行き着く先は地獄でしかない」


「ああ、ごめん。ちょっとした興味本位で――」


「うん、分かるよ」


 草野の言葉に、今度は三人共目を剥いた。


「さすがに形状までは読めないけど、人となりである程度は察する事が出来る。心理テストみたいなもんだけどね」


「ちょっと草野!」


「いいじゃないか、煙突に着くまでの余興みたいなもんだ。それにもしもの場合を考えたら、彼らの糸のタイプを知っておいて損では無いだろ?」


 冷ややかに睨む草野にアタシは唇を噛むと、鹿島達を置いて先へ歩いて行ってしまった。


「あー、怒らせちゃったな。気にしなくていいよ。彼女とはしょっちゅう衝突してるんだ」


「すみません」


「いいっての。代わりに言っては何だが、君は謝りすぎだ。そこの友人のように、少しはドンと構えてみたらどうだ?」


 そう言われて青貝は鹿島を見るので、わざとらしく胸を張った。自分が普段から思っている言葉を、草野が上手く代弁してくれたのが喜ばしい。


「時間も無い事だし、ちゃちゃっと見るか」


 そう言うと草野は、青貝の顔をじっと見つめた。青貝は照れ臭そうに目を逸らそうとするが、草野の視線は彼を逃さない。


「これは多分、ミネラル系だね」


「ミネラル……。人工物ですか?」


「そう、無機物のメンタルフォルス。イモムシにも天使にも一番多い、オーソドックスなタイプだ。さっきの髭もじゃ天使なんかもそうだったね」


「そうですか……」


 草野の言葉に、青貝は何とも言えない表情を浮かべた。自分が死んで天使になれば害は少ないが、戦うにしては強度が足りない。そんな事を宣告されたようなものだ。


「何も無能って訳じゃない。大事なのは意志と信念の強さだ。それが強ければ強い程イモムシは力を増し、天使は非常に厄介になる」


 宣告を受けた友の姿を見て、鹿島の中で何かが蠢いてきた。世の中は上手くいかない事が多すぎる。父の偉業を世界に紡ごうとする彼の糸が、まるで大した事の無いモノだと言われたような気分だ。


「じゃあ次、鹿島君ね」


「悪いけど、俺はいいよ」


「そう言いなさんな。さて君は……」


 そこまで言って、草野は口を止めた。


「鹿島君。君、いま何考えてる?」


「え?」


「君ちょっとヤバいよ。直ぐ引き返した方がいい」


「ちょ、一体どうしたんです?」


「何ていうか、何も見えないんだ。こんなのは初めてだ」


「単に絶望の『ぜ』の字も無いだけじゃないですか? ほら、こいつバカだから」


「何だとこら、アホガ──」


 草野は二人の言葉を断ち切ると、「ちょっと」と言いながら鹿島の腕を引っ張って階段の踊り場まで連れて来た。


「この際糸の事は置いておくが、君、俺達に隠してる事あるよね?」


 その言葉に、鹿島は押し黙る。


「その様子だと、青貝君にも言ってないみたいだね」


「……ええ」


「アンデスが機能停止しかけている。いつからそうなった?」


 頭の中で、東雲さんが目の前まで来た時を思い出す。あの時自分の中にあるアンデスは、生きる事を放棄した。カチリと電源が落ちた音は今でも思い出せる。あの時から自分のアンデスは不安定になり、精神の安寧を掴む事が出来なくなっていた。


「今の君は旧人類も同然だ。こんな調子でまた天使らと交戦してみろ。何があるか分かったもんじゃない。しかも相手は君の友人かもしれないんだろ?」


 草野の言葉が胸に刺さる。二人にはずっと黙っていたが、さっきから尋常じゃない程の感情が洪水のように頭に溢れている。平然とした顔を繕うのに精一杯な今の状態では戦いにおいて邪魔でしかないし、ましてや異形へと変貌を遂げたかもしれない平野を見る事だって、多大な負荷が心に圧し掛かるだろう。


 全ては初めから分かっていた事だ。だがそれでも──。


「友達だからなんです」


「え?」


「平野は友達です。ずっと頭の隅に追いやってましたが、あいつは俺の大切な友達でした。ここにだって青貝という友がいます。俺は例えこの身がどうなろうとも、二人を置いて逃げたくはない」


「結構な事だ。だが自分が天使に変貌し、彼らを虐殺する可能性は考えたか? 天使になれば君の意志なんて塵屑ゴミクズ同然だ」


「ええ、何度も考えました。平野の写真を見た時からずっと。……それでも俺はここにいたい。今ここで彼らを見捨てたら、俺は自ら死にます。アンデスや天使が俺を殺してくれないのなら、俺が自ら縄を結びます」


 鹿島は一つ、ため息をついた。子供の頃、ため息をつくと幸せが一つ逃げるというジンクスを父から聞いた事がある。あれは事実なのかもしれない。今の自分には確かに、絶望に片足を踏み入れた感触がある。


 だがため息とは本来、生きるリズムを整える為にする心の呼吸なのだ。友を守る度に羽を一つもぎ取られるというのなら、自分は喜んで地を這う虫となろう。


 断固とした決意を秘めて鋭く睨む鹿島に、思わず草野の方が目を逸らしてしまう。彼は今の言葉を、心の底から発していた。彼は本当に死ぬ気でここにいる。死を覚悟の上で前進を試み、退却は恥としてその際には自ら死を選ぶ。まるで各国が戦争をしていた頃の軍人のような心持と矜持を、自分に示していた。


 これでは自分の命を盾にして交渉しているようなものだ。青貝という青年も異質だが、鹿島はそれ以上に危うい存在だ。


 草野は苛立たしそうに頭を掻き毟ったが、それも直ぐに収まった。


「……分かったよ。本当は今直ぐにでも新しいアンデスを注入するのが一番なんだろうけど、今の君を無理に追い返したら本当に自殺しかねない。そうなったらそれはそれでまた誰かがアンデスを摩耗させ、集団自縊死が横行するかもしれん」


「すみません」


「いや、いいよいいよ! そんなに想える友達を持てるのは、君が良い人間である証だ」


 そこまで言ってから、草野は「その代わり」と付け加える。


「もし君が天使になったら、俺は躊躇しない。アタシもきっと躊躇なく君を殺す。いいな?」


「……上等です」


「オーケー。じゃあ行こうか」


 踊り場から出ると、青貝がこちらを心配そうに見つめていた。


「鹿島、大丈夫か?」


 鹿島は青貝を見て、思わず笑う。こいつはどうして変わらないのだろう。天人が襲来し、死体で島を造れる程に人が自殺し、アンデスを体内に秘めているにも関わらず、こいつは昔から〝こいつ〟のままでいる。


 最初からこいつにはアンデスなんて必要無かったのだ。きっとこれこそが自分には無い、彼の強さなのだろう。アンデスだとかメンタルフォルスだとかは関係ない、彼の心に宿る強さなのだ。


「心配すんなアホガイ。お前の能力がいかにもモブキャラなせいで落ち込んでいないか、草野さんと相談してたんだよ」


「あ、バカシマてめえ! 人が割とマジで気にしてた事を」


「お、やっぱ気にしてたんだな」


「うっせえ! やっぱりてめえはバカだ」


 わざとらしくゲラゲラと笑いながらも、鹿島は青貝を見て覚悟を決めた。この戦いで、自分は死ぬかもしれない。


 それでも青貝、お前だけは必ず守ってみせると。

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