(4)
建物の中はどこも埃っぽく、物音一つしない。一歩歩く毎に渇いた音が建物中を響き渡り、強い恐怖の感情が沸き上がる。
「まずは草野さんを探しましょう」
「どうやって探す?」
「下を見て」
少女、アタシの言葉に床を見ると、積もった埃の上に多くの足跡があった。うっすらと残っているのは恐らく警備員や現場作業員、肝試しに来て逃げ帰った連中だろうが、その中に色濃く真新しいものが幾つかある。
「二方向に分かれているが、どっちを追う?」
突き進んだ足跡は三つだ。二つは目前の階段へと続いており、もう一つは中庭、首吊り煙突へと出る方角に向かっている。
「草野さんは一人でここに来たんだろ? だとしたら三つあるのは何故だ?」
鹿島の言葉に、顎に手を添えながら青貝が呟く。
「もう一人分〝何か〟がいるって事か? どうする」
「階段を行きましょう。これの一つが平野さんならもう一つは彼女を追う草野さんの可能性が高いし、彼の性格からして敵が二人でも気にせず追って三つめの足跡を付ける筈」
「ならいいが、本当はあっちが草野さんでこれが敵二人分の足跡だったらどうする?」
青貝は足跡を「平野」ではなく「敵」と言った。平野を敵と認識したのではなく、まだ心のどこかで悪魔の正体が平野ではないと信じているのだろう。
「その時はその時。二人纏めて締め上げてから、のんびりと草野さんを探しましょう」
そう言って笑うアタシを見ると、青貝は不満気ながらも納得し階段への道を歩いた。
まるで地雷原を歩くかのように一歩一歩を踏みしめる中、アタシだけは二段飛ばしですたすたと上って行く。
「遅いわよ?」
「お前が早すぎるんだよ。こっちは丸腰なんだぜ?」
「最初から戦力としては期待してないわ。それに、助けてくれるって言った言葉は嘘なの?」
思わず舌打ちをするのを堪える。ああ言えばこう言う女だ。友人関係や戦いのコンビネーションでは違うかもしれないが、異性においては自分と反りが合いそうにない。自分もまたどちらかといえば気が強い方なだけに、彼女みたいなタイプは苦手だ。
平野も同じタイプだった。他人のパーソナルスペースにもグイグイと入り込んできて、自分の空気を他者と同化させようとしてくる。ムキになればからかわれ、ムキにならなければ向こうがムキになってつまらなそうにする。
こういうタイプは自分よりも、受け身な青貝の方が合っている。現に何度かそれらしい展開にはなりかけたが、結局彼女は俺達の元から消えて新しい関係を築いた。
そんな彼女が今、悪魔かもしれない事実として二人を襲っている。疎遠になろうとも友人であった事実は変わりないだけに、嫌でも心に棘が立つ。
鹿島は胸に手を当てた。最低な形容だが、彼女に惚れなくて心底良かったと思う。もしこれから会う彼女が悪意を持ってこの建物に身を潜めているのなら、自分の心は確実に迷いを産み出しただろう。
三階まで上った時、アタシは歩みを止めた。
「どうした?」
「……どうやらここにいるみたい」
床を見ると、足跡はこの階から廊下へと進んでいた。一人の足跡にもう一人がそれを追いかけている。
瞬間、廊下の奥から大きな物音がした。何か大きなモノを引きずり回し、叩きつけたような音が響き渡る。
「おい、急いだ方がいいんじゃないか?」
走り出そうとした二人を、アタシは「待って」と呼び止めた。
「さっき言い忘れた事があるわ」
「ん?」
「何だい?」
「貴方達が私を守るというのなら、私も貴方達を守るから」
その言葉に鹿島と青貝は向き合い、笑みを零した。
「そんな事、言わなくても分かるよ」
「青貝の言う通りだ。それにさっきも言ったけど、俺達に出来る事はせいぜい陽動や避難誘導くらいで、大して役に立たんと思うぞ?」
「自分達が無力だと思わないで。メンタルフォルスの糸は『死への渇望』を抑えながらでないと使えない。アンデスを喪い天人と同じ十次元の能力を使う今、ほんの少しでも死を意識すれば私とて自縊死するわ」
アタシの言葉に、鹿島は激昂する。
「馬鹿! なんでそんな大事な事言わなかったんだ」
「言う必要が無かったからよ。今の私にそんな心配は無い」
少女は静かに口を開く。
「ねぇ、『勇気』って覚えてる? 意味は『怖れや困難を恐れない心』や『立ち向かう意思』」
「知ってるよ。お前は知ってるか、青貝?」
「知ってるも何も、マンガとかによく出るし……。俺達だって昔は使ってただろう?」
青貝の言う通りだ。あの頃は何をするにも「勇気」が重要視されていた。いじめに立ち向かう勇気だとか、勇気を振り絞って愛の告白をするだとか。朝は怪物相手に戦うヒーローがそれを振り絞り、夜は戦争に終止符を打とうとする大統領が外交に使っていた。
「そう、それよ。新時代においては必要の無くなった言葉だけど、それを貴方達はアンデスに消される事無く身に刻めているし、私にもそれが湧く。アンデスを経由した
その言葉に、二人は再び顔を見合わせる。アンデスを持たない少女に、アンデスの発するエンパシーは効かない。新人類がどれだけ彼女を哀れみ慈しもうとも、それは新人類特有の脚色と着色のされた感情だ。
それがアンデスの弱さでもあり、同時に新人類と旧人類、持つ者と持たざる者、過去を引きずる者と現在を受け入れた者を隔てる強固な壁なのだ。
それを今、二人は少しずつ破壊していた。
一人は信念によって。
もう一人は〝異常〟として。
黴臭くなった教室を一つ越える度に、物音が近付いてくる。何かがヒュンヒュンと空気を裂く音が聞こえ始め、ただの恐怖が命の危機へと変貌していくのが分かる。
「行きましょう。そして、最後まで生き延びましょう」
そう言って超えた先の教室の窓からは、二つの糸が交差していた。
〇
「お、遅かったなアタシ!」
黒く細長い羽を伸ばした天使の向かい側で、男はアタシに話しかけてきた。フランクな物言いだがややのっぺりとした苦労を染め込ませた顔で、年は幾らか鹿島らより上だろう。
「草野さん! 大丈夫なの」
「大丈夫も何も、もう終わるとこだよ!」
男の右の指先からは、植物のようなモノが飛び出ていた。茨のような刺々しさも無く蔦のような細さも無い、滑らかな色艶をしている。
「クソ、ちょこまかと! やっぱ俺の
「言われなくてもっ!」
少女は頭からメンタルフォルスの糸を伸ばし、天使の身体へと巻き付けた。鬱陶しそうに蔓を断ち切りながらもがいていた天使が、動きを止める。
完全に身動きが出来なくなった時、鹿島は天使の顔を見た。ぼさぼさの髪に無精髭を伸ばした男の天使だ。顔つきは若いが知らない顔だし、ここの学生かどうかも分からない。
平野では無かった事実に安堵していると、無精髭の天使は肩を隆起させた。
「あぶねぇ!」
鹿島らが気付くより先に草野は左手の中指から蔓を伸ばすと、自分の方に引き寄せた。彼の足元に転がりながら見ていると、天使は先程まで鹿島らがいた場所に触手のような羽を突き刺していた。
まるで新体操で使うリボンのような、四角形のヒラヒラした羽だった。無精髭の天使はそれを引き抜くと、縛られた蔓と髪の間からクラゲの足のように伸ばした。
「あれは何だ? どっかで見たような……」
「フィルムだな。厚さからして映画やビデオなんかを撮影、記録しておく為の磁気テープだ。今の時代じゃ撮影所やコアな映画マニアくらいしか持ってない」
床板ごと硬質な地面を貫いたのは、そのフィルムを何枚にも重ねて強度を増させたモノだろう。無精髭の天使はこちらに振り向くと、まるで挑発するかのようにわらわらと羽を分散させながら口を開いた。
『才能があります。映画はより面白くなります。問題はありません。ちょっと私は思っていた。彼らはどのように死んだのか。何がこの愚かな世界で何かを左に――』
「うるせえ!」
蔓の攻撃と共に天使の言葉を途中で切ると、草野はプッと床に唾を吐いた。
「相変わらず何言ってるか分かんねえな。まあ何か悩んでたんだろうけどさ、もう終わりにしてやるからさっさとやられろよ?」
草野はアタシに目配せをすると、彼女は髪をさらに厳重に巻き付けた。天使の身体から蔓が解け、草野の指先へと戻っていく。
チャンスとばかりに無精髭の天使は距離を詰めようとするが、草野の方が一手早かった。
「蔓延蔓
草野の指先から、螺旋のように編み込まれた蔓が伸びていく。それが天使の首に巻き付くと、彼はそれを天井に打ち込まれたフックに引っ掛けた。元はプロジェクターか何かを取り付けてあったのだろう。強度を持った杭は聖なる身体を宙吊りにし、天使は無表情のままバタバタともがき始めた。
「一枚羽のミネラルは強度はあるが、射程距離は短い傾向がある。そっからじゃまともに攻撃も出来んだろ?」
まるで言われた事に腹を立てたかのように天使は羽を伸ばしてくるが、長さが足りておらず教室の端まで行けば全く届かなくなった。それを見てアタシが言う。
「もういいでしょ? さっさと終わらせてあげなさい」
「そうだな。長く苦しませるのもアレだし、さっさと終わりにするか」
そう言うと草野は伸ばしていた蔓を自ら切り、空いた両手を括られた天使に向けた。
「蔓延蔓二式・
両手から飛び出た蔓は天使の両手足と羽の六肢に結び付き、息を吐くと同時に勢いよく引っこ抜いた。相手が天使故に断末魔の叫びこそ無かったが、浮かび上がった残酷な光景に鹿島と青貝は目を背けた。
バラバラになって地に落ちた天使は何を言うでもなく、そのまま消滅していった。
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